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水島保男外伝版ブログ

UFOと宇宙の探求、そしてジョージ・アダムスキーとバシル・バンデンバーグの偉大な功績を辿って・・

核エネルギー対UFO 1

2017-12-11 14:07:46 | 日記
2014年1月29日、アメリカ政府は日本政府に対して、戦後の核エネルギーの平和利用研究の名目で、日本に預けたプルトニウム300Kg超の返還を要求した。
報道によれば「この高濃度放射性プルトニウムは、米国が冷戦時代に研究目的で日本に渡したもので、40~50発の核弾頭を製造できる」という。
この日本を舞台とした核エネルギー政策に関する問題の核心に触れる報道の一週間前、1月23日午後9時ごろ、沖縄の那覇、浦添、北谷などの広範囲な地域で多数の人々が同時に西海岸に浮かぶ光体群を目撃、スマホなどによる幾つかの同時観測撮影された動画が、沖縄タイムスの動画報道(1月24日)などyoutubeに次々と投稿掲載された。




那覇市識名より撮影された光体群、那覇空港北端の後方に数を増やしながら現れた

数分後、二回目の光体群が沖縄県庁の上に直線状に並んで見えるよう現れた

同時刻に浦添市より目撃撮影された光体群

北谷市の美浜カーニバルの観覧車を望む位置に撮影された光体群

沖縄タイムスでの25日の報道の時点では、航空自衛隊も米空軍も「訓練」は行っていないと回答している。
その三日後の28日、那覇の謎の光騒動がネット上で拡散される中、在沖米海兵隊報道部が異例の報道を発信した。
「第三海兵遠征軍が那覇の南西の射爆撃場で、航空機からの照明弾発射を伴う訓練をしていた」というものである。
また、那覇市の西北西には出砂島、鳥島、久米島の3射爆撃場があるが、場所も発射した機種も回答していないのである。
そもそも那覇の南西に位置する射爆撃場は存在すらしていない。
しいて言えば、那覇より西南西400Km沖合にある射爆場ということになるが ?


これは明らかに「照明弾」とすることで騒動の鎮静化を図った情報操作である。





セドリック・アリンガムとパトリック・ムーア

2015-09-01 19:17:15 | 日記


全く同一の愛用望遠鏡と写した二枚の写真。

もうお分かりと思うが、セドリック・アリンガムとパトリック・ムーア氏は同一人物なのである。
セドリックという名前は貴族を象徴する名前であり、アリンガムはイギリスを代表する推理小説作家の名前である。

まるで「この謎を解いてみろ!」と言わんばかりの写真と共に「あなた自身で答えをみつけよ!」と彼の哲学を貫いた。


火星人に会った天文学者 3

2015-08-31 19:42:54 | 日記

国際月面学会の会頭である故パトリック・ムーア氏については、前記の通り、偉大な天文学者としての国際的評価を浴びるも、ムーア氏自身は「アマチュア天文家」であると主張し続けた。
英国王立天文学会に対するムーア氏の功績は、天文学者たちの「机上の空論」の権威獲得競争とは無縁の地道な観測による実体験に基ずき導き出された「現実」を解析したものである。

この「現実」を解析する・・・という天文家にとって最も貴重な学問の心得を実践し続けた稀に見る「頑固者」こそ故パトリック・ムーア氏であり、「自分自身で考え答えを知る」という哲学に満ち溢れた人物でもあった。
彼は晩年、自分の私財の殆ど全てを「自分の力で考え、答えを導き出すことのできる子供たち」の育成に役立てることに専念した。
パトリック・ムーア杯という子供たちの為のチェスの大会を組織し、社会貢献に打ち込んだ人物でもあった。

火星人に会った天文学者 2

2015-07-08 19:51:44 | 日記

セドリック・アリンガム

1954年2月、スコットランドを旅行中の天文家セドリック・アリンガムは、一機のUFOと遭遇、そのUFOの撮影に成功する。

ここまでならよくある目撃談だが、アリンガムの場合、なんとそのUFOが目の前に着陸するというとんでもない出来事に遭遇するのである。

アリンガムは着陸したUFOより現れた人物と、30分ほど身振り手振りでの会話を行う。


その会見で分かったことは、UFOから降り立った訪問者は、私たち地球人と何ら変わることのない人間であったこと。そして火星から彼はやってきたという事実。
そして重要なのは、火星からの訪問者は、地球でまた戦争が起こるのかということを心配していた様子が窺えることであった。
1954年、原水爆実験を所構わず行いだしていた地球を憂いての訪問であったということだ。

この地球の大問題は後に深く触れていこうと思っている。

さて、このセドリック・アリンガムなる人物は一体何者なのであろうか!

火星人に会った天文学者 1

2015-05-08 16:47:00 | 日記

英国王立天文学会、国際月面学会のボスであった故パトリック・ムーア氏

故パトリック・ムーア氏は、世界で最も謎に満ちた人生を送ることになった偉大な天文家である。
詳細な月面図をウィルキンス博士と共に、目視観測による月面スケッチを元に完成させたことでも有名である。
Sky at Nightという英国BBC放送による天文番組のMCとして50年に及ぶ活動を続け、観測の伴わない理論天文学者とは一線を引く偉大な天文家である。

英国王立天文学会の会長を務め、特に月理学における真のエキスパートとして世界中の天文家の信頼を得ていた。日本においては、月理学での第一人者京都大学名誉教授の故宮本正太郎教授と親交があり、世界の天文学の発展に功績を残し続けた人物である。

故パトリック・ムーア氏の著書に「月 形態と観察」という月面観測のバイブルともいえる専門書がある。
この月の専門書の翻訳を故宮本正太郎先生が翻訳し、日本の天文家にも多くの影響を与えた。
そう言う私も、故ムーア氏と故宮本正太郎先生の月面観測にかける情熱と功績に強く影響をうけた一人でもある。

私が以前、旧書名「新第三の選択」を出版後まもなく、ある出版社の雑誌対談企画で故宮本先生と対談する企画が持ち上がった。
故宮本先生から出版社に次のような返答が返ってきた。
「月面観測におけるUFO現象等の対談企画ということですが、天文学者の私には勝ち目がありません。恐縮ですがご遠慮いたします」
ということで、この企画は実現しなかったが、その意味するところは大きかった。
日本を代表する月理学の第一人者と評価される天文学者の立場をご理解ください、ということである。
また、この返答の奥には、故ムーア氏と親交を持ち彼の専門書を翻訳することで知った「月や惑星の秘密」を良く知っていたのかもしれない。それと故ムーア氏の天文学者としてのUFOに関する立ち振る舞いを見習ったのかもしれない。


本を読む故パトリック・ムーア氏 その題名に全ての謎の本質が隠されている