グレイスインサンダ

~信徒さんとキリスト教との出会い~

救いの証詞(4月25日)

2010-04-25 00:00:00 | 証し
                                    H.Kさん

 1945年4月、両親の長女として広島で生を受けました。あの忌まわしい原爆が落とされる4ヶ月前のことでした。2歳半、離れて妹が生まれ、妹がはいはいする頃になった時に、私の目の悪いことに母が気がついたそうです。近くに日本キリスト教団の幼稚園がありましたので、両親はクリスチャンではありませんでしたが、そこに入園することになりました。また、ピアノを習わせてくれました。母は私の目の悪いことにとても気をつかってくれ、小学校入学までに、色々な眼科に行ったことを覚えています。しかし、原因がわかりませんでした。
 幼稚園が受験に備えてくれたために、私は広大附属小学校に入学することが出来ました。中学、高校と、教会の日曜学校にも行っていました。しかし、東京の大学に行ったために、教会の生活が少しおろそかになっていました。広島と東京との離れた生活に私も慣れるのに一生懸命でした。神さまのことも忘れていました。

 3年生の時に、学内コンクールがあり、それに一生懸命になっていた私は朝起きてみると、時計の文字盤が見えません。大学生活を普通におくれていた私なのですが、私の目がほんとうに悪いことにびっくりし、まったく見えなくなったらどうしようという思いがたくさん募ってきました。すぐ広島に帰省し、いつもかかっていたお医者さまのところに行きました。先生は私に優しくおっしゃいました。あなたのような病気を持っている方は30歳頃になると、失明する人が多いので、大事に付き合っていきましょうね。
 3年生の夏のことでした。仲の良いお友だちと、北海道を旅行し、最後に青函連絡船に乗って帰る途中でした。素晴らしい自然を見ることも出来たし、大学生活も半分は済んだ、もう今から私は生きていてもしょうがないと思うようになっていました。もう、この思いを胸に、死んでしまってもいいのかなと思っていました。船の甲板から海を見ていると、父と母の顔、それから、イエスさまの顔が見えてきました。こんな事をしていてはいけないんだと、気付かせてもらいました。神さまは「疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ福音書11:28)。「私はどんな子でも愛してるよ。」とおっしゃった言葉が心に留まりました。大学生活が忙しかったせいか、教会に行けてませんでした。でも、神さまは私を愛してくださっているということが、その時、強く強く、わかりました。

 4年間の大学生活を終え、広島で学校の講師、ヤマハの音楽教室の講師、合唱団の伴奏者として働くことが出来ました。その頃は普通に生活が出来ていましたので、失明するということに対する不安がないわけではありませんでしたが、私の生活の中にはありませんでした。合唱団の中で、若いカップルが結婚されるということで、祝う会の伴奏を引き受けることになりました。そこに後に夫となる人が司会者としていました。1年後に、またそういうことがありました。彼は私にプロポーズしてきました。その時、私は言いました。30歳になったら失明するかも知れないですがそれでいいのですかと。僕は大丈夫、君の礎(いしずえ)になるからと言ってくれました。それで、神さまは私に夫を与えてくださったのだということがわかりました。神さま、ありがとうございますという言葉しかありませんでした。
 長女が生まれ、小学校に入学するまで目が見えていたらいいねと、よくお祈りをしていました。私は結婚前に受洗をしたいと思っていましたが、夫はそれを拒んでいました。それは学校で教えられた進化論のことがひっかかていたからでした。

 夫は保険会社に勤務していましたので、広島を皮切りに、秋田、森岡、岡山、大分、松山、大阪、西宮、三田と引越を余儀なくされました。3歳半離れて、長男をいただきました。家族4人で日曜学校も、小学校の内は行っていました。阪神大震災の1年後に、主人の肝臓ガンがわかりました。ドクターは5年以上の生存率は5パーセントですと、はっきり言われました時に、夫は、僕はその5パーセントに入りますから、大丈夫ですと難なくそれを明るく受けとめました。それで私も家族も神さまに守られているのだと思っていました。1998年に吹田福音教会で主人と共に受洗することができました。それから、2000年の7月23日に、主人は神さまのもとに帰っていきました。
 長女、長男、それぞれに家庭を持ち、長女はドイツで神さまのもとで働かせていただいており、長男も大阪で元気にがんばっていますので、安心です。私には日曜日、教会があるので、守られているなと思っています。私はひとりではないんだ、神さまの家族の中で、毎日、生活させていただいているんだということを実感しています。