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前面展望映像:帯広市街➡幕別街

2021-02-11 19:12:52 | 旅行

 

前面展望映像:帯広市街➡幕別街 Front view video: Obihiro city ➡ Makubetsu city

帯広市は、北海道中東部(道東地方)にある市。十勝総合振興局の振興局所在地。計量特定市。 1883年(明治16年)5月、静岡県出身の依田勉三率...

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帯広市は、北海道中東部(道東地方)にある市。十勝総合振興局の振興局所在地。計量特定市。
1883年(明治16年)5月、静岡県出身の依田勉三率いる晩成社一行が入植した。帯広の開拓は晩成社はじめ、富山・岐阜など本州からの民間開拓移民によって進められたが、1903年(明治36年)の帯広監獄の設置に伴って急速に市街地が形成された。道東で最大の人口を擁する、十勝地方の中心都市であり、農業を基幹産業とした十勝の農産物集積地となっている。また、食料品加工や地元の資源を活かした製造業も盛んである。明治時代に農耕馬を競争させたことから生まれたばんえい競馬は、唯一帯広市で開催している。2008年(平成20年)には国の「都市と暮らしの発展プラン」に位置づけられている「環境モデル都市」に認定されており、低炭素社会の実現に向けて取り組んでいる。

幕別町は、北海道中川郡にある町。町名は、アイヌ語の「マクンベツ」(山際を流れる川)が転訛したものと言われている。

歴史
・1869年(明治2年):蝦夷地を北海道と改称し、十勝国は静岡藩の管轄となる。現在の幕別町にはヤムワッカ村(幕別市街)、チロト村(千住)、イカンベツ村(相川地区)、ヘチャロ村(札内地区)、マクウンベツ村(それ以外の地域)の5村があった。
・1880年(明治13年):大津村に十勝外4郡戸長役場設置し、止若村(やむわっか)、白人村(ちろっと)、咾別村(いかんべつ)、別奴村(べっちゃろ)、幕別村はその管轄となる。
・1882年(明治15年):開拓使廃止し、札幌・函館・根室に各県設置(三県一局時代)、十勝国は札幌県の管轄となる。幕別最初の和人として細谷十太夫が止若村に入地。
・1889年(明治22年):永井三治が止若村に入地。
・1892年(明治25年):香川県移民奨励会13戸が止若村、徳島県の南海社14戸が咾別村に入地。
・1893年(明治26年):大津街道(旧国道)完成。
・1894年(明治27年):群馬県新田郡鳥之郷村の岡田新三郎が丸山南麓に単身入地し、忠類村の開拓が始まる。猿別を区画して貸付開始。
・1897年(明治30年):新潟県の鈴木久太郎ら7戸が当縁川沿岸に移住。幕別村、止若村、白人村、咾別村、別奴村、凋寒村、蝶多村が分離・独立し、猿別に幕別外6ヶ村戸長役場設置。河西郡外5郡役所設置し、歴舟村、大樹村、当縁村はその管轄となる。