G PLANNING

お知らせや現場報告など

民家移築再生 (9) 秦野から藤沢へ

2015-04-27 15:16:13 | 民家再生、現場

         オーナーからの一言です

工事も構造的な部分から次第に意匠的な部分になってきました。これまでの工事の中で、関心したもの、驚ろいたことなどトピック的なものも送らせていただこうと思います。

まずは、大黒柱

150年という時間の中で柱や梁は絶えず力を伝えあってきました。それぞれの屋根や荷物、部材どうしの力、風雨による力、地震による力です。これらの力によって、建てられた当時はまっすぐだった柱も次第に曲がってきました。今回移築に際し建前から柱梁が組みあがっていくと、古民家ゆえの組み立ての難しさがありました。それは、大黒柱の納めです。梁と組立土台に立てると写真のように位置が合いません。初めて見たときは測量間違いで柱と土台が合わないのかと思いました。まさか、こんなに太い柱が曲がっていたとは思いつかなかったのです。しかし、古材を使った移築再生では柱が長い時間の中で受けた力で曲がっていることもあるのです。百戦錬磨の棟梁たちはこれまでの経験から慌てず大黒柱だけ直接コンクリートの基礎に乗せて、土台の長さの調整で柱の位置を微妙に調整し曲がった大黒柱を設計通りの位置に納めました。新材を使った新築建屋であれば設計通りに組み立てができます。しかし、古材を利用した再生建築ではそれぞれの部材の状況に合わせて、構造と同様に柔軟な施工となるのです。

 

 

梁の養生

30cm×30cm以上の太さがある立派な梁です。是非見てほしいと思うくらいです。それぞれの梁の形は丸太を手斧で整形したものなので綺麗な長方形ではありません。この妻部を銅板で養生します。銅板の形はそれぞれの梁の妻部の形で、ひとつひとつ違います。銅板も初めは銅色に輝いていますが、次第に渋く変化を見せています。新しいものが時間とともに古くなるのではなく、次第に落ち着きとともに風格を見せ立派になってくる。民家再生の醍醐味のひとつだと思います。

 

民家移築再生 (8) 秦野から藤沢へ

2015-04-15 18:25:54 | 民家再生、現場

        3丁目の家はあと2ヶ月    

 3丁目の家の定期的工事報告をするつもりでおりましたが、忙しさと、パソコンが苦手のため、報告はすっかりきれぎれになってしまいました。毎日現場に通うオーナーさんからは、工事写真を送って頂いているにも関わらず、申し訳ありません。でも工事は順調に進み、完成まであと2ヶ月をきってしまいました。

この家は組み上がってゆくに従って目立つのが、架構の継ぎ手や仕口に使用されている、コミ栓や持ち送り板などが目につくことで、すごく職人さんの手仕事の丁寧さが感じられます。これは、昔の職人さんの手仕事の個性であり、この家の個性でもあります。

解体された時に見た、大黒柱の年輪には、この欅をひいた見知らぬ職人のこと、そして、この木がどんなに大きな木だったのか、また昨年まで住んでおられた、村上家代々の方の歴史など、思いはふくらんでいってしまいます。不思議なことに、私たちには手で1つひとつ作ったものと、機械で量産されたものと見分ける力があり、機械で作ったものを、手づくりのように見せようとしてもそれはできない。思い出というものを、大急ぎでこしらえることができないようなものです。三丁目の家はもうすぐ完成しますが、ほどよい大きさの手作りの家が見えはじめていて、楽しみです。

 

 オーナーさまからメールの一言は、大変気持ちが伝わります。

32

昼間は少し暖かくなって、春が近づいてきました。春になるのは嬉しいのですが、花粉が辛いです。自分とは無関係と思っていたのに、今では年中行事の一つになってしまいました。お気を付けください。

3丁目の家も、今週床暖房の設置が終了して、いよいよ来週から床はりが始まります。また、多目的室や子供室の天井も有孔べニアが貼られていよいよ塗装すれば、この部分は完成でしょうか。毎回毎回思うことですが、だんだん仕上がる喜びと楽しみが終わりに近づく寂しさが交錯して複雑な心境です。今後ますますでしょうね。

 


民家移築再生 (7) 秦野から藤沢へ

2015-02-04 18:27:02 | 民家再生、現場


中間検査から月日がたちました

どのくらい進んでいるのか工程ではわかっているのですが、外廻りを固めるまでは長い日数がかかります。これから多数の業者との打ち合わせが多くなり、足しげく通う事になるのでしょう。

 




 

 『日本の住まい方』

 

