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山崎幹夫の各種センサー

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映像のエロ表現その3/物量の下支え

2010年12月24日 23時32分28秒 | 映画表現の辺境へ
エロ表現を考えるにあたって、ひとつ気になったことがあった。「そうだ、俺は松沢呉一さんの著作を読んだことがない」ということ。
それで都内に出たついでに大書店で探してみた。
お、これはいいタイトルじゃないですか『クズが世界を豊かにする』だと。思わずジャケ買いならぬタイトル買いしてしまいました
内容は映像に関するものだけれどYouTubeをネタにしたネット論みたいなもので、あまりエロとは関係してこない。でも、タイトルに感服いたしました。
そうだよ。
大量に生産されるクズな表現があってこそ、その「掃き溜め」のなかから、これまでにないユニークな表現がハイブリット合成されてくる。
だって、日本映画がそうだったでしょ。プログラムピクチャーと呼ばれた、大量のまるで評価されないようなたぐいの映画があってこそ、特異な変種としての『仁義の墓場』や『(秘)色情めす市場』が生まれたんじゃないでしょうか。
と、すれば。
ここ20年ぐらい、いや25年ぐらいかな。大量に生産され、消費されているエロビデオから、なにか新しい表現が生まれてきているはずではないか。自分のアンテナにはキャッチされていないけれど、すでに、そんなふうなユニークな表現は生まれているのではないか。

映像のエロ表現その2/コスプレ

2010年12月23日 23時42分46秒 | 映画表現の辺境へ
コスプレはエロいと思う。
しかし、コスプレのエロさを表現した映像を見たことがない。
コスプレのテレビ番組はある。コスプレの専門誌や写真集もある。それらを見ても少しもエロさは感じない。
どういうこと?
やはり記憶をほじくり返してみる。そうそう。あれは2009年の東京ゲームショウの会場だった。フロアを、添付画像のようなコスプレでゆっくり歩いていたのに遭遇した。
これはけっこうエロいと思いましたね。
添付画像はフラッシュを光らせて撮っているけれど、基本的にゲームショウの会場は暗めになっている。そこを多くの人がせわしなく行き交っているのだけれど、いきなりこんなコスプレが目の前に現れたら、それはちょっとぐっときますよ。
画像ではわかりにくいかもしれないけれど、このコスプレは一般のコスプレイヤーではなくてコンパニオン。あるゲームの宣伝のためにゲーム内キャラの格好をしている。
ポイントは鉄仮面でしょうか、顔を隠している。それも金属の仮面で。さらにそこから鎖が出ていて、男性スタッフ(これがフツーな服装であるところもgood)が彼女を引いている。
しかしこのありさまをそのまま映像にしてもエロくはない。
こんな感触をどうにか映像に置き換えていくことを考えねばならない。いや「ねばならない」というほどのことでもないのだろうけれど、考えることは苦し楽しいことだと思う。
(「剣闘士」というゲームのキャンペーンだったようです)

映像のエロ表現その1/わき毛

2010年12月21日 23時31分28秒 | 映画表現の辺境へ
作家論はあとにして、まず考えたいのが「映像でのエロ表現」だ。自分はこれまでいろんな映画をつくってきたけれど、まともに「エロ表現」に立ち向かったことはない、それは「エロ表現はジジイに近づいてこないとムリかも」と思っていたからだった。だって、小説で言えば、川端康成にしても谷崎潤一郎にしても、偉大なエロ表現はジジイになってからでしょ。
しかし時期尚早かもしれないけれど、50歳も過ぎたことだし、あれこれ考えてみることにしよう。

