こちら噂の情報局

酒のツマミになる話題をセッセセッセ。独断偏見は”味付け”です※文中の敬称は略。

我が心の長嶋茂雄82歳HAPPYバースデー

2018-02-20 | 日記

羽生、小平も輝いたが、この人はずっと輝き続けている。
高度成長から、太陽のように日本を照らしている。
ハッピー バースデー ミスター!
長嶋茂雄。
きょう2月20日がバースデー。
もう、
82歳なのだ。

昭和33年、立大から長嶋が鮮烈なデビュー。
新人で29本塁打、92打点の2冠王、.打率305は2位。
3冠王寸前。
37盗塁も2位。
攻走守三拍子が超一級品だった。
本塁打は一塁ベース踏み忘れの1本がなかったら30号だった。

ルーキーで「3割30発30盗塁」の偉業をわずかに逃した。

我が9歳の春。

野球にハマった瞬間だった。

当ブログはすべて西暦表記。
なのだが、なぜか、この時代は昭和表記で書きたくなる。

ソフトボールから我が野球人生は始まった。
大阪・遠里小野小学校4年生。
校内ソフトボール大会。
エース4番で優勝した。
唯一人、校内のプールにホームランを放り込んだ。
心の中の「長嶋茂雄」が弾けた。

バットの振り方、投げ方、走り方、全身が「長嶋茂雄」なりきりだった。
中学で即座に野球部に入った。
ユニホームの着こなし。
もちろん「長嶋茂雄」。
アンダーシャツは黒のハイネック。

テレビが巨人戦しか映さない時代。
昭和30年代。
映画「3丁目の夕日」の時代から、ヒーローであり続けた。

大阪でも巨人ファンが圧倒していた。
帽子はGYマークがほとんど。

だが、生来の反骨精神から私はOTマーク。
「大阪タイガース」ファンだった。
若乃花より栃錦。
大鵬より柏戸。
ことごとく反発していた。

しかし、長嶋茂雄だけは別格。
長嶋に打たれたら「仕方ない」。
巨人は嫌いだが、長嶋はチームを超越する存在だった。

後年、その巨人中心報道の報知新聞に入社。
野球に携わる仕事に従事することになった。
それどころか、幸運に恵まれた。
あこがれの長嶋茂雄と食事を共に出来た。
夢見心地だった。
最初は東京・麻生十番の「冨麗華」。
知る人ぞ知る中華料理の名店だ。

物怖じする性格は持ち合わせていない。
デリカシーのない人、と家族は言う。
だが、この時ばかりは舞い上がった。


緑色の瞳(そう見えたのだから仕方ない)に吸い込まれた。
オーラなんていうものではない。
「ウォ、ホホホ、上海蟹、美味しいですよぉー」
我が取り皿に入れてくれた。
畏れ多くて味など覚えていない。

以来、仕事上ではあるが、数回の会食を重ねた。
感動はずっと、そのままだ。

脳梗塞で倒れ、今は体が不自由だが、太陽のような輝きは失っていない。
羽生も小平も、そして大谷翔平もヒーローだが、我が心のヒーローは永遠に「長嶋茂雄」だ。









2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (馬鹿も一心です。)
2018-02-20 14:07:09
小学校が多摩川べりにあり
お兄ちゃんに連れられて
長嶋さんが入団して多摩川グランドに見に行きました。
お尻が他の選手より大きいのに驚きました。
思い出しました。
Unknown (こちウワ男)
2018-02-20 23:20:02
馬鹿も一心さん、伝説の多摩川グラウンドですか。貴重な見学ですね。プロ選手のお尻のデカサは小学生には驚きですね。私も大阪球場で稲尾投手(西鉄)のパンと張ったお尻には目を丸くしました。下半身が強靭でないと超一流にはなれないんでしょうね。

コメントを投稿