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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

22、蛍 ②

2023年12月18日 09時14分01秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・しかし、源氏の方は、
何がなんでも玉蔓を愛人にしたい、
というのではない。

愛人というような身分に、
彼女を置くのはあわれで気の毒である、
とわきまえている。

ただ、玉蔓が美しく、
魅力的な人柄なのを見過ごしに出来ない、
自分の人生と何のかかわりもない人で、
過ごすには堪えられない、
そういう気なのである。

それは、
秋好(あきこのむ)中宮に対してもそうである。

かの六條御息所の忘れ形見である中宮に、
源氏は今でも思いをかけている。

しかし何といっても、
中宮という重々しいご身分でいられ、
また冷泉帝(源氏の実子)とのつながりからいっても、
源氏は罪あることは出来ない、
とわきまえている。

しかし、中宮に寄せる思いは、
心の底深く秘められて消えない。

玉蔓に対してもそうであった。

この姫君に幸福な結婚をと思う心は、
真実に違いないが、
われながらあやうい恋を、
恐れつつ、抑えきれない。

五月五日の節句の日、
源氏は花散里の住居をのぞいて、

「中将(夕霧)が、
今日、友達を連れてくるといっていたから、
そのつもりでいて下さい。
明るいうちに来るらしい。
ここで何かするというと、
親王方が聞きつけて集まられるから、
用意を頼みます」

といった。

五月五日を中にその数日、
左右近衛武官たちの騎射競技が行われる。

ここ、六条院でも夕霧たちの、
青年武官たちが競射する。

若い女房たちは、
競射の見物を楽しみにしていた。

渡殿の戸口に御簾を掛けわたし、
美しい裾濃の几帳を並べてある。

それだけでも、
若い男性客は目を奪われるのに、
行き来する美少女たちがまた、
華やかだった。

未(午後二時ごろ)のころに、
源氏は馬場殿にいた。

親王方も集まっていられる。

競射がはじまった。

近衛の中将、少将といった青年士官、
舎人たちが双方に別れ秘術を尽くして、
騎射を争い競うのであった。

馬場は南の紫の上の御殿まで続いているので、
そちらでも若い女房たちが、
見物している。

青年たちは多くの女性の視線を集めて、
上気して汗もしとどに熱戦した。

試合が果てて音楽が始まった。

勝った方は笛・笙を吹き鳴らして大さわぎの、
にぎわいのうちに日も暮れた。

夜遅く客は帰られた。

源氏は花散里のもとに泊った。

今日のことを語り合って、
話が弾んだ。

「ではおやすみ遊ばしませ」

花散里は張台(寝台)を源氏にゆずり、
几帳を間において寝るのだった。

いつの間にか、
そんな習慣になってしまったのを、
源氏は心苦しく思った。

いつからであろう?

つつましい花散里は、
源氏の気づかぬうちに、
しとねを別にしてしまった。

「こちらへ来てやすみませんか」

源氏は声をかけてみた。

「・・・わたくしは、
やはりご遠慮いたします。
もう、わたくしは、
そんな年齢ではなくなりました。
そうおっしゃって頂くお気遣いは、
とても嬉しゅうございます。
でも、わたくしはそのお心持ちだけで、
とても幸せです」

花散里は、
本当にそう思っている風だった。

源氏は強いて張台へ呼ばないで、
几帳をへだてながら、
はかない物語を、
とりとめもなく交わしていた。

長雨が例年より長く続いて、
六条院の女人たちは、
絵入りの小説などに興じていた。

源氏は、このところどこへ行っても、
小説類や物語が目に止まるので、
玉蔓に笑っていった。

「よくまあ、
飽きもせず作り話に打ち込んでいるね。
女というものは、
人にだまされるために生まれてきたようなもの。
こんなに氾濫する作り事の中には、
本当のことはごく僅かです。
それを知りながら、
夢中になって、だまされて、
この五月雨どきに、
髪ふり乱して書写していることだ」

「だって面白いのです」

と玉鬘はいった。

「まあ、ひまつぶしには打ってつけだろうが、
中には、人間の心理をうまくとらえて、
なるほど、と読者の心をひきつけるものもある。
また、荒唐無稽で不自然な筋でも、
人生の筋を教えられたりする。
小説というものは不思議なものです。
小説を書く人間というのは、
嘘を言いなれた人なんだろう」

「そうでございましょうか。
嘘を言いなれた方は、
そうお考えになるのでしょう。
わたくしはみんな本当のことのように、
思えます」

玉蔓は横を向いた。






          


(次回へ)

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