グレイスインサンダ

~信徒さんとキリスト教との出会い~

救いの証詞(1月24日)

2010-01-24 00:00:00 | 証し
2010年1月24日(日)伝道礼拝           K・Nさん(男性)


 私は日々、感謝だなあと思っていること、喜びに思っていることは、たった一つだけです。それは私が「今、この場で生きている」ということです。皆さんはそのようなことは当たり前だと思っていることかもしれませんが、私にとっては何にも変えられない喜びなのです。
 というのは、昔の話ですが、ある日、車を運転していました。その日は体調が悪かったのか、意識が混濁してきて、ハンドルが取られるような感じに成ってきて、車が右に、左に蛇行し始めました。居眠りを始めたのでしょう。そこまでは意識していましたが、その後のことは記憶にありません。
 状況からすると、車は道路を外れて、横倒しになって、田んぼに突っ込んでしまいました。そのところに電柱が立っていて、その電柱に横倒しのまま、激突をして、その電柱に屋根が引っかかって、その屋根が全部なくなったのです。普通なら助からない事態です。
 誰かが救急車を呼んでくれたと思います。自分が気がついた(目が醒めた)時、ザワザワと外で声がしていました。救急隊の人の「これはぐちゃぐちゃやな。屋根もないしな。たぶん助からんだろうな」いうような声が聞こえてきました。しかし、私は生きていたのです。
 倒れるはずのないシートが何故か倒れて、からだが下の方に入り込んで、私は奇跡的に生きていたのです。しかも、カスリ傷程度だったのです。私はなぜ、倒れるはずのないシートが倒れて、それで、助かったのだと考えこんでしまいました。通常なら、車が完全につぶされて、即死だったと思うのですが、助かったのです。もし、この時、そこに歩いている人がいたら、はねたかもしれません。幸い、それもなかったのです。
 こうも考えました。もし、そこで死んでいれば、福井の実家の辺りは寺も多く、親鸞の浄土真宗ですから、子供のころから聞いて「南無阿弥陀佛」の経がよまれ、享年24歳ということで、見送られていたことでしょう。
 なぜ、助かったのか、なぜ、シートが倒れたのか、「何でや。何でや。」と考えて、考えて、頭の中は真っ白になってしまうほどでした。そのせいで、髪の毛も白くなったような気がします。神様がおったのかとも考えたこともありましたが、そうこうしているうちに、16年がたってしまいました。
 そして、平成6年、三田に引越した時、新三田の駅前で教会関係のチラシをもらいましたので、牧師の所にも行くようになりました。教会のことやイエス・キリストのことを知るようになりました。それから、聖書を読んでいる中で、このみ言葉が与えられました。
 「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。…」(ヨハネ福音書15:16)。
 このみ言葉と出会った時に、私はハッと気付かされました。あの時は自分はクリスチャンでも何でもなかったのですが、神様は私のことを考えてくださり、シートを倒して、私を生かしてくださったのだなあと私は思いました。それ以来、私は天の父なる神様に感謝しても、感謝しきれないほどの恵みをいただいています。
 皆さんは生きているのは当たり前と思っておられるでしょうが、私は1979年3月30日の事故で、24才で一度死んでいるのだ思っているのです。その後の人生は神様が与えてくださった人生なのです。3月30日は今でも、自分の「命日」だと思っています。その日が来ると、私はその時、亡くなって、救っていただいたんだなと思い、感謝のなにものでもないのです。
 色んな厳しい社会の中で、辛いことがあるのですが、「生きている」こと以上の喜びはないのだと思っています。どんなことがあっても、それ以上の喜びはないのです。私は生きていること、そのものを、感謝して、イエス様についていく所存です。「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしが、Nという人間を選んだのです」、そのように導いてもらっているのです。
 ありがとうございました。

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