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水島保男外伝版ブログ

UFOと宇宙の探求、そしてジョージ・アダムスキーとバシル・バンデンバーグの偉大な功績を辿って・・

バーグメモの秘密3

2015-01-24 13:35:14 | 日記


バーグ氏は、葉巻型母船の構造図を金星文字の解読により描いているが、これでアダムスキー氏が撮影した母船とスカウトシップの両方に、あのモーターがどのように使用されているのかが分かる。

この母船の構造設計はどこから導き出したのであろうか?

ここにもう一つのバーグメモがある。


二つの長さの違う馬蹄形磁石を、金星文字中央の図形に書き加えたものである。
この図形を回転によって並べた解読方法を私は行ったのであるが、バーグ氏のモーターの写真にみられる馬蹄形構造は、この図のどちらかの馬蹄形が並んだものと思われる。

気の早い人はこう思うだろう!
「そうだ!この形に馬蹄形磁石を並べれば、永久磁石の磁力で回転する永久モーターができるに違いない!」
そう思った方々は早速やってみるとよい。
頭の中で理屈だけをこねまわしていてはわからない。やってみることだ!
よし、やってみよう・・・と思われた方への私なりのアドバイスをしておこう。

「あなたはまんまと情報操作に引っかかってますよ!」
「このような思考方法に、つまり永久磁石だけによる永久機関、これこそ人類の夢のエネルギー源だ!なんて思っていると、それこそ永久に出来ないでしょう」

バーグメモの秘密2

2015-01-06 23:07:40 | 日記

アダムスキー氏のフィルムに残されていたバーグメモの一枚には、コンタクト現場に残された足跡の解読メモがある。
私が最も不思議に思ったバーグメモであるが、この足跡からバーグ氏はなんと「馬蹄形」の磁気の技術利用にたどり着いている。

この足跡から磁気の技術的アイディアにたどり着くとは、いまもなお不思議でならないのだが、バーグ氏は「馬蹄形磁石」にその技術的発想を当てはめた。

金星文明と地球文明との接点

2015-01-02 13:41:03 | 日記
昨年2014年の夏、イギリスの穀倉地帯に出現したクロップサークル

ジョージ・アダムスキー氏が伝えた金星のシンボル図形

ペトラ・ピンダータ遺跡でマルセル・オメ教授により発見された象形文字

アダムスキー氏の著書で公開された金星文字

私、水島保男が発見した金星文字解読方法の一例

バシル・バンデンバーグ氏のモーターと金星文字



あけましておめでとうございます
今年は何かが始まる予感・・・・・

バーグメモの秘密1

2014-12-29 16:13:59 | 日記
乗り込んでいた爆撃機を追跡してきた「フーファイター」を、なんと3時間も詳細に観察し情報部に報告を行ったバーグ氏。
3時間という長い時間、UFOの詳細な観察を続けた経験を持つ人物はそうはいない。
最も詳細なUFOの観察者であることは間違いないが、その人物が、自分の目撃したUFOとアダムスキー氏の著書に掲載されたUFOの形状が同一であることを証言し、10年の月日を、アダムスキー氏の著書に掲載されていた「金星文字」の解読と試作に捧げたのである。
そしてUFO、正確には金星文明の宇宙船である「葉巻型母船」と「スカウトシップ」に使用されエネルギー源となっているモーターをついに作り上げた。
そのモーターは見るからに手作り、つまりたった一人の力でここまでこぎつけたのである。

彼は金星文字(文字と言っても設計図となる法則性をもって配置された図形)から何を理解し何を考えたのだろうか?

このスケッチメモをみるかぎり、アダムスキータイプとして良く知られたスカウトシップの輪郭に合うように図形配置に赤線で加筆し、その文字のスカウトシップでの役割を考察しているようにも思われる。
そしてその考察によって得られた結論はこれだ。