上棟式とその後、構造面の中間検査が無事に完了した。

この家はすでに築150年たつ民家で、神奈川県秦野市でたばこ、落花生などを生産する農家であった。大黒柱が土間に大小合わせ4本もある独特の構造で、高い天井と大きな開口部が気持ちよい夏向きの建物である。

建築の世界では民家と同じように生まれ育った文化や風土がその人の仕事を形作るものである。例えば九州や沖縄出身の建築家による土地の香りを色濃く反映する優れた仕事振りに私はあこがれをもっている。だが世界を旅していると、日本という国が世界では独自の地方だと考えるようになる。石やレンガではなく、木で千年も持つ建物をつくり、家の中を風が吹き抜け、紙で光を受け入れ、木の肌に触れられる日本の建物は自然や風合いを大切にしている。環境に優しい素材の多い日本の建物は世界のあこがれでもあるようだ。

しかし、最近の家は小さな窓のエアコンに頼る家が増えている、住宅界では日本のトップクラスの環境工学者が揃って、日本の夏の家は、終日窓を開けないで冷房するのが一番の省エネだと言う、この話は多発する熱中症のニュースを聞くとやけにリアリテイーを持っている。学者達はエネルギー問題を、合理性のみで発言しているように聞こえる。確かに住宅はカプセル化が進んでいるし、建築法規にまで成りそうな気配である。住むということの複雑さを簡単に捨て去ってしまってもいいものだろうか。高温多湿の日本では、開放的な掃き出し窓を設け深い庇と、通風によって涼を得るのが夏の過ごし方であった。エアコンのない時代、人はささやかな涼に敏感だった。打ち水に涼しさを感じ、朝顔や、夕顔の影にさえ涼を感じていた、自然と応答することで得られる快感を大切にしてきた。

江戸時代の俳人其角にこんな句がある、『夕涼みよくぞ男に生まれけり』この句がはしたない句と思う人には、清少納言の枕草子がある、冒頭に春はあけぼのといい、『夏は夜、月のころはさらなり、やみもなほ、蛍の多く飛びちがいたる。またただ一つ二つなどほのかにうち光て行くもおかし、雨など降るもおかし』と歌われる。ささやかな涼に目を向ける、自然と共生して暮らすことの歓びが見えてくる。

工学と文学の間に谷間があるとは思えない、あるのは認識の深さの違いである。ささやかな涼に敏感だった住まい方を大切にしてゆきたいものだ。

 

 




民家移築再生 (6) 秦野から藤沢へ

2015-01-17 14:10:48 | 民家再生、現場

2014.11.15    3丁目の現場 上棟式を迎える




 

  


建て主さんの移築再生への思い 

わたしたちの民家移築への道 ~その2

1115日、予定通り上棟式となりました。天気は晴れ。秦野の古材は先週から運び込まれ、大工さんは、古材の組み立ての順番を考えながら準備をしています。

組み立ては150年前には使わなかったクレ-ンがフル稼働しています。では150年前はどうやって組み立てたのでしょうか。気になるところです。基礎工事での建物の広さは、クレ-ンで柱梁を立ち上がると高さが加わるだけで、家の大きさや形がダイレクトに伝わります。

特に太い大黒柱が建ち、太い梁が交差すると、それはダイナミックです。自分たちが暮らす家が本当に組み立てられている。それもあの解体した秦野の村上邸が僕らの土地に組みあがるだけでワクワクします。

150年の時を経た材料は、1本ごとに微妙に曲がっています。長い時間の中で、お互いを支えあった結果です。新しい材料であれば、すべて計算通りに組み立てることができますが、一度解体した古材ではそうはいきません。それぞれの部材のほぞとほぞ穴を微妙に削りながら、隣り合う各々の材料を調整しながらひとつひとつにあったオリジナルの部品を作ります。古民家は柱と梁の組み合わせ、組み立て手順を間違えると完成しません。大工さんたちはダイナミックさと繊細さの両方を調和させて、ひとつの部材の組み立て手順を解体した手順と逆に組み立てます。これらが上手に組み上がる様子はもう芸術のようです。試行錯誤を重ねながら組み立てるので予定の時間通りには作業が進みません。

11月の日暮れは早いです。柱が建ち、梁が組みあがり棟が上がった時は、6時を回っていて真っ暗でした。さあさあ、お祝いの準備です。先ほどまでの作業場を片付けて、立ち上がった家の骨組の中にささやかなお祝いの席を設けました。昨日今日と棟上げをしてくださった大工さんへの感謝の気持ちが伝わっていれば嬉しいです。程よく酔いが回ってきたころ、鳶さんが木遣り歌を歌ってくださいました。おそらく、我が人生において最初で最後の上棟式。胸がいっぱいになりました。設計してくださったGプランニングの清水さん、佐々木さんは、お祝いの上棟飾りをつけてくださいました。両親、弟夫婦、友人もお祝いにかけつけくれて最高の上棟式となりました。これからまた、日々少しずつ完成に向けて施工が進みます。工事の無事故、無災害を思いました。

おまけの一言:150年前の古材。150年前に100年ものの木を切り出したとすると250歳以上?しかし材料の表面を削ると真新しい木の香りがします。まだまだ、若い!!

