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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

15,姥メッキ ④

2025年04月29日 09時00分11秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「相手のかたはお幾つですの」

「六十八ということですが、
六十くらいにしか見えません
美人というのではありませんが、
やさしくて女らしいです
私、心から彼女を愛しとります」

富田氏は電話口で、
泣きじゃくりはじめた

「ほんま」好きの私であるが、
こういう種類の「ほんま」は、
持てあますものである

私は少し「ほんま」症状に、
あてられたので、

「それじゃ、聞いてみますから」

といった
富田氏は、

「彼女は、ですね、
私との新生活を夢見て、
新しいアパートを、
見つけてきてくれたんで、
私は彼女に三十万敷金を渡しときました
新しいテレビ、
新しい家具などそろえようと、
彼女もいそいそしとったのです
ひと月ばかし前にも新所帯用に、
二十万渡したところです
息子らは私の通帳まで押さえますので、
その目を盗んで・・・」

といいかけて、
富田氏はあわただしく、

「あ、ほな歌子さん、頼みます」

と一方的に電話を切ってしまう
電話を聞かれては具合悪い状態に、
なったのであろうか

私はとたんにむらむらときたのである
私の返事も聞かず電話を切った、
非礼をとがめたのではない

七十二にもなって、
息子の目を盗むあわてて電話を切る、
というようなコソコソしたことを、
しなくてもいいではないか、
と、富田氏をどやしつけたくなったのだ

なんでそこまで、
子供に遠慮することがあろうか

そんなことを考えていると、
富田氏をぜひその彼女と、
結婚させてやりたくなってきた

遺産が減るというので、
父親の再婚に反対を唱えている、
息子夫婦らの鼻を、
あかしてやりたくなったのである

休日明けの日、
市役所の係へ電話してみると、
その女性、大林トメは、
住所変更をまだ出していない、
という

登録した人は、
住所が変わったときは、
知らせることになっているのであるが

身内としては、
市内に甥がいるらしいが、
そこは電話番号がわからない

出かけていって、
調べてしまおうという矢先、
予告なしの訪問客があった

「はじめまして
私、富田と申します
おじいちゃんがいつもお世話になってます
私、嫁なんですけど」

この人、
うちの嫁たちと同じような年頃の、
四十三、四というところ、
下腹にずっしり肉がついて、
円錐形という体型である

上辺が茶色っぽい色の眼鏡をかけ、
よく動く表情で精力にあふれている

薄茶色の半そでニットのツーピースは、
肉が盛り上がってぷりんぷりんしている

腕はさながら〇〇ハムのように、
たくましい

むちむちした指に、
プラチナ指輪が息詰まるきつさで、
はまっていた

何しに来たのかしらん?

年とっての有難さは、
人に会って怖いもんがないところである

何たって、
年を加えるというのは人間の利点で、
たいていの人の内を見透かせるところがある

私がかなわぬのは、
モヤモヤさん一人である

なぜならモヤモヤさんは、
年がわからぬ存在だからである

そこへくると、
キリストはんあたりは、
三十代で死にはったということやから、
ほんまに人生わかってはったかどうか

お釈迦さんいうたかて、
ええとこの坊んに、
生まれはった人であるから、
ほんまに最下層の苦しみが、
わかってはったかどうか

(アテになりまへん)

という不遜な考えが、
このごろ私の心に芽生えている

このごろ私が、
人の話に、

(それはそう・・・)
(ほんとですわ)

と素直にうなずけないのも、

(ほんまのとこ)

だけ信じたいというのも、
年を取って自分に自信がついてきた、
ということであろう

たいていの人に、
ビビらないで向かえるようになったのだ

要するに怖いもんなしに、
なっているのである

「おじいちゃんに聞きましたけど、
奥さんに何かお頼みしたようですが、
そのことはもう、
ご無用に願いたいんです」

円錐形夫人は、
厚みと力のある声でハキハキいい、
そのさまも人生に自信ありげである

「私どもは、
おじいちゃんの再婚なんて、
絶対反対なんです
大体ですね、
七十過ぎて結婚なんて、
色気狂いですわ
相手の女かて、
財産目当てに決まってます
おじいちゃん、今のぼせてるんです
私も世間態が悪くて、
身内にも言えません
年甲斐もない、いい年して、
はしたない、恥知らずな、
みっともない、
人聞き悪い、おぞましい、
見苦しい、にがにがしい、
ぶさいくな、むさくるしいことが、
あるでしょうか」

これをひと息にいう
実によくしゃべる女である

「おや、そうですか、
私ゃそうは思いませんけどね
私のお友達にも、
八十一の方と再婚なさった、
七十二の奥さん(魚谷夫人)、
七十の殿方と初婚の六十一の女性、
(サナエ)
といろいろいらっしゃいますけど、
みな、幸福にお暮しですわ」

私だって、
しゃべる段になれば、
円錐形夫人ぐらいには負けない

舌一枚で会社を興したのだ、
という自信がある

「ふん、
そういうのはみな、
経済的理由から便宜的に、
一緒になっていられるのと、
ちがいますか、
おじいちゃんかて利用されてるんです
ちょびちょびお金を運んで、
かなり入れあげてるみたいなんです
大体、そんな年の男と女の関係なんて、
お金以外にないのやありません?」

「いやいや、
そういうたもんでもないようです
お元気で円満なようですわ」

「ま、七十や八十で、
考えられませんわ」

私は別に老婚支持者ではない
反対もしないが積極的に推進する気もない

しかしこの円錐形夫人が、
さも汚らしそうにいうので、
私としてはむらむらと、
老婚派を擁護したくなったのである






          


(次回へ)

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