goo blog サービス終了のお知らせ 

「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

9,姥スター ⑥

2025年03月15日 09時04分34秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・私はいつも眉間にたて皺作って、

「長生きしても、
何が楽しいのでしょう
長寿を祝うなんてウソや思います」

とボヤいていたサナエを思い出す

彼女に比べると、
この運転手はえらいものである

しかも、楽しそうに仕事していて、
悲壮な感じはみえない

彼は、

「もう四十年からの、
運転歴だっしょってなあ」

と楽々とハンドルを操りつつ、

「たいていの人はこのトシになったら、
年金もろてブラブラしてはりますけどな
ワテ働くのん好きだしてなあ
家に心配もなし」

「お丈夫なのがなにより」

「これでも色気おまんねんで」

七十三の運転手は赤信号で車を停め、
ふり返ると、

「色気が人間、
おおもとでんなあ
上原謙かて二人の子持ちだっしゃろ、
ワテらあのニュースで、
どれだけ気強うしたかしれまへん
老人の希望の光だす」

「おっほほほ・・・」

と居眠りしていた叔母が、
話を聞いたらしく口を出した

「ほんまにあの人こそ、
勲章もんでごあすなあ」

「さいだす、
国民栄誉賞はああいう人に、
あげてほしですな、
あの人にあげて怒る人はおりまへんやろ」

運転手はほんとに安全運転で、
叔母の家につけてくれた

叔母を送ったその車で、
キタへ戻ってもらう

「まあ、元気でせえだい働いて」

と私がいうと、

「おおきに」

という声も威勢よく、

「奥さんもせえだい、
別嬪みがいとくれやっしゃ」

というので笑ってしまう

それにしても、
男にしては珍しい人柄、
というべきであろう

陰気でもなく、
色気があるといっても、
みだらがましくなく、
宝塚ファンたる私は、

「清く正しく美しく」

をモットーにしており、
それが人間楽しく長生きできる原動力、
だと信じている

もしかしたら彼は、
それを「色気」と表現したのかもしれぬ

新地のはずれにあるスナック「夜半」は、
せまいボックスやカウンター、
いっぱいの人で、
すでに富田氏や飯塚夫人、
魚谷夫人が坐っていた

小さなスナックではあるが、
片隅に古ぼけたピアノがあり、
ママが時折、それを弾きながら、
宝塚の歌や越路吹雪ばりの、
シャンソンを教えてくれる

ピアノの鍵盤も、
黄ばんで古びているように、
ママもいささか古びていて、
七十一、二である

「宝塚見てきはったんやて、
ねえ、春のおどり、
今月よかったですやろ」

白い大島を着たママは、
その昔、夜半月子という名前で、
宝塚に出ていたそうである

それで客には宝塚ファンが多いが、
この店には昔の男性ファンがよく来る

ということは、
かなり年齢層が高いことである

そうして、
こういう店によくあるように、
何かというと、

「すみれの花咲くころ」

がうたわれる

昭和五年の、
「パリゼット」の中の歌で、
そのころパリで大流行していた歌が、
そのまま日本でも爆発的に、
はやったのだった

船場の家では琴や地唄舞の唄が、
聞こえることはあったものの、
若いご寮人さんの私が、
すみれの花など唄うことが出来ず、
それでも長男が生まれていたから、
子守唄がわりにこっそり唄った

それが今では、
おおっぴらに唄える

長生きしたおかげであろう

「うるわしの思い出
モン・パリ
わがパリ」

もこの店ではママの伴奏で、
唄うこともできる

富田氏も英語の歌詞で唄うことがある

私は水割りなんぞ、
ガブガブと飲まないのである

ほんのすこうし、
若いバーテンさんに、
きれいな紫色のカクテルなんぞ、
つくってもらいじっくりと味わう

色と匂いを楽しむ

すると今日見た、
にぎにぎしい色彩のあふれる舞台、
交錯するライト、
すんなりした脚の林などが、
目の前に広がり、
ついで満開の桜のトンネルが、
それにかぶさり、

「結構なこっちゃおまへんか」

と叔母の幸福そうなためいきが、
聞こえる

こんな幸せ、
バカ嫁どもは知らへんのや

何がチイチイパッパや、
何がボケや、
何が病気ですかいな

私は腹を立てるのは人間、
生きる燃料を燃やすようなもの、
と思っていたが、
やっぱり腹を立てると血ものぼり、
動悸も早くなる、
体と心によくないであろう

何といっても、
こういう楽しみのほうが、
長生きできて、
充実できて、
いいに決まってる

「さ、歌子さん、どうぞ、
みんなもう唄いましてんよ」

魚谷夫人が私にマイクを押し付ける

私はマイクを持って、
ピアノのそばに立つ

「歌子さん、
まるで花組のスターのように、
見えますよ、きっきっ」

と富田氏は笑い、
客たちはいっせいに拍手してくれる

バーテンの兄ちゃんは、
スポットをあててくれる

スターというのはこうもあろうか、
私はありったけの情感をこめて、
唄い出す

七十七年ぶんの情感である

しかしながら、
あたまの隅っこで、
私は考えている

この楽しみも、
うちのバカ嫁、バカ息子どもと、
ケンカする楽しみあればこそ、
のような気がする

非礼無礼なることを、
ズケズケいって私をカッカとさせる、
あるいは頑固なサナエのごとく、
私をイライラさせる、
そういう存在あればこそ、
相対的にこういう楽しみに浸れる

(さあ、
また何なというてきてや
なんぼでも言い負かしたるで・・・)

私はだんだん身振りも、
宝塚スターらしくなってゆく

拍手がわきおこる





          


(了)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 9,姥スター ⑤ | トップ | 10,姥ときめき ① »
最新の画像もっと見る

「姥ざかり」田辺聖子作」カテゴリの最新記事