 
 

民家移築再生 (5) 秦野から藤沢へ

2014-11-29 13:55:47 | 民家再生、現場

 3丁目の住宅   基礎工事はじまる

1 地盤調査の結果8mまで鋼管杭を打つ                 

2 鋼管杭のふた

                       

3  割栗はランマーで締め固める 

                                                                        

4  土間配筋

 

5  土間コンクリート打設.立ち上げ型枠設置

  

6  基礎コンクリート完了

  

7  土台設置

  


秦野から古材運び

1 今回は場所が近いので、施工する大工が自ら民家の解体も行った、古材の釘抜きと洗いなどを秦野の広い敷地で済ませることが出来た為、3丁目の現場での作業がやりやすかったようだ

    

2  3丁目に土台敷き後、当日運び込む様子

   


2014.10.27  

施主メールより

こんにちは
この日曜日には早朝秦野へ行き、材料の運びだしを見て、10時には3丁目で材料の搬入作業を見ていました。秦野の材料は明日ですべて運び出され、3丁目に来ることになっています。
秦野でも、3丁目でも、材料の大きさにあらためて驚きました。
本当に立派です。
土曜日には、土台を置く工事をやっていました。   大工さんは、土台のサイズ  (15×12cm)に、「これは太いよ、ふつうの家の通し柱以上だよ」って言ってました。しかし、運びこまれた材料の大きさから土台のサイズもこのくらいないとバランスが取れないな。と感じました。


  





民家移築再生 (4) 秦野から藤沢へ

2014-11-14 10:57:06 | 民家再生、現場

2014.0915    3丁目の現場地鎮祭

施主メールより   

昨日は朝早くから地鎮祭に出席いただき、ありがとうございました。多くの方がご出席いただき、何とか無事地鎮祭も済ますことができ、感謝の気持ちとこれから竣工までの時間までを考え、身の引き締まる思いがしました。

 

建て主さんの移築再生への思い

わたしたちの民家移築への道 ~その1

 わたしたち夫婦は、家に関するテレビ番組(「渡辺篤史の建もの探訪」「完成ドリームハウス」など)や本・雑誌を見ることが好きで、いつ実現されるかわからない我が家への希望や工夫をよくあれこれと話していました。木造軸組み工法がいいとか和風の家にしたいとか、キッチンは玄関はなどなど、自分たちの年齢や家族構成の変化によりその希望はいろいろと変わりました。

そして、ある日偶然図書館で借りた1冊の本が、わたしたちの家づくりの考え方を大きく変えたのです。

「古民家再生住宅のすすめ」(宇井洋著 石川純夫監修 晶文社)という本でした―――築100年以上の古い民家を解体して移築することができるなんて!今では手に入らない純国産の木材を贅沢に使った日本の風土にあった家に暮らすにわかに、古民家や移築再生に興味を持ち、関係する本を探しては読み、インターネットでも「古民家の移築」について調べるようになりました。

まず夢中になったのは妻でした。「古民家スタイル」という雑誌をバックナンバーで揃えたり、民家再生協会という団体があることを知ったり、「家を建てるなら民家移築しかない!」と思い始めているようでした。

  一方わたしはというと、

「民家はどれも大きくて、うちの土地には入らないな」とか「一体どれくらいかかるんだろう。一会社員には無理なのではないか」と、現実的な問題について考えていました。しかし民家を移築して住むことができたら素敵だねと思っていました。

 「家を建て替えよう!」と宣言したのは、2012年も押し迫った12月の終わりのことでした。

来年の4月には子ども(息子)も中学生になるので自分の部屋が欲しいだろうし、消費税も8%・10%に上がるという。自分は50を過ぎたしこのあたりで家のことを考えるか!と、本当に突然決心しました。善は急げ“”思い立ったが吉日と、「民家移築ができるかどうか相談にのってほしいってメールを送ってみよう」