80年代にアダルトビデオというものが出回ってから、映画は「エロ表現」に関しては遅れをとっているような気がする。
けれども「じゃ、凄いエロい映像での表現って、何があるのよ」と考えてみると、じつは「これだっ」というのがないことに気づく。いや、リサーチ不足かもしれない。なにしろ映画のみならず、アダルトビデオ、それも合法非合法ふくめると、とんでもない数のエロ表現が世の中に出回っているわけだし。
でも、記憶をめくり返してみよう、何がエロい映像だったか。
うーん。
そうね。黒木香のわき毛見せびらかしはエロかったかもしれない。
20年前ぐらいでしょうかね。テレビでももてはやされたから、若い人は知らないかもしれないけど、ある程度の世間的認知はあったでしょう。
あれは一種の隙間産業みたいなものでもあったし、それに黒木香さん本人のエロ女優力みたいなものがあった。
それまで映画でのわき毛と言えば50年代イタリア映画の『苦い米』でのシルヴァーナ・マンガーノのわき毛がうんぬんされるくらいだったと思う。日本映画だとラインシリーズの三原葉子とかかな。でも、それがエロいというはっきりとした認識ではなかった。
それを「どうです、エロいでしょう」と見せつけることに意義とショックがあったわけだ。フェチ意識を見事に掘り起こしたわけだ。
似たようなことは恐怖とか笑いにもある。恐怖を引き起こすものを映像で提示するのでなく、恐怖の反応をしっかり見せることで観客の反応を誘発する。おなじように笑いの発作をうまく見せることで笑いを誘発する。

そう考えてみると、これはちょいとズルい手段だな。

自作品ヒロイン列伝その5/伊東香穂里さん

2010年12月20日 22時35分26秒 | 映画表現の辺境へ
『虚港』に出演していただいた伊東さんは小劇場演劇をずっとやってきた人。とある人の紹介で、この映画への出演候補者として最初に会ったときに着ていたものがインパクトありました。
それが画像のやつです。『虚港』の最後の方の、画家(使用させてもらったアトリエは田谷京子さんという銀河画報社のスタッフでもあった人のところ)の役をしているショット。このときに着ているツナギを、最初に会ったときも着ていたのだった。
すごいアンバランス。浅丘ルリ子なみの30kg台の細い身体であのお顔ですから、とてもガテン系職業だとは思えない。でもそこが小劇場演劇の人なんだよね。ホントにガテン系のバイトしていて、その帰りだったものだから、ツナギ着てそのまんま待ち合わせ場所に来たわけですよ。
まるでちぐはぐなコスプレでもしているかのように見えました。

というわけで、なんでヒロイン連載したかというと「それで6人目のヒロインはこの人!」というふうにしたかったわけですよ。
すでに決まっているんですが、スケジュールの都合上、撮影は年明けてから3月ぐらいにして、4月のラ・カメラで公開する予定。
そう「予定」なので、ここではまだ紹介いたしません。
それと、1998年ぐらいに撮影して、まだ公開していない作品『Like a Heavenly Edge』というのがありまして、ここでは2人のヒロインがいるのね。フィルムは手元にあるからアップ画像をつくって紹介することは簡単なのだけれど、そもそも公開していないわけだから「自作品のヒロイン」として紹介するのは反則行為かと思って。

というわけで自分語りはこれで終わりにして、次からはまた客観的な記載に戻ることにしましょう。

自作品ヒロイン列伝その4/緒川たまきさん

2010年12月17日 23時38分51秒 | 映画表現の辺境へ
『プ』を観たことのある人なら、ストーリ上のヒロインはリリコ(木村なつみ)=ウジャキ婆さん(北田フサノ)だと了解できるだろうけれど、表向きにはヒロミ(緒川たまき)がヒロインということで。
ストーリー的には「若くてきれいだけど、まー、それだけ」という役柄なので「こういう人でなくてはならない」というこだわりはなかった。
いろいろ調べてみたり、じっさいに打診してみたり、アドヴァイスをいただいたりしたのだけれど「これだっ」という人が見つからない。そこでキャスティングコーディネーターということを職業としている人に依頼したのだった。「若くてきれいというだけで他は注文はない。だからできるだけ手あかの付いていない売り出し中の人をよろしく」と。
そうして10人弱ぐらいの人と面接した。
決めるのはたいへんにラクだった。緒川たまきさんがダントツにユニークな個性を発揮していたので。

