グレイスインサンダ

~信徒さんとキリスト教との出会い~

救いの証詞(2月28日)

2010-02-28 00:00:00 | 証し
伝道者の書「空の空」から「結局のところ~」にいきつくまで
                                Y・Dさん(男性)

 私がこの御言葉からのメッセージを初めて聞いたのが高校2年の夏のことでした。
 当時私はとても勉強のきつい高校に通っており、なおかつクラスの友達ともうまくいかず、今で言うとイジメのような形で、「仲間外し」にあっており、何のために勉強しているのか、友達とは何なのかなどの悩みを抱え、毎日もやもやした気分ですごしていたことを今でも覚えています。
 そんな中、当時教会に通っていた兄の友達から「高校生キャンプがあるから来ないか」という誘いを受けました。キリスト教会にはいいイメージがなかったので、参加を躊躇していたのですが、「かわいい女の子もたくさん参加する」という言葉に誘われて参加してしまいました。
 高校生会のスタッフはとてもおもしろく、親切にしてくれ、ギターも上手な人がいて、すぐに打ち解けることができました。参加した高校生も私と同じで初めての人が多く、私が当時教会やクリスチャンに対して持っていたイメージ、「暗い、固い、つまらない」の考えは少しずつ崩れていきました。キャンプ自体も聖書の話は夜の集会ぐらいで、あとはレクリエーションが多く、とても楽しかったことを覚えております。
 キャンプ2日目、夜の集会で冒頭の御言葉「空の空、すべては神様抜きにしては空しいのです。」と語られました。今なら生きてきた分だけいろんな人生経験を積んでいるのでこの御言葉の意味、深みは分かりますが、まだ15歳だった私は、この御言葉の意味が理解できませんでした。そしてイエスキリストが人のために十字架にかかり、その罪の代価を支払ってくださったことを聞いても最初はぴんと来なかったのですが、メッセンジャーの先生の息子さんが、小さくしてご病気で亡くなられたその姿とイエス様の十字架の姿を重ねられ、「あなたのためにイエス様は十字架で死んでくださったのです!」と力説されて心が動きました。そしてこの御言葉を教えてくれました。
 「人がその友のために命をすてるというこれよりも大きな愛を誰ももっていません。」友達から「仲間外し」にあっているような私を「友」と呼んでくれた、なんかすごく勇気がわいてきたような感じがして、「イエス様を信じてみよう」と思い、招きに応じました。こうして1985年確か8月5日、堂本佳樹は神の御国にその名を入れていただいたのでした。
 クリスチャンとしてその後なんとか教会にもつながりましたが、教会の活動やいろんなところで語られるメッセージの中に、私の求めていた答えがあったように思います。
 まず「勉強の意味」でした。それは自分の立身出世のためではなく、「神と人に仕えるために勉強する」という指針を頂いたことです。特に英語に興味があった私は、教会に来る宣教師と親しくしていただいて、英語を勉強する意味を見出せたように思います。またその教会の主任牧師先生が、国際飢餓対策機構というクリスチャンの国際援助組織の日本の理事長であったため、世界の中で活躍するいいクリスチャンのモデルをたくさん見せていただいたことが、今の自分におおきな影響を及ぼしていると思います。
 次に「人生設計」です。クリスチャンホームを築き、家庭を通して神を証ししていくというビジョンも多感な高校大学生時代に、多くの若いクリスチャンホームから教えていただきました。神様のお導きでよき伴侶が与えられ、素晴らしい子どもたちにも恵まれ、本当に感謝の毎日であります。
 そして何よりも「生き方の指針」といいましょうか「人生哲学」を、聖書を土台にして与えられました。それはMastery for Service(マスタリーフォサービス)という考え方です。これは関西学院のモットーでありますが、関学は「奉仕のための練達」と訳しております。これを私なりに解釈しますと、イエス様がおっしゃった、「誰でも偉くなりたいと思うものは、仕える人になりなさい」という御言葉から「偉くなっちゃった人は、人のために尽力しなさい」「偉くなって権力がついたら、それを弱い立場の人のために使いなさい」と私なりに解釈しております。それはイエス様ご自身のお姿から、こう思うのであります。ご自分は神の御子であられながら、徹底的に人に仕える姿をお取りになり、弱い立場の人々とともに過ごし、その人たちのためにご自分の力をお使いになられました。ほんとかっこいいと思います。
 私はなぜかいろんな係り、役職を依頼されることが多く、いろんな立場をとらされます。係りの役割を遂行する際の指針となるのがイエス様のこのお言葉です。それらを通しても神様は私を訓練し、少しでも成長し、「人に仕える」ということを教えてくださっているように思います。この教会に導かれ、教会のメッセージから御言葉の深みを味わえ、その自分の社会や人生においての役割を見出せているように思います。
 高校生の頃に聞いた伝道者の書1章2節「空の空」を当時は理解できませんでしたが、今なら理解できるような気がします。この伝道者の書は「空の空」で始まっていますが、終わりの12章ではこうしめくくっています。「結局のところもうすべてが聞かされているところだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」
 神様に見出していただいてからは「空の空」ではなく、今後は伝道者がいうように、「人間にとってすべて」である「神の命令を守る」神の命令とは、神を信じて生きていくことを最大の指針として、神様のお助けを頂きながら、日々歩んでいきたいと願っております。


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