真っ直ぐな言動で人気の落語家が逝った。
桂ざこばが12日未明の3時14分、自宅の大阪・吹田市で亡くなった。
死因はぜん息、享年76。
死因はぜん息、享年76。
桂朝丸の時代からユニークな落語家だった。
「動物いじめ」は出色。
情報番組「ウィークエンダー」も印象に残っている。
ざこばを襲名後、硬派番組「そこまで言って委員会 」(YTV関西ローカル)などで毒舌を吐いた。
私にとってざこばと接触したのは、そんな芸の世界ではなかった。
私にとってざこばと接触したのは、そんな芸の世界ではなかった。
95年6月、大阪市内の路上でざこばが、やくざに襲撃された事件。
暴対法キャンペーン「親分はつらいよ」の高座が原因だった。
ABC放送(当時は大阪・大淀)からの帰宅途中、バイクに乗ったフルフェースのヤクザが金属バットでフロントガラスを割った。
早速、千里ニュータウンにあったざこばの自宅にかけつけた。
暴対法キャンペーン「親分はつらいよ」の高座が原因だった。
ABC放送(当時は大阪・大淀)からの帰宅途中、バイクに乗ったフルフェースのヤクザが金属バットでフロントガラスを割った。
早速、千里ニュータウンにあったざこばの自宅にかけつけた。
レンガ造りのオシャレな家だった。
性格そのままのざこば師匠は、大変な事件にもかかわらずリビングに招き入れてくれた。
さすがの師匠も恐怖感に包まれていた。
可愛がっていた愛娘の関口まい(41)は当時、まだ多感な中学生。
それが縁で、タレント志望だったまいのことも取り上げた。
以来、毎年賀状のやり取りもした。
性格そのままのざこば師匠は、大変な事件にもかかわらずリビングに招き入れてくれた。
さすがの師匠も恐怖感に包まれていた。
可愛がっていた愛娘の関口まい(41)は当時、まだ多感な中学生。
それが縁で、タレント志望だったまいのことも取り上げた。
以来、毎年賀状のやり取りもした。
17年、脳こうそくで倒れた。
癇癪持ちだけに失礼ながら病に倒れるなら、そうだろうな、と思った。
「早く復帰へリハビリして下さいよ」
したためたハガキを出すと、律儀に返信してくれた。
番組中にたかじんと大喧嘩した、あの真っ直ぐな性格は健在、と思えた。
「早く復帰へリハビリして下さいよ」
したためたハガキを出すと、律儀に返信してくれた。
番組中にたかじんと大喧嘩した、あの真っ直ぐな性格は健在、と思えた。
高座に復帰したものの昨年秋ごろから入退院を繰り返していた。
親しい人に聴いた死の間際も師匠らしかった。
亡くなる前夜、普通に夕食して寝た。
ぜん息の発作は夜中、梅雨時が多いようだが、師匠もそうだった。
いつものように夫人に「薬ちょうだい」と声かけた。
薬を飲んだ後、意識を失った。
慌てた夫人が救急車を呼び、病院に搬送。
帰らぬ人となった。
他人事とは思えぬ最後のシーンでもあった。
亡くなる前夜、普通に夕食して寝た。
ぜん息の発作は夜中、梅雨時が多いようだが、師匠もそうだった。
いつものように夫人に「薬ちょうだい」と声かけた。
薬を飲んだ後、意識を失った。
慌てた夫人が救急車を呼び、病院に搬送。
帰らぬ人となった。
他人事とは思えぬ最後のシーンでもあった。
二人の孫のどちらかに「桂朝丸」を継がせたいが、生前の口癖。
そんな夢は天国で見守るしかない。
◆桂ざこば=本名・関口弘(せきぐち・ひろむ)。1947年9月21日ー2024年6月12日、死因はぜん息。享年76。大阪・西成区出身。日本橋中ー63年、15歳で桂米朝門下生。桂朝丸の名で「動物いじめ」(数々の動物をいじめるネタ)でブレーク。「ウイークエンダー」(75~84年)の読売TVリポーターで全国区。88年、41歳で2代目桂ざこば襲名。「ざこば・鶴瓶らくごのご」「ときめきタイムリー」「痛快!エブリデイ」「ちちんぷいぷい」など在阪各局のバラエティーで活躍。08年、寄席「動楽亭」(大阪・西成区)をオープン。上方お笑い大賞。芸術選奨文部科学大臣賞。次女の関口まいはタレント。家族は真弓夫人と娘二人。