「古民家再生住宅のすすめ」で紹介されていた3つの設計事務所のうちメールアドレスがわかった2つの設計事務所にメールを送ったのです。 そして、すぐに返事を下さったのが Gプランニングの清水さんと佐々木さんでした。

この1本のメールがわたしたちを民家移築への道へと導いてくれたのです。

 

 

 

 

民家移築再生 (3) 秦野から藤沢へ

2014-10-20 11:32:48 | 民家再生、現場
古民家解体無事終了

屋根をはがし終えた後に大型台風が2度に渡り日本列島横断、途中様子を見てストップしてました。解体開始9月15日~10月16日ばらし終了、後日清掃などを行い、やっと藤沢へ運び込みですが、新天地の方の基礎工事も台風の影響で、立ち上げのコンクリート打ちが遅れ、10月末の予定になります。

         

        

    

「考え方を問われる民家解体』

私が卒業した翌年は東京オリンピックが開催され、新幹線の走り出した年で、私の世代はいろいろな意味でちょうど切り替わりの次期であり、前時代の職人の手仕事を知る最後の世代といってよいだろう。分かりやすい例でいえば、私が最初に勤めた事務所では、図面は当然手描きであった。所長からは設計以前の修業として、デッサンから始まる図面表現を厳しく指導されたことを覚えている。しかし現代はCADに取って代わった。私の少し後、次世代の人間はかろうじて手描きの図面の微妙なニュアンスを覚えている。手描きによる実務を今の若者はまったくしていない。この違いは大きい。後の世代は製図という概念が失われている。なぜならCADによる図面作成は経験値的な積み上げによる製図でなく、数値的な入力にすぎないからだ。民家再生とは関係ないように思われるこのような経験は実は民家再生に直結している。民家は決して数値的操作や図形的操作だけでなされ得ないもので、多くの職人の手仕事の積み重ねで成り立っているからだ。その民家の解体は建物の作業工程とは、ほぼ逆の工程で行われ、構造体だけになった状態になったものを解きほぐしてゆく。金物を使用せずに組まれたこみ栓や仕口の多さや美しさは、眼をみはるものがある。見ていてあきない。話が長くなってしまったが、現代の工業化された、使い捨てられる住宅のあり方に、私たちが忘れていた時代の建築や社会に対する姿勢を再考されることまちがいない。                               清水康造

 

 


民家移築再生 (2) 秦野から藤沢へ

2014-09-30 15:45:35 | 民家再生、現場

 

古民家を解体していて一番感じることは、素性の分からない材料が一切無い事である。比べて現代住宅は分からない材料が多く、また、その成分が不明の材料も多い、別に新しい材料が悪であると言っているのではない、自然素材が最もよく、なんでも昔に戻れというのは簡単である、しかし、現代のライフスタイルでは全て自然材料は難しい、でも、新素材はもうすこし信頼の得られる情報開示が必要ではないだろうか。
古民家を解体していると歴史ある生活用品や農機具などが残されている、自然で正直な時代の建物は本当によいものだ、一軒でも良い民家を後世に引き継ぐことの手伝いができる嬉しさを感じている。

民家解体手順

 民家を解体するということ、その準備と工事順序のドキュメント。

1 まず工事に先立ち、村上さん一家が150年ほど生活された物の整理と
  引っ越しが大変な苦労である。
2 周囲の足場掛けシート養生
3 建具はずし、家の中が明るくなるように、回りの壁を外していく。
4 屋根外し。
5 番付 再利用する全ての部材に、番号をつける。
6 解体。
7 運搬。

解体前

        

 

解体(09.15~09.20)床板利用のため養生

         

                                     


民家移築再生 (1) 秦野から藤沢へ

2014-09-25 13:17:03 | 民家再生、現場

第2東名高速にあたり秦野の民家が壊されてしまう

秦野の民家は日本民家再生協会(JMRA)の民家バンクからの情報でした。

タイミングよく、縁あり藤沢に移築する段取りになり一つの民家を残すことができました。解体から~竣工までのあいだの出来事のご報告と又施主側からの一言も載せていただければと考えております。

秦野の民家



古民家にグリーンを飾る

2014-07-11 11:00:38 | 古民家を楽しむ

ガーデンプランナー北代京子さんが私共の小瀬戸の家に、 グリーンを飾っていただきました。
輸入プランターを扱っています 松尾貿易さんのブログに何点かの写真を載せて
いただきましたのでご覧ください。

http://planterproshop.blog.fc2.com/blog-entry-98.html

 

ガーデニングに興味のある方は京子さんのブログをどうぞ。

https://www.facebook.com/kyokostyle