今回画像を選択するのに当たって「あれにしよう」と思っていたカットがあった。撮ったけれど、じっさいには映画で使っていないカットで、いいのがあったのだった。
しかーし、残念ながら見つかりませんでした。NGカットだから元フィルムも処分しているだろうし、ワーク用のテレシネテープは私の手元にはなかった。ああ、残念、いい表情のショットだったのにな。森崎偏陸さんが持ってなかったら、この世からは消滅したことになるかも。
ということで、宣伝材料写真からの画像で。

自作品ヒロイン列伝その3/犬飼久美子さん

2010年12月16日 22時57分42秒 | 映画表現の辺境へ
5人のヒロインのなかで、彼女だけ亡くなっています。あまり症例のない病気で、37歳のときに亡くなってしまいました。合掌。
彼女が札幌に登場したのは、ちょうど札幌で映像通り魔を旗揚げした頃だから、1983年ぐらいのことだと思います。
青山学院大学の出身(中退だったかな?)で、石井聰互さんのダイナマイトプロでお手伝いをしていたのだけれど、何の事情(男関係か?)があったのか、出身である北海道に戻ってきたのでした。
で、映画にかかわりた気持ちがムンムンとあったので、私たちと知り合いになったわけでした。
出演してもらったのは、
(『逆行の夏』)←添付画像はここから。
『散る、アウト。』
『陸路は夜の底に沈み…』
の3本。
『逆行の夏』は映像通り魔の共同制作というかたちでつくったので、これまた私のフィルモグラフィーには入れていません。
PFFにも入選した森永憲彦『PATINKO』や山田勇男さんの『悲しいガドルフ』にも出演しています。

自作品ヒロイン列伝その2/石丸ひろ子さん

2010年12月15日 23時16分30秒 | 映画表現の辺境へ
彼女は『ゴーストタウンの朝』だけに出演してもらった。
札幌女子短期大学に在学中で、どこかの地元小劇場に所属していた。
当時、札幌に「駅裏8号倉庫」というフリースペースがあって、ライブ、演劇、映画の上映をさかんにやっていたのだった。そこで演劇の公演があったときにチラシを折り込みに行ったところ、受付の女性が「自主映画?」と興味を持って話しかけてきたのだった。
話をしていると、いま、自主製作映画に出ているという。なんと、山田勇男さんの『銀河鉄道の夜』の撮影中だったのだ。
ま、添付画像のようなコでしたので、ちょうど私も計画中だった『ゴーストタウンの朝』への出演をその場で依頼したのだった。

のちに東京に戻ってぴあで映写のバイトを始めたとき、ぴあの映写室に石丸ひろ子の写真が貼ってあることに気づいて驚いた。
年間700本も応募してくる自主製作映画の渦の中心のような場所で「自主製作映画のヒロイン」として、私が入る前の映写技師たちにウケていたのだった。

いまは結婚して子どももいて、北海道(札幌?)で暮らしているようです。

自作品ヒロイン列伝その1/寺本(川渕)恵子さん

2010年12月14日 23時07分43秒 | 映画表現の辺境へ
『ポプラ並木の憂鬱』の項で書いたように「自主製作映画をつくろう→映画にはヒロインが必要だ→ウチの大学でいちばん可愛いコは誰?→文学部日本史学科に評判のコがいるぞ」という経緯でした。
添付画像はその『ポプラ並木の憂鬱』より。
画像を撮りながら「なんか80年代アイドルっぽいよな」と思ったのだけれど、待てよ、これは80年代ではない。79年のことでありました。
んなことはどうでもいいけど、彼女にはその後、ずいぶんいろいろと出演してもらいました。
『M君の幸福な日々』
(『ザ・ミュージカル・ボックス』)
『ダイナマイト・ロード』
『極星』
『VMの漂流』
『猫夜』
『100年後』
カッコでくくった『ザ・ミュージカル・ボックス』は杉浦茂と共同でつくった作品で、有料上映したことがないのでフィルモグラフィーには入れてないものなので。
……。
ありゃあ、意外と書くことがないもんです。もう10年ちょい会っていないし。

