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「土佐日記 懐にあり 散る桜」 虚子
高浜虚子は生涯で二度、高知を訪れており、ここ紀貫之邸跡には最初の来高時(昭和6年)
に立ち寄り、この句を詠んだとか。この時は未だ57歳と若く、遠く室戸まで足を伸ばし俳句
仲間と親交を深めたようである。因みに二度目(昭和24年)には伊野町の紙漉工場や佐川
町を訪ねている。(当ブログ内関連記事)
正岡子規が酷評した古今和歌集の選者である紀貫之ゆかりの地を「一度は」との思いが
あったのかどうかは、知る由もないが、左遷とも思われる辺境の地で愛娘を失い、失意の
なか、海路、京の都に帰る土佐守を一週間も逗留させて送別の宴を続けた土佐の民意は
国司として敬愛を受けた貫之の人柄が偲ばれるエピソードでありましょう。

と、言うことで私も一句(またかい!)
「平安と 違わぬ空に 人の情 きよしも詠んだ 貫之のログ」

「古今集の庭」に設えられた、流れにも関わらず「あめんぼ」を見たのは小学生の時、以来
ではないでしょうか、当時、大原町の市民プール南には小川の流れがあり、ゲンゴロウや
オタマジャクシ、ハグロトンボを追っかけた風景を思い出しました。

--Garden data--
施設:紀貫之邸跡・古今集の庭
所在:高知県南国市比江(Yahoo!地図)
駐車:充分
脇道:狭隘
「土佐日記 懐にあり 散る桜」 虚子
高浜虚子は生涯で二度、高知を訪れており、ここ紀貫之邸跡には最初の来高時(昭和6年)
に立ち寄り、この句を詠んだとか。この時は未だ57歳と若く、遠く室戸まで足を伸ばし俳句
仲間と親交を深めたようである。因みに二度目(昭和24年)には伊野町の紙漉工場や佐川
町を訪ねている。(当ブログ内関連記事)
正岡子規が酷評した古今和歌集の選者である紀貫之ゆかりの地を「一度は」との思いが
あったのかどうかは、知る由もないが、左遷とも思われる辺境の地で愛娘を失い、失意の
なか、海路、京の都に帰る土佐守を一週間も逗留させて送別の宴を続けた土佐の民意は
国司として敬愛を受けた貫之の人柄が偲ばれるエピソードでありましょう。

と、言うことで私も一句(またかい!)
「平安と 違わぬ空に 人の情 きよしも詠んだ 貫之のログ」

「古今集の庭」に設えられた、流れにも関わらず「あめんぼ」を見たのは小学生の時、以来
ではないでしょうか、当時、大原町の市民プール南には小川の流れがあり、ゲンゴロウや
オタマジャクシ、ハグロトンボを追っかけた風景を思い出しました。

--Garden data--
施設:紀貫之邸跡・古今集の庭
所在:高知県南国市比江(Yahoo!地図)
駐車:充分
脇道:狭隘