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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

13,姥雲隠れ ⑤

2025年04月16日 08時38分55秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「そのかた、
奥さまを亡くされて十年
奥さまも女子高の先生だったそうで、
でも、
数学の先生でお話は合わなかったみたい
わたしとはフィーリングが合う、
とおっしゃって、
お若くて六十そこそこにしか見えません
島田先生は私とお似合いだと励まされます」

「へ~え・・・」

「あの、作った歌、
奥さま聞いて頂けます?
ほんとは手紙に書きたかったんですが、
下手な腰折れがあとあとまで残っても、
恥ずかしいですし、
といってお目にかかって読み上げると、
顔が火照りますし」

そんなに始末に困るものなら、
別に聞かせることないではないか

私も聞きたいとも思わない

「むそとせの・・・」

「え?」

「六十年といいたかったんで、
ございます」

「なるほど」

「六十年の女の幸は遅けれど
はじめて胸のとどろきを知る」

私はどう返事していいかわからない

「カレンダーにシルシをつけて気ははずむ
次のデートの待ち遠しさよ」

「ふ~ん」

「頬染めて・・・」

「まだあるんかいな」

「頬染めて乙女のごとくうなずきぬ
恥ずかしながら六十にして」

「恥ずかしながらは、
横井さんだけやと思うてたのに」

「は?何でございます、奥さま」

「いえ、こっちの話
あんたたいした歌才やねえ」

私はいささかの皮肉をこめて、
いったのであるが、
サナエには全く通じない

「山村先生は、
あ、その方ですわ
わたしの歌は素直でいいと、
ほめて下さいました
やはり、ねえ奥さま」

「何です」

「恋は人を詩人にすると、
山村先生がおっしゃいましたが、
ほんとうでございますわねえ」

あれでも歌だと思ってるのであろうか

「この頃、
そんなわけで失礼していますが、
ちゃんと話が決まって、
お式のめどがつきましたら、
山村先生と一緒に、
ご挨拶にあがります」

「べつに来んでもよろし」

「でもおめでたいことですので、
なるべく皆さんに祝福して頂きたいし、
婚約者をお目にかけたくて」

私はそういうものに、
何一つ興味がないのだ

しかし人というものは、
やたら見せたがるものらしい

「ま、そんなわけで、
お正月は山村先生と初詣に、
まいるかもしれませんので、
お元日にはうかがえないと思います
奥さま、
よいお年をお迎え下さいね」

電話を切ってから、
私は首を振った

サナエの水子霊はどこへ消えたものやら、
あんなに陽気なサナエの声は、
はじめてだった

私はモヤモヤさんの、

(ぐわっはっは
どや、わかったか
こういうことになっとんのじゃ)

という声を、
久しぶりに聞く気がした

なるほど、
サナエがそうなるとは、
私は毛ほども想像出来なんだ

少し変貌すればよい、
と思ったがこんなふうな変貌を、
期待していたわけではない

眉間の皺を取り、
ニコニコ明るくなるような、
生き甲斐を持てばいいのに、
と考えていたのであるが、
まさか、あれほど男に浮かれて、
ソワソワウキウキ、
別人のごとく変貌するとは思わなんだ

なんでそう、
誰もかれも二人になりたがるのだ!

しかもみな、
たやすく釣合のとれそうな相手を、
容易に見つけ出すのも不思議である

私にしてみれば、
この世の男にみな亡夫が重なり、
ロクなのがいないようにみえる

まあ、サナエのことはよい

私が更にモヤモヤさんの悪戯に、
おどろいたのは魚谷夫人の件である

モヤモヤさんは私と渡り合って、
私がいつも善戦して、
負けないものだから、
こんどは大手を避けて、
からめ手からいたずらをする

そんな気がして仕方がない

いよいよ押しつまって、
魚谷夫人が訪れ、

「じつはひと月ばかり前に」

といいさしてもじもじ、
色白の頬を染めた

「結婚しましたのよ、わたし」

「えっ!」

「時々、会うだけでよい、
と思いましたけど、
先方の娘さんも、
折れて賛成して下さったので、
八十一と七十二、
いつまで居られるやら、
とつい急がれましてね」

「まさか八田氏やないんでしょう?」

「ごめんなさいね、歌子さん
わたし、やっぱり八田さんと、
縁があるんですわ
いっぺんは歌子さんのご意見も、
じっくり考えたんですけど、
これは生まれた時からの、
運命やないかと、
それに八田さんは英語にご堪能ですから、
英会話も教えて頂けるのやないかと・・・」

生まれたときからの運命と、
英会話を平気で二つ並べるところが、
面妖であるが・・・

髪は薄かったのに、
いまはふっくらと栗色に光り、
美しく波打っている

「あら、これカツラですのよ
こんなカツラ三つ買いましたのよ」

私は不意打ちを受けっぱなしである

魚谷さんは頬もふっくらし、
肩も女らしく丸くなってきた

この魚谷さんはおしゃれのせいではない、
もっと奥深い魂の底から、
湧き出る生命の化粧水を、
ざぶざぶ浴びたようにどこか以前とは、
違っている

「ねえ、歌子さん
暑いねえ、寒いねえ、
というだけの相手があるって、
すてきなことねえ」

そうかいなあ
そんな無意味な他愛ないこと、
いうててもしょうがないであろう

私なら今日は何時にどこの教室、
表装屋への支払い、
来年の展覧会の準備に、
古典の歌集や近代の俳句集に、
目を通さねばならず、
その合間に絵の宿題があり、
などと忙しくて、
寒いの暑いのと、
他愛ないこという相手など、
いなくてよい

「ごめんなさいね
歌子さんのお気を悪うさしたかも、
わかりませんけれど」

「そんなことありませんよ
魚谷さんがじっくり考えて、
理屈より愛情をとろう、
と思いはったんやから」

どうしようもない

正月の準備をする気も起らない






          


(次回へ)

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