自分の映画歴語りその12/『夜の心』

2010年12月07日 22時41分39秒 | 映画表現の辺境へ
添付画像の『夜の心』が私の最後の8ミリフィルムでの映画作品。
まだ8ミリフィルムは販売も現像もしているので、いくつかの製品が消え、いくつかのサービスが終了し、フィルムも現像も、その他のグッズも値段が上昇したけれど、最後の最後までこだわることは可能だった。
しかし「ここらへんを潮時にしよう」と思ったのだった。
しかし、最後の方は「路上観察系」の作品ばかりでしたね。
1996年の『虚港』を最後に、自分以外の役者さんが出て台詞を言うという作品がありません。(『予感』という作品でミュウさんという女性に出ていただいたけれど、台詞はなく、モデル的な扱いでした)
じつはその転換点となったのが2004年の『無翼の朝と夜』という70分の作品なんだけれど、この「転換点」とは何だったのか、まだ自分は正確に他人に伝わるように語ることができない。
いやいや、このコトバはまちがっている。
自分はべつに何も語らなくていいじゃないか。それは自分の役割とはちがう。ただ、ただ、作品をつくって見せていればいい。
で、ですね。
長らく他者を撮らずに、モノばかり撮ってきましたが、ここにきてまたモードが変化いたしました。次回作はドラマになります。
うーん、こんなふうに言い繕うことができるかもしれないな。これまでの路上観察系作品ってのは、ヒロインが「武蔵野台地」だったわけだ。けれども、その蜜月にもようやく飽きがきて、ふたたびカメラは人間に向けられようとしている、と。
てなわけで次に「自分の映画歴語り番外編」として、私の作品に出ていただいたヒロイン歴を書いてみましょうか。5人しかいないので5回の連載で終わります。

自分の映画歴語りその11/『がむぜ』『なまら』『だはん』

2010年12月06日 23時24分08秒 | 映画表現の辺境へ
『猫夜』の撮影と同時並行しておこなっていたのが「勝浦革命大学映像実習」だった。これは、8ミリフィルムを使った映像ワークショップといってもいいだろう。ただし、参加費とかは無料だった。
だから、私から声をかけて、当日集った人間によってつくられた「集合映画」なわけだけれど、あくまで作家であるのはコンセプトを立てた私であって、参加者はスタッフという考えかたなのです。
コンセプトは3つ、みんなで酒を飲みながら考えた。いや、ちがう。そもそもは酒を飲みながら「撮影時間よりも上映時間の方が長い映画は可能だろうか」という「お題」からスタートしている。
そのコンセプトは作戦名「なまら」と名づけた。できるだけたくさんで集って、いっせのせで8ミリカメラを回しはじめ、そのままカットすることなく1ロール、3分20秒を回し切ってしまおう、ということ。それを実践した『なまら』では総勢17人の人間が集ったので、それをぜんぶつなげて上映すると57分の作品になる。しかし撮影時間はたったの3分20秒だ。
このコンセプトを「おなじ場所で」ではなく、回し始めの最初に当日正午のNHKニュース画面を撮ることで、全国どこでも撮影可能にしたコンセプトが『だはん』。
また、そのような「同時多発」コンセプトとは別に、参加者に地図を渡し、その地図に書き込まれた矢印のとおりに歩きながら1ロールを回してくるというものが『がむぜ』。
参加時間が比較的自由で、カメラも使い回しができるという利点があることから『がむぜ』だけは総計4回おこなわれた。
あまり長々しく書いてもしょうがないので、短く言えば、自分の「映画ごっこ」をベースとした映画とのつき合いのなかから生み出されたものだと思う。
このときはまだ80年代の終わりだったから、8ミリだった。つまり、撮ったものはすぐその日には見れないわけ。しかし現在は、ビデオカメラでなくても、デジカメでも携帯電話でも動画が撮れる。
そうなるとぐっと敷居は低くなり、映画をつくるという行為とはちょっとズレたところにある、しかし「映画ごっこ」の精神にのっとった遊びはいろいろ可能になった。俳句や短歌の歌会のように、その日の「お題」にもとづいてさくっと撮ってきた映像を見せあって遊ぶことも可能だし、さらにYouTubeをうまく利用すればそれを全世界規模でやらかすことも可能だと思うのだけれど……。
誰かやってる?

添付画像は『がむぜ2』より。