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不適切な養育が子どもに与える影響のうち、二番目に挙げた自己調節機能への影響とはどういうものか説明します。
人間は成長する中で、セルフコントロールの能力を獲得していきます。赤ちゃんから幼児、子ども期、思春期と、いろいろなことが複合的に起こってきます。成長するということは、言い換えれば、「自己調節の力がついていくこと」ということが言えます。
例えて言えば、赤ん坊は「自己調節できない存在」です。だから寒い日にバギーに乗っている赤ちゃんのお母さんは、着替えとかミルクとかオムツとかいろいろ用意している。それは、本人が体温調節もできないからお母さんが代わりにしてあげる。
赤ん坊はおなかがすくと泣く。親が機嫌悪そうだからと泣くのをがまんする0歳児はいません。つまり赤ん坊はいったん不快な状態になったら、自分では快の状態にもどれることができない存在なのです。おなかがすくと泣くし、どこか気持ち悪いところがあると泣くし、たいくつしても泣く。見ていておもしろいのは、眠たくても泣く。「眠たいなら寝ろ」とか思いますが、泣く。赤ちゃんは、一度“不快”な状態になると、自分の力では“快”の状態には戻れないから、泣くんです。泣いて助けを求めるわけです。
助けを求められた大人は、様々な刺激を赤ん坊に与えることで、“快”の状態に、もどそうとします。「どうちたの?」という聴覚的刺激や、おかしな顔を見せたりという視覚的刺激、触ったり手をつないだりという身体的触覚的刺激、抱えて姿勢を変えることでの体幹への刺激など、様々な刺激を与えるとその中のいずれかが当って、赤ん坊は“快”の状態に戻ることができるようになります。それを繰り返していると、2歳半から3歳くらいで段々と変化が起こり、自分一人の力で“快”の状態に戻ろうとするようになります。それが「自己調節の芽生え」です。そういったことが起こるということは、それまで“不快”な状態が起こる度に、大人が手助けを繰り返していて、それらの体験の蓄積と、「アタッチメント対象の内在化」と呼ばれる『親が自分の心の中に住むようになる』ということが起きるので、その二つが合わさって、自分自身で調節機能を生み出すことができるようになるのです。
この生まれた直後から開始される養育者の自己調節の手助けのことを、日本では、『しつけ』と呼んでいました。このことはあまり知られていません。
いつの間にか、子どもを殴ってでも“させる”ことが「しつけ」と呼ばれたりするようになるのですが、本来のしつけの意味は、そのような快への手助けのことだと言われています。
自己調節は感情・感覚だけではなく、生理的レベルでも、行動のレベルでも同じことが言えます。衝動性についても、最初は大人がコントロールしていたものが、段々と子ども自身がコントロールできるようになっていきます。
自分は「体罰はしつけにならない。むしろ体罰はしつけのじゃまになる。」と言っていますが、10年くらい前には、講演後フロアから「例えば、ストーブを触ろうとする子どもの手を、パチンとたたくのも体罰か?」という質問が出て、正直その時には答えられませんでした。しかし、よくよく考えてみると、問題の設定自体に問題があることに気づきました。適切に育てられてきた子どもは、ストーブなど危険なものを初めて見たときには、衝動的に触るという行動には出ない。まず、親の顔を見ます。大人がどういう顔をしているか、驚いた顔をしているとか、「ダメ」という顔をしていると、子どもはストーブには触らない。「社会的参照」と言われる行動をとります。それが、「ストーブを見てすぐ触ってしまう」というのは、そもそもアタッチメント対象との関係に問題があるわけなのです。
アタッチメント対象との良好な関係がある場合、子どもは「触りたい」という衝動もアタッチメント対象のコントロールを受け入れてガマンします。そのようなことを重ねていくと、アタッチメント対象がいなくても自分で判断して衝動性をコントロールしていくことができるようになるわけです。
そのように様々なレベルで自己調節の問題は、虐待と関連して問題になります。
いろいろなことを理解する概念として、虐待が「自己調節障害」を生むという理解ができるでしょう。