正直、当方にしてみれば、ちゃらい男にしか思えなかった。
モーニング娘。のプロデューサーで人気バンド「シャ乱Q」のボーカルつんく♂のことだ。

ところが今朝、朝食を食べながら芸能面(5日付報知)を見て、思わず目を止めてしまった。
歌手が「声を失った」。
歌を忘れたカナリヤではない。
自らの意思でガンのためとはいえ、職業である歌手の生命線の声帯を切り捨てた。
精神的に凹んでも誰も責められない。
つんくに感動したのは、それでも、なお、母校近大の入学式に、身をさらし出席したこと。
さらに、衝撃の告白をすることで、新たな門出をする新入生に勇気を与えたことだ。
声帯摘出後、入学式のプロデュースをお願いしたい!と母校に依頼され、承諾。
式典のテーマ「Break through」(固定観念をぶっつぶせ)も提案した。
ガン公表後、取材には応じず、声帯摘出も隠し通していた。
「なぜ、私は声に出して祝辞を読み上げることが出来ないのか…。それは私が声帯を摘出したからです。摘出したがんが治りきらず、摘出するより他ならなかったから一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選びました。また振り出しです」
声が出ないので、スクリーンにラインやメールを映し出し、スピーチしたこと。
映像を映し出し、ギターを弾き、それこそ口パクで校歌を歌って見せた。

出来ることではない。
凄いやつだ、そう感じた。
五体満足でも日常的に愚痴ばかりこぼす人間はいる。
「あれが嫌、これが嫌」「勉強が面白くない」「仕事がつらい」
人は何がつらいか?
それは自分の好きなことが出来なくなること。
目標や夢が叶わなくなることだ。

我が身を振り返ってみても、そんな風景はあった。
振り返ると取るに足らぬこと。
それでも、思春期にはとてつもなく大きなことに感じた。
中学野球部時代、利き腕の右肩を亜脱臼。
高校でもだましだまし続けたが、限界が来た。
手術すれば1年を棒に振り、しかも、手術して元の肩になる保証はない。
医者にそう告げられた時は、目の前が真っ黒になった。

65歳の今になって思えば、わずか1年や2年のこと。
取るに足らぬことだ。
命を失うわけではない。
だが、当時は絶望的になり「俺の人生は終わった」と自暴自棄になった。
そのまま、野球を続けても、プロに成れるわけでもない。
せいぜいが野球で大学、もしくは社会人野球にいければ「良し」である。
で、その後の人生は?
人間万事塞翁が馬なのだ。
何が良くて、何が悪いのか?
誰にも分からない。
良くするも、悪くするのも、すべて我が人生なのだ。

少しの期間、タバコすったり、出入りを禁じられていた喫茶店やボーリングなどに興じていた。
ちょいの間「不良」だ。
やがて「このまま卒業して、おれ何になるんやろう」と気づく。
高校最終学年になって、ようやく焦りだし、勉強し直した。
目標のなくなる人生程つらいものはない。
大分、横道にずれた。
話を戻す。
声を生業にする歌手つんく♂。
声帯摘出の決断をしたときは、地獄の苦しみを味わったことだろう。
手術後に声の出なかったつんくの心境はさらにつらかろう。
引き込もりたい思いになっても仕方ない。
喉頭がんで「声」を生業にする人物としては忌野清志郎(09年没)、立川談志(11年没)がいた。
彼らは声帯の全摘を拒否した。
つんく♂はまだ46歳。
平均寿命からすれば、まだ、人生半ば。
それぞれが、決断する。
我が身にも、いつか、そんな時がくるのだろう。
みっともない人生だけにはしたくない。
◆つんく♂(本名・寺田光男)1968年10月29日、大阪・東大阪市生まれ。近大付→近大。88年、バンド「シャ乱Q]結成。98年、モーニング娘。をプロデュース。ヒット曲「ズルイ女」「いいわけ」など。家族は加奈子夫人(34=モデル旧姓・出光加奈子)、双子(6つ男児女児)、女児(4つ)。実家は乾物屋。血液型B。

【つんく♂スピーチ全文】
平成27年度 近畿大学にご入学の皆さん 入学おめでとうございます!この大学の卒業生でもあります私「つんく♂」と申します。正直言いましょう。今日この入学式には、近畿大学に必死のぱっちで入学した人。狙い定めて入った人。結果的に(滑り止めで)近畿大学に入った人。いろんな人がいるでしょう。でも、あなたにとってどの大学が正解だったんでしょうか…それはわかりません。ただ、ひとつ言えるのは、この先の人生で、あなた自身が「ああ、この大学に入ってよかったな」という道を歩めば良いんだと思います。なぜ、今、私は声にして祝辞を読みあげることが出来ないのか…それは、私が声帯を摘出したからです。去年から喉の治療をしてきていましたが、結果的に癌が治りきらず、摘出するより他ならなかったから一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選びました。また振り出しです。そんな私に「今年も近畿大学の入学式のプロデュースをお願いしたい!」と、この大学から依頼がありました。その時に思いました。「ああ、この大学を卒業してよかったな。こんな私がお役に立てるなら精一杯頑張ろう!」そう心に思いました。昨年末から何度も大学とメールでやり取りしたり、スタッフが伝言してくれたり、を繰り返しつつ、今日、この日を迎えました。KINDAI GIRLSの皆さん、吹奏楽部、応援部の皆さん、その他たくさんの学生の皆さんが、今日の日の為に夢中でレッスンしたり、準備してくれました。「みんなで一緒に新入生を迎え入れよう!」と。ここまでの人生はもしかしたら受け身だった人もいるかもしれません。親が言うから…学校の先生がすすめたから…でも、もうすぐ皆さんは成人します。もう自分の人生を歩んで行くんです。後悔しても意味がないんです。今から進んでいくんです。自分で決めて進んで行けば、絶対に何かを得、そしてまた次のチャンスへと繋(つな)がっていくんだと思います。私も声を失って歩き始めたばかりの1回生。皆さんと一緒です。こんな私だから出来る事。こんな私にしか出来ない事。そんな事をこれから考えながら生きていこうと思います。皆さんもあなただから出来る事。あなたにしか出来ない事。それを追求すれば、学歴でもない、成績でもない、あなたの代わりでは無理なんだという人生が待っていると思います。近畿大学はどんな事にもチャレンジさせてくれます。だから何もしなかったら何もしないなりの人生をチョイスすることになるし、自分で切り開いていく道を選べば、きっと自分を大きく育てるようなそんな大学生活になるでしょう。仲間や友人をたくさん作り、世界に目をむけた人生を歩んでください。私も皆さんに負けないように、新しい人生を進んで行きます!だから最後にもう一度言わせてください。皆さん、近畿大学への入学、本当におめでとう!「ああ、良かった!」と思える大学生活をセルフプロデュースしてください!そして、今日のこの出会いに感謝します。ありがとう!
平成27年4月4日
近畿大学入学式プロデューサー つんく♂

でも、職業柄、そんなことは微塵も見せないんだろう…
それがまた、わたしはどうしていいか、わかりません。元気でいてくれればいいなぁ、と思ってます。
私の障害なんて、どうってことないな!って思ったりします。
いま、どうしてるのかな?
やっぱり、ただ者ではないですね!
ちょっと安心しました。
ありがとうございました。
蜻蛉のように前に進んでいるのが、嬉しいです(^_^)
うまくいくことを願います。