55年の短い生涯だった。
漫才コンビ「太平サブロー・シロー」(旧コンビ名)の大平(旧太平)シロー=写真左)が9日午後2時32分、大阪市内の病院で死去した。
シローは4日昼ごろ、大阪市内の自分の事務所で倒れ心肺停止後、一時蘇生したが、意識不明の状態が続いていた。
緊急搬送されたが、意識不明状態になった。
診断では「難治性心室細動」だった。
漫才ブーム時にはB&B、ザ・ぼんちらと人気を分けていた。
だが、その人気とギャラの安さのギャップにシローは吉本を脱退。
東京の芸能事務所移籍をした。
怒った吉本が徹底的にサブロー・シローの芸能活動を妨害、干した。
耐えられなくなった相方サブローは、ほとんど1年間無給で吉本に奉仕。
復帰を許してもらった。
シローはそれを許し難く、反旗を翻した。
が、表舞台から姿を消した。
挫折の始まりだった。
それにしても、漫才コンビの片方の人生が、なぜこれだけクッキリと分れてしまうのか。
「やすきよ」は西川きよしは参院議員までなり、箕面に豪邸を建て、横山やすしは摂津にこじんまりした建売住宅住まい。
肝硬変で他界した。
「紳竜」 は島田紳助が司会業から映画監督などマルチタレントになりお笑い界に君臨。
その後、失脚したものの漫才界のドンにまでのし上がった。
だが、松本竜介は十三のストリップ小屋の呼び込みまでしながら脳溢血で亡くなった。
若井小づえ・みどりは小づえが他界、ベイブルースは河本 、大阪外大出のインテリ漫才の非常階段はシルクがダイエットで人気を博し、ミヤコは若くして死んだ。
死んではいないが、今はオセロ。
松嶋尚美はバラエティー番組で独特の味を出しながら、中島知子は失恋話から、変な占師にかかり家賃滞納騒ぎまで起こしている。
先行き不透明な人生を送っている。
コンビがまるっきり人生の明暗を分けている。
そのことに、今さらながら驚かせられる。
個性が強いほど、火花が散る。
芸に磨きがかかって見るもの、聴くものを魅了するのだろう。
だからこそ弾け、分裂する反動も大きいのかもしれない。
なんだか、夫婦のあり方にもみえる。
★太平シロー(本名:伊東博)1956年10月30日ー2012年2月9日、難治性心室細動、享年55。大阪・泉大津生まれ。泉大津市立誠風中(同級生にオール阪神)→府立泉大津高校→松竹芸能→吉本興業→東京の芸能事務所→吉本興業。76年に大平(当時太平)サブロー(55)のコンビでデビュー。80年代にNHK上方漫才コンテスト最優秀賞などを獲得。先輩芸人らのモノマネも得意とし、人気者となった。88年、サブローと一緒に吉本を離れ東京の芸能事務所に移籍。吉本興業が激怒、表舞台から干された。
◆難治性心室細動 心臓が小刻みに震え、全身に血液を送れなくなる病気。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます