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バイエルン王国の遺産:ニンフェンブルク宮殿

2021-02-05 16:55:49 | 旅行

 

バイエルン王国の遺産:ニンフェンブルク宮殿 Bavarian Heritage: Nymphenburg Palace

バイエルン王国は、バイエルン公国を起源として、19世紀初めから20世紀のドイツ革命まで存在したドイツ南部の王国。ミュンヘンを首都とし、ヴィッ...

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バイエルン王国は、バイエルン公国を起源として、19世紀初めから20世紀のドイツ革命まで存在したドイツ南部の王国。ミュンヘンを首都とし、ヴィッテルスバッハ家によって治められた。
バイエルン(アルトバイエルン)は1180年からヴィッテルスバッハ家が治めてきた。

1648年にバイエルン選帝侯領が成った。末期、公領は歳入に近い額の赤字を計上していた。1801年、ユダヤ金融業者のアーロン・エーリアス・ゼーリヒマン(ドイツ語版)が300万グルデンを融資した。1803年に修道院を解散した。
後継のバイエルン王国は財政改革のあげく、ドイツ関税同盟のころから東方問題にかかわりだした。王国はドイツ連邦共和国のバイエルン州の前身であり、同州のほぼ全域とヴィッテルスバッハ家が世襲してきたライン宮中伯領に由来するプファルツ地方を領土としていた。

ニンフェンブルク宮殿は、ドイツ、バイエルン州ミュンヘンにあるバロック建築の宮殿である。名称は「ニュンペー(ニンフ)の城」の意。バイエルン選帝侯の夏の居所だった。
この宮殿はバイエルン選帝侯フェルディナント・マリアとその妻ヘンリエッテ・アーデルハイト・フォン・ザヴォイエンの命により、イタリア人建築家アゴスティーノ・バレッリが1664年に設計したものである。それ以前の1662年に選帝侯の息子マクシミリアン2世エマヌエルが生まれている。中央の建物は1675年に完成した。
バイエルン選帝侯を継いだマクシミリアン2世エマヌエルは、1701年から宮殿の体系的な拡張を開始した。まず、バレッリの設計した中央の建物の南北に建物を追加した。設計はエンリコ・ズッカーリとジョバンニ・アントニオ・ヴィスカルディである。次に南側をさらに拡張して厩舎とした。そしてバランスをとるため北側には温室(オランジェリー)を追加した。最終的に、マクシミリアン2世エマヌエルの息子である神聖ローマ皇帝カール7世が、Schlossrondell(雄大な円)と呼ばれる庭園とそれを取り囲むバロック建築物 Kavaliershäuschen(騎士の家)を完成させ、現在の姿になった。
宮殿と庭園は今ではミュンヘンの観光名所になっている。バロック様式のファサードは全幅が700メートル以上ある。Steinerner Saal(石のホール)と呼ばれる祝宴広間には、ヨハン・バプティスト・ツィンマーマンらによるフレスコ天井画とフランソワ・ド・キュヴィイエによる装飾があり、非常に印象的である。この部屋は中央の建物の3階以上の空間をぶち抜きで使っている。