・夏
蓮の花の盛りに、
后の宮(明石中宮)ご主催の、
御八講があった
中宮の父君である源氏と、
養母の紫の上の供養のため、
法華経が講じられ、
人々は聴聞する
五日目の朝の、
朝座ですべて終わった
寝殿を御堂にしつらえてあったので、
飾りを取りのけるため、
人々は片づけている
片づけの済むまで、
女一の宮は西の渡殿に、
お移り頂いた
法会の聴聞に疲れて、
女房たちはそれぞれの局(部屋)に、
下り女一の宮の御前は、
人少なだった
夕暮れ、
薫は法会の時の正装から、
直衣の普段着に着かえ、
釣殿へ行ってみた
薫は池のほうに寄って涼んだ
あたりは人の気配もしない
日ごろ、西の渡殿の辺りは、
女房たちが休憩するところ、
(小宰相がいるかもしれぬ)
と薫は思って、
のぞいてみると、
いつものようなしつらいは、
取り払われ広々として、
部屋は見わたされる
女房たち三人ばかり、
くつろいだ格好なので、
まさか女一の宮の御前だとは、
薫は思わなかった
ところが姫宮がいらっしゃった
白い薄絹の御衣装をお召しになって、
たとえようもなく愛くるしい方だった
(今までずいぶん美女も見たが、
こんな美しい方は初めてだ)
と薫は思って、
なお気を静めてよく見ると、
黄色い生絹の単衣に、
薄紫色の裳を着た女房が、
扇を使っている
(お、この女人もいいじゃないか)
小宰相である
こんなにはっきり、
彼女の顔を見たのは初めてだった
女房たちは氷を割り、
めいめい手に持った
一人が氷を紙に包んで、
姫宮にさしあげたが、
宮は繊細な美しいお手を、
差し出されて拭わせられながら、
「持ちたくないわ
雫が困るもの」
そのお声が薫の耳を打ち、
薫の心はとどろくほど嬉しい
(一品の宮~女一の宮~のお声が、
聞けるとは!
宮がまだお小さい頃、
おれも幼くて何のわきまえもなかったが、
それでも幼心に美しいお子だと、
お見上げしたものだった
そののちは絶えて姫宮の、
お気配さえ耳にしなかったものを
例の自分に辛い思いをさせる、
運命のむごい試練だろうか)
そう思うと、
薫は平静でいられなくて、
そこにたたずんだ
思えば、
明石中宮の女一の宮(一品の宮)、
それに匂宮(三の宮)は、
明石中宮の養母である、
紫の上の手もとで育てられた
そこに、表向きは、
源氏と降嫁された女三の宮の、
間に生まれた薫も共に、
紫の上のもとで大きくなったが、
薫の実父は柏木衛門督であった
源氏はそれを知りながら、
実子として妻の紫の上と共に、
三人を育てた
薫はのぞいているのを、
知られたくなくて、
身を隠した
(美しい方だった
長の年月、一品の宮に、
あこがれを捧げてきたが、
拝見してみると、
いよいよ煩悩が募る)
しかし、
美しい女人は薫の身近にもいた
女二の宮、薫の正室である
(このひとは、
一品の宮の異母妹、
しかし似てはいられない)
薫に一つの思いつきが浮かんだ
女二の宮の薄物の単衣の着物を、
縫うように女房にいいつけた
「ほんにそれは、
一層宮さまがお美しくお見えに、
なりましょう」
女房たちは弾んだ
薫が朝の勤行を済ませて、
女二の宮の部屋へ行くと、
いいつけた衣装が几帳にかけてあった
自分の手で、
女二の宮にお着せする
一品の宮に劣り給う、
というのではないけれど、
(やっぱり、違う・・・)
それを紛らせるように、
「一品の宮に、
お手紙をさしあげて、
いられますか」
と女二の宮にいった
「もう長らく、
おたよりはしていません」
大宮(明石中宮)の御前には、
匂宮もおいでになっていた
薫から見ると、
先日ほのかに拝見した、
姉宮の一品の宮に劣らず美しい
薫は大宮の御前を退って、
西の対へ行く
そこは一品の宮のいられるあたり
薫は女房を相手に珍しく挨拶し、
女房たちも軽く応酬して、
その感じは洗練されていてよかった
(次回へ)