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人類のための文明・思想・哲学・宗教・歴史・憲法

何が起きているのか

どうして起きたのか

それをどのように理解し

どのように対処するべきか

There is a Shinto Shrine in Tokyo.

2018-10-17 10:37:35 | 日記

「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ」

「はっきり言えば、今上陛下は靖国神社をつぶそうとしているんだよ」2018年6月、

社務所の会議室で、小堀邦夫宮司(68歳)が、職員らを対象にした勉強会の席で、

このような発言を致した。2018年10月、日本の週刊誌である週刊ポスト紙が宮司の

発言をスクープし報道した。靖国神社の広報担当は、宮司の発言を事実と認め、「極めて

不穏当な言葉遣いの録音内容が外部にリークしたと説明した。テレビ局の取材に対して

小堀宮司は、「天皇陛下に参拝して頂きたいという思いがあり、内々の会議の席とはいえ、

失礼な言い方をしてしまった」と釈明した。そして、小堀宮司は、皇室の祭祀を担当する

宮内庁の掌典長に、2018年10月5日の午後、面会し、陳謝して退任の意向を伝えた。

天皇と靖国神社については、1978年に、A 級戦犯が合祀(ごうし)されて以降、昭和

天皇の参拝が途絶え、今上陛下も即位後、一度も参拝されていない。2018年2月、前任

の第15代将軍徳川慶喜のひ孫の徳川康久宮司(69歳)の発言が、「靖国神社創建の趣旨

に反し、賊軍合祀の動きを誘発した」と問題視され、徳川氏が辞任し、元伊勢神宮禰宜の

小堀氏が2018年3月1日付けで、第12代の宮司に就任したばかりだった。徳川康久氏

は、明治維新について、「文明開化という言葉があるが、明治維新前は、文明のない遅れた

国だったという認識は間違いだった。江戸時代はハイテクで、エコでもあった」「私は賊軍

や官軍ではなく、東軍・西軍と言っている。幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。

ただ、価値観が違って、戦争になってしまった。向こう(明治政府軍)が錦の御旗を揚げた

ことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった」と語った。徳川氏は石油会社に勤務した後、

徳川家康を祭神として祭る神社