映像によるコミュニケーション

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前面展望映像:雪道の十勝ヒルズ

2021-01-31 11:27:59 | 前面展望映像

 

前面展望映像:雪道の十勝ヒルズ Front view video: Tokachi Hills on a snowy road

十勝ヒルズは、北海道中川郡幕別町にある農と 食に関するテーマパーク。 丘陵地にあり、好天時には帯広市街地などの 十勝平野や日高山脈を眺めるこ...

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十勝ヒルズは、北海道中川郡幕別町にある農と
食に関するテーマパーク。
丘陵地にあり、好天時には帯広市街地などの
十勝平野や日高山脈を眺めることができる。
園内には6つの庭園(ガーデン)、ハンガリー料理や
和食のレストラン、農家の木村秋則が提唱する
自然栽培の畑やソバの畑、果樹園、
ショップ・カフェなどが点在しているほか、チャペルや
多目的ホールなどもある。

2016年、ハンガリーでは国宝認定されている豚、
マンガリッツァを購入し繁殖と飼育に成功させて、
2018年より十勝ロイヤルマンガリッツァ豚のブランド名
で出荷を開始している。マンガリッツァ豚の繁殖と
飼育事例としては日本初となる。

四季の彩りに満ちあふれた十勝ヒルズは、色鮮
やかな草花と木々の緑が生き生きと輝く憩いと
癒しの空間です。
どこまでも広がるその素晴らしい空間には、
約1000種類の草花が散りばめられたガーデン、
安心・安全・こだわりを追求した農作物が豊かに
稔るヒルズファーム、そして雄大な景色を楽しみ
ながら旬の食材を堪能できるこだわりの
レストランが…。
すがすがしい空気の中で花や土に触れ、自然の
息吹をたっぷりと体感してみてください。
きっと、豊かな自然の中で育まれる命の素晴
らしさと愛おしさを「心」で感じることが
できるはずです。


世界遺産 メキシコ:パレンケ遺跡

2021-01-30 10:43:33 | 旅行

 

世界遺産 メキシコ:パレンケ遺跡 World Heritage Mexico: Palenque Ruins

パレンケ (Palenque) は、メキシコに存在する マヤ文明の古代都市遺跡で、メキシコの世界 遺産の一つである。 ユカタン半島の付根にあ...

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パレンケ (Palenque) は、メキシコに存在する
マヤ文明の古代都市遺跡で、メキシコの世界
遺産の一つである。
ユカタン半島の付根にあたるメキシコ南東部の
チアパス州に位置し、7世紀に最盛期を迎えた
都市の遺構としての宮殿を中心とする、
「マヤ遺跡の典型」といわれる[2]建物群を密林
のなかに配置している。
18世紀の半ば頃にスペイン人の手により発見に
至り、その本格的な発掘調査が始まったのが
1948年である。
その調査の最終局面にあたる1952年6月15日、
メキシコの考古学者アルベルト・ルスが「碑文の
神殿」の地下室に辿り着き、室内の壁面にはめ
込まれていた巨大な石板を取り外したところ、
鍾乳石の垂れ下がる広い洞窟のような部屋が
その向こう側に確認された。
そこには殉死者と目される数体の遺体に加え、
肖像画やマヤ文字、また生命樹の図柄の浮彫が
施された石の蓋、そしてその下に石棺が埋もれており、
多くの装飾品を脇にした遺体が内部に発見された。
翡翠の仮面をまとったこの遺体は、7世紀に在位
したパカル王(偉大な太陽楯、8アハウの偉大な
パカル、パカル2世、パカル大王、在位615年 - 
683年)として知られる王のそれであった。
この発見は、中央アメリカのピラミッドがエジプトの
それとは違うという定説、すなわち王の墓ではなく
神殿の土台に過ぎないものとの定説を覆し、
当時の考古学界に大きな旋風を巻き
起こすこととなった。
1987年には「古代都市パレンケと国立公園」
として世界遺産に登録された。


前面展望映像:成田国際空港➡横浜市内

2021-01-28 21:28:08 | 前面展望映像

 

前面展望映像:成田国際空港➡横浜市内 Front view video: Narita International Airport ➡ Yokohama city

成田国際空港は、千葉県成田市にある日本最大の国際拠点空港である。首都圏東部(東京の東60キロメートル)に位置している。 乗り入れ航空会社数9...

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成田国際空港は、千葉県成田市にある日本最大の国際拠点空港である。首都圏東部(東京の東60キロメートル)に位置している。
乗り入れ航空会社数99社、乗り入れ就航都市数137都市141路線(海外115都市118路線「40か国3地域」、国内22都市23路線)、開港から現在までの航空機発着回数は通算約580万回、航空旅客数は通算約10億人 と名実ともに日本を代表する空の玄関口であり、日本航空、全日本空輸 / エアージャパン、ジェットスター・ジャパン、春秋航空日本、Peach Aviation、ZIPAIR Tokyo、日本貨物航空のハブ空港である。関西国際空港とともに大都市圏の国際線専用空港という傾向が強い。LCCターミナル(第3ターミナル)による格安航空会社(LCC)は国内線も大幅に拡大しており、関西国際空港と並んでLCCの拠点空港となっている。成田空港の貿易額は日本全体の貿易額の14パーセントを占め(2015年)、1994年以降、常に港湾および空港を含めた国内最大の貿易港となっている。
1978年5月20日に、成田国際空港の前身である新東京国際空港として開港した。2004年4月1日、成田国際空港株式会社法が施行され、空港を管理する新東京国際空港公団が、日本国政府による100パーセントの出資で設立された成田国際空港株式会社に改組し民営化(特殊会社化)。


世界遺産:京都 銀閣寺

2021-01-27 20:59:32 | 旅行

 

世界遺産:京都 銀閣寺 World Heritage Site: Kyoto Ginkakuji

慈照寺は、京都府京都市左京区銀閣寺町にある、臨済宗相国寺派の仏教寺院。相国寺の境外(けいがい)塔頭である。室町時代後期に栄えた東山文化を代表...

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慈照寺は、京都府京都市左京区銀閣寺町にある、臨済宗相国寺派の仏教寺院。相国寺の境外(けいがい)塔頭である。室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。
室町幕府第8代将軍足利義政が鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺として知られる。「古都京都の文化財」の一部としてユネスコ世界遺産に登録されている。銀閣は、金閣、飛雲閣(西本願寺境内)とあわせて京の三閣と呼ばれる。
山号は東山。開基(創立者)は足利義政、開山は夢窓疎石とされている。夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物(故人)であり、このような例を勧請開山という。

室町幕府8代将軍足利義政は文明5年(1473年)に子の足利義尚に将軍職を譲り、 文明14年(1482年)から東山の月待山麓に東山山荘(東山殿)の造営を始めた。この地は、応仁の乱で焼亡した浄土寺のあったところであり、近代以降も左京区浄土寺の地名が残っている。義政が山荘造営を思い立った当初(1465年)は、実際の造営地の約1キロメートル南、南禅寺子院の一つであった恵雲院(戦国時代に廃寺)の所在地を考えていたが、応仁の乱後に変更された。
当時は応仁の乱が終了した直後であり、京都の経済は疲弊していたが、義政は庶民に段銭(臨時の税)や夫役(労役)を課して東山殿の造営を進め、書画や茶の湯に親しむ風流な隠栖生活を送っていた。造営工事は義政の死の直前まで8年にわたって続けられたが、義政自身は山荘の完成を待たず、工事開始の翌年である文明15年(1483年)にはここに移り住んでいた。東山殿には会所、常御所、釣秋亭、竜背橋、泉殿、西指庵、漱せん亭、超然亭などの大規模な建物が建ち、義政の祖父で第3代将軍足利義満が建てた北山殿(後の鹿苑寺)ほどではないが、ある程度政治的機能も持っていた。ただし現存する当時の建物は銀閣と東求堂(とうぐどう)のみである。
延徳2年(1490年)2月、同年1月に死去した義政の菩提を弔うため東山殿を禅寺に改め、相国寺の末寺として創始されたのが慈照寺である。寺号は義政の院号である慈照院殿にちなみ「慈照院」とされたが、翌年「慈照寺」に改められた[2]。なお、造営自体が完了したのは義政死去後である。
戦国時代中期の天文19年(1550年)には第12代将軍足利義晴とその子で第13代将軍義輝により慈照寺の裏山に中尾城が築かれ(短期間で廃城)[3]、末期には前関白近衛前久の別荘にもなったが、これは慈照寺6世の陽山瑞暉が前久の弟だったことによる[4]。前久の薨去後の法名は東求院龍山空誉であった。前久の死後は再び相国寺の末寺として再興された。
昭和27年(1952年)3月29日には庭園が 特別史跡および特別名勝に指定された。平成6年(1994年)12月17日には「古都京都の文化財」として ユネスコ世界遺産に登録されている。


三大美城(ドイツ):ノイシュヴァンシュタイン城

2021-01-26 09:43:26 | 旅行

 

三大美城(ドイツ):ノイシュヴァンシュタイン城 Three Great Castles (Germany): Neuschwanstein Castle

ノイシュヴァンシュタイン城は、ドイツ連邦共和国 南部のバイエルン州バイエルン・シュヴァーベン地方 オストアルゴイ郡シュヴァンガウ町 ホーエン...

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ノイシュヴァンシュタイン城は、ドイツ連邦共和国
南部のバイエルン州バイエルン・シュヴァーベン地方
オストアルゴイ郡シュヴァンガウ町
ホーエンシュヴァンガウ地区にある城である。
バイエルン王ルートヴィヒ2世によって19世紀に建築
された。オーストリア国境に近いオストアルゴイ郡
フュッセンの東南東方向(直線距離にて約4km)に
位置し、近隣には、ルートヴィヒ2世が幼少時代を
過ごし、彼の父親が所有していた
ホーエンシュヴァンガウ城がある。

ノイシュヴァンシュタインという名は、現在
ホーエンシュヴァンガウ城のある地にかつて
あったシュヴァンシュタイン城にちなみ、1886年に
なって付けられた名であり(「ノイ (Neu)」は
ドイツ語で「新しい」、シュタインは「石」の意)、
建設当時はホーエンシュヴァンガウ新城と
呼ばれていた。
シュヴァンガウは、「白鳥地区」の意味の地名で、
ホーエンシュヴァンガウは、上シュヴァンガウ村
のことである。
伝統的な建築方式で造られているように見えるが、
石造りではなく鉄骨組みのコンクリートおよび
モルタル製で、ドイツの城館に本来は必ずあるべき
小聖堂や墓地がない。これらの点から古建築保存を
目的とする世界遺産になっていないと思われてきたが、
2015年にリンダーホーフ城やヘレンキームゼー城
とともにユネスコの世界遺産暫定リストに登録され、
本申請を待っている。

三大美城といわれるのが「ノイシュヴァンシュタイン城」
・「ホーエンツォレルン城」・「エルツ城」です。