スカウトシップの断面図に幾つかの「文字」の形状を当てはめている。

このようにバーグ氏はコツコツと「その意味を拾い集める」という正に難儀な解読を行ったのである。

この金星文字と呼ばれた図形は、マルセル・オメ教授が南米古代遺跡で発見した石に刻まれた古代象形文字とうり二つだった。
オメ教授によれば、1万数千年以上昔の遺跡で、現在知られているいかなる古代文明のものではないという。
1万数千年前といえば、あの海中に没したと言われる「アトランティス」のものであろうか?
1万数千年という時を隔てて、金星文明と地球文明の接点となったアダムスキー事件、そしてバシル・バンデンバーグ氏による実際的証拠となりうる技術的大発見を、改めて考察し現実の世界に引きずり出す丁度よい時期にさしかかったようである。



バシル・バンデンバーグ氏の遺産

2014-12-28 13:33:31 | 日記
1963年、バーグ氏はアメリカでその発明の科学者達への公開を計画し、アダムスキー氏と面会するため旅行に旅立った。
その結果、彼はスイスで行方不明となって、今もなお、その所在も発明技術もバーグ氏の試作機もすべて闇に葬られたままである。
残されたものは、アフリカン・ステム紙の記事と一枚の掲載写真、フライングソーサー・レビュー誌のインタビュー記事とバーグ氏の寄稿、アダムスキー氏の講演活動用16ミリフィルムに残された数枚のスケッチメモだけである。


さて今回はフライングソーサー・レビュー誌のヒューマン記者によるインタビュー記事を紹介しよう。

この事件におけるコンタクティー(異星人に会った人) というのはヨハネスバーグ (注=南アフリカ共和国トランスヴアール州の商業・金鉱の中心地で南アフリカ最大の都市)のバシル・バンデンバーグ氏であった。私はいつもジョージ・アダムスキーを信ずる傾向にあり、このコンタクトも主として問題のアダムスキーの象形文字に基づくものなので、個人的iにバンデンバーグ氏に会うことに熱中していた。
2人は文通を始めたが、私は彼の謙虚さ、誠実さ、率直さに感銘を受けた。ついに第一回の会見に相互の都合のよい日がとりきめられた。1962年8月2日、木曜日の朝、会見のためにヨハネスバーグのエロフ街を歩いて行くときの私の感情と想念を説明するのは困難である。ある町角に接近したとき一人の背の高いすらりとした親切そうな目付きの男が、流れゆく買物客の列を見つめているのに気づいた。それがバシル・バンデンバーグだった。そのコンタクト実話が南アフリカで大センセーションを起こしたが、ついには星々への道を切り開くかもしれない魔法の公式を持っていると称するその男と私は握手した。
会見の模様
二人はすぐに好都合な喫茶店を見つけて静かな場所にすわった。私のカバンの中には一冊の『空飛ぶ円盤評論』誌が入っているが、それにはアダムスキーの象形文字と驚くほどよく似た象形文字の刻まれた玉石を北部ブラジルで発見したというマルセル・オメ教授の驚くべき記事が載っている。
私は相手がふくらんだ折込カバンと奇妙な肩かけカバンを持参しているのに気づいた。彼はそのふくらんだやつを調べてみろといって私に渡した。それはアダムスキーの象形文字を解読して発明したモーターの一部分である。その物体は鋼製らしい。私がその重量と"生きているように見える"事実を口に出すと彼は微笑して言った。
「それが生きていることに気づいて下さってうれしいです。ほら、ここに磁石(複数)があります!」
それから彼はきわめて詳細にその重要性を述べて、明らかにその製作に関係あるぼう大な量の仕事を示すファイルを開いた。そこには数百の三角形のような図面があった。私はいかにもわかったような顔をしてしばしば偉そうにうなずいたが、同時に相手をあわれんだ。科学的なわけのわからぬ言葉がこちらの無理解な耳に響いてくるからだ。私は思った。
バシル君、キミは救われないやつだなあ。そんなこたあおれには何の意味もないよ!
彼はわかっていたにちがいない。突然次のように尋ねたからだ。「それであなたがあれほど見せたいといっていた雑誌には何が載っているのですか?」
ブラジルの象形文字に関するオメ教授の写真を見せたとき相手の反応がどうなるだろうかと思った。彼は瞬間呆然となって叫んだ。
「こいつは驚いた!全く奇怪なことだ!図形がさかさまになっている。だがこれをごらんなさい!」
彼はアダムスキーの金星文字の2枚のプリントを取り出した。それは、アダムスキーの書物に掲載されている写真をすばらしくきれいにしたものであることがわかった。続いて彼はアダムスキー写真とオメ写真とを比較して、多くの類似点を興奮して指摘した。 二人のお茶はもう冷えていたが、それどころではない。
「この雑誌を私にゆずって下さい。拡大鏡でもっと調べたいんです」と彼は懇願した。
「喜んでゆずりますよ。だが時間がきた。ステム誌の人たちを待たせるわけにはゆかない」。 同誌も私がヨハネスバーグに来たことを知っており、我々2人とインタビューしたがっていたのだ。
ステム誌の事務所へ急ぎながらバンデンバーグ氏はアダムスキー写真の立体的な内容と、拡大鏡で文字を調べるたぴに新しい意味を発見した様子を説明した。「与えられた細目のすべては無限であるように思われます。アダムスキーの写真に彼らの意味を含ませることができるとはこの金星人たちはすばらしい科学者であるにちがいない。

私は符合を解読するのに昼夜努力しました。たびたびやめようかとも思いましたが、こつこつと続けてやっと難儀な仕事に成功したのです。
まもなくモーターを作りました。すベての細目はそこにありました。最初のモーターが準備できた日を決して忘れません。完全に作動しました。その日は私の誕生日でした。それからかプラザーズ(異星人)に出会ったのです」 二人はステム社に近づいたのでそれ以上に詳細を聞こうとはしなかった。地下から印刷機の音が聞こえてくる。私は30年前に自分が印刷所で働いていた頃を思い出した。当時は罪な空飛ぶ円盤など知られてはいなかったのに。
やがて2人は広々とした事務所へ案内された。型どおりの紹介の後、私は非常な不安をもって席についたが、そうはいうものの円盤とそれを操縦する人たちを防衛する立場に立つことを名誉に思った。心配する必要はない。私はまじめな友人たちの集まりの中にいる。彼らも"信ずる人"なのだ。
それは面白い体験で、インタビューは3時間近く続いた。またもオメ教授が議論の的になり、私の貴重な専門誌がもう一度持主を変えることになった。翌日の日曜日に掲載される記事に写真をつける必要があるからだ。
このステム社の人たちが示したように、あらゆる新聞のあらゆる編集者が円盤、特にその専門誌に興味を示してくれればよいがと思う。
うれしかったのはインタビューのあいだバン・デン・バーグ氏が私の意見や評言を支持してくれたことである。
また私はこのおだやかな気取らない"やり手"がステム編集陣から明らかに尊敬されているのに感動した。
数時間後私はバンデンバーグ氏をバスまで見送ったが、ついにコンタクトの件については語らなかった。読者に想像してもらうには彼の手紙を引用するより他に仕方がない。
「現段階ではっきりさせたい点は私とプラザーズとの会見に関して生じたステム誌編集者による誤解です。最初のコンタクトではプラザーズはただ象形文字の解読において私を正しい軌道にもどそうとしただけでした。5年たってから私は動揺し混乱していたからです。その5年間にモーターはすでに完成していました。」
「2度日のコンタクトは短時間で行なわれ、第1回目のコンタクトを確証しただけです。うわさとは違って、プラザーズは自身のスケッチを持参したのではなく、また象形文字の解読を全然助けてくれませんでした。くり返します。プラザーズはただ従うべき正しい道を指摘しただけです。私は正道からはずれていて、自分の感情に頼ってプラザーズとのテレパシツクな交信力を失っていたからです。それがプラザーズの来訪の唯一の目的でした。」
「それ以来私は多くの解決をなしとげ、自分自身の努力によってばく大な知識を獲得しました。プラザーズは"感情による妨害"の愚かしさを教えてくれ、以来私は感情に対しては警戒的となり、こうして互いのテレパシー交信径路を確立させたのです。」
「私の目的はアダムスキー氏の真実性と、あの象形文字はこの世界のものでないことを万人に立証することにあります。私は象形文字のことを隠したまま『あの発明は自分一人でやったのだ』とウソをつこうと思えば容易にできます。そうすれば地球上のだれ1人としてそのウソに気づかないでしょう。アダムスキーでさえも!」
私は常にジョージ・アダムスキーを信じていたが、同様にバシル・バンデンバーグをも信ずるものである。