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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

20、玉蔓(たまかずら) ①

2023年11月30日 09時34分18秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・源氏は今もはかなく世を去った、
夕顔のことを忘れることは出来なかった。

さまざまな女人を遍歴した人生に、
なおも、あれが生きていたらと、
愛執の念を断ちがたい。

ご記憶であろうか?

かの夕顔の最期に、
ともにいた女房の右近。

彼女は女あるじを喪って、
よるべない身を源氏に仕えていた。

平凡な女であるが、
源氏は夕顔の形見のように思って、
目をかけていたから、
今では古い女房の一人として、
重んじられていた。

源氏が須磨へ下ったとき、
紫の上へすべての女房を預けて行ったので、
そちらへ仕えていた。

気だてのいい、おとなしい女房だと、
紫の上は可愛がっていた。

右近は心の中で、

(あの方が生きておいでだったら、
明石の上よりもっと深いご寵愛だったに、
違いない。
紫の上ほどにはいかなくても、
この六條院に移られる方々の、
お一人になっていられたものを)

と右近は悲しかった。

夕顔の忘れ形見の姫は、
(源氏のライバル・頭の中将を父君とする)
どうなっているであろう?

家に残してきた幼い姫君のことも、
右近は忘れられない。

また、源氏が、

「わが名を洩らすな」

と口止めしたのに遠慮して、
右近は尋ねて行くこともしないまま、
姫君の消息は途絶えてしまった。

姫君は都から連れ去られていたのである。
姫君が四つの年であった。

乳母の夫が、太宰の少弐に任官して、
筑紫へ赴任することになったので、
乳母も姫君を連れて下った。

夕顔の行方を知ろうと、
乳母たちはあらゆる神仏に祈り、
夜昼、泣き暮らして、
手を尽くして探したが、
ついに手掛かりさえつかめなかった。

仕方ない、
今は、この姫君を御方さまとして、
大切にお育てしよう、
と思いつつ、
また卑しい私たちと共に、
遠い田舎へ行かれるのがいとおしい、
と思ってもみたり、
さればとて、姫君の実父である、
今は内大臣にお知らせするにも、
しかるべきつてもなかった。

「この子の母はどこにいる?
と頭の中将さまが聞かれたら、
なんとお答えしよう」

「それに、
姫君はお父君になついていらっしゃらないし」

などと乳母や娘たちは話し合って、
お連れしよう、
と決めたのだった。

その美しい童女を、
殺風景な船に乗せて、
都を出て漕ぎだした。

姫君は、

「お母ちゃまの所へ行くの?」

と聞くのだった。

乳母も娘たちも涙がこぼれた。

筑紫は遠かった。
都は夢のようにはるかな世界に思われる。

はかなく日は過ぎてゆく。

乳母の夢に、
たまに夕顔が現れることがあった。

そばに美しい女が添っているのが、
不気味であった。

目覚めると気分あやしく、
病気になったりするので、
これはやはり、
御方さまはもうこの世の人ではいられない、
と思うのも悲しかった。

少弐は任期が終わって、
都へ上ろうとした。

しかし都までは遠く、
格別の権勢もない身には、
財力の貯えもなく、
なにかとぐずぐずしているうちに、
重い病にかかり、
命も危なくなった。

少弐はいまわのきわまで、
姫君のことを心配していた。

姫君は十ばかりなっていて、
こよなく美しかった。

「私は死ぬに死ねない。
私亡きあと、
姫君がどうなられるかと思うと。
一刻も早う都へお連れして、
お身内の方にお知らせし、
幸福な将来もみよう、
と思ったのに。
ここで死ぬとは、
残念な・・・」

息子たちは三人いたが、
彼らに向かって、

「ただ、この姫君を、
都へお連れすることだけ考えてくれ、
わしが死んでも仏事供養など要らぬから」

と言いおいて、
とうとう亡くなってしまった。






          


(次回へ)

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