
・しかし、源氏の方は、
何がなんでも玉蔓を愛人にしたい、
というのではない。
愛人というような身分に、
彼女を置くのはあわれで気の毒である、
とわきまえている。
ただ、玉蔓が美しく、
魅力的な人柄なのを見過ごしに出来ない、
自分の人生と何のかかわりもない人で、
過ごすには堪えられない、
そういう気なのである。
それは、
秋好(あきこのむ)中宮に対してもそうである。
かの六條御息所の忘れ形見である中宮に、
源氏は今でも思いをかけている。
しかし何といっても、
中宮という重々しいご身分でいられ、
また冷泉帝(源氏の実子)とのつながりからいっても、
源氏は罪あることは出来ない、
とわきまえている。
しかし、中宮に寄せる思いは、
心の底深く秘められて消えない。
玉蔓に対してもそうであった。
この姫君に幸福な結婚をと思う心は、
真実に違いないが、
われながらあやうい恋を、
恐れつつ、抑えきれない。
五月五日の節句の日、
源氏は花散里の住居をのぞいて、
「中将(夕霧)が、
今日、友達を連れてくるといっていたから、
そのつもりでいて下さい。
明るいうちに来るらしい。
ここで何かするというと、
親王方が聞きつけて集まられるから、
用意を頼みます」
といった。
五月五日を中にその数日、
左右近衛武官たちの騎射競技が行われる。
ここ、六条院でも夕霧たちの、
青年武官たちが競射する。
若い女房たちは、
競射の見物を楽しみにしていた。
渡殿の戸口に御簾を掛けわたし、
美しい裾濃の几帳を並べてある。
それだけでも、
若い男性客は目を奪われるのに、
行き来する美少女たちがまた、
華やかだった。
未(午後二時ごろ)のころに、
源氏は馬場殿にいた。
親王方も集まっていられる。
競射がはじまった。
近衛の中将、少将といった青年士官、
舎人たちが双方に別れ秘術を尽くして、
騎射を争い競うのであった。
馬場は南の紫の上の御殿まで続いているので、
そちらでも若い女房たちが、
見物している。
青年たちは多くの女性の視線を集めて、
上気して汗もしとどに熱戦した。
試合が果てて音楽が始まった。
勝った方は笛・笙を吹き鳴らして大さわぎの、
にぎわいのうちに日も暮れた。
夜遅く客は帰られた。
源氏は花散里のもとに泊った。
今日のことを語り合って、
話が弾んだ。
「ではおやすみ遊ばしませ」
花散里は張台(寝台)を源氏にゆずり、
几帳を間において寝るのだった。
いつの間にか、
そんな習慣になってしまったのを、
源氏は心苦しく思った。
いつからであろう?
つつましい花散里は、
源氏の気づかぬうちに、
しとねを別にしてしまった。
「こちらへ来てやすみませんか」
源氏は声をかけてみた。
「・・・わたくしは、
やはりご遠慮いたします。
もう、わたくしは、
そんな年齢ではなくなりました。
そうおっしゃって頂くお気遣いは、
とても嬉しゅうございます。
でも、わたくしはそのお心持ちだけで、
とても幸せです」
花散里は、
本当にそう思っている風だった。
源氏は強いて張台へ呼ばないで、
几帳をへだてながら、
はかない物語を、
とりとめもなく交わしていた。
長雨が例年より長く続いて、
六条院の女人たちは、
絵入りの小説などに興じていた。
源氏は、このところどこへ行っても、
小説類や物語が目に止まるので、
玉蔓に笑っていった。
「よくまあ、
飽きもせず作り話に打ち込んでいるね。
女というものは、
人にだまされるために生まれてきたようなもの。
こんなに氾濫する作り事の中には、
本当のことはごく僅かです。
それを知りながら、
夢中になって、だまされて、
この五月雨どきに、
髪ふり乱して書写していることだ」
「だって面白いのです」
と玉鬘はいった。
「まあ、ひまつぶしには打ってつけだろうが、
中には、人間の心理をうまくとらえて、
なるほど、と読者の心をひきつけるものもある。
また、荒唐無稽で不自然な筋でも、
人生の筋を教えられたりする。
小説というものは不思議なものです。
小説を書く人間というのは、
嘘を言いなれた人なんだろう」
「そうでございましょうか。
嘘を言いなれた方は、
そうお考えになるのでしょう。
わたくしはみんな本当のことのように、
思えます」
玉蔓は横を向いた。



(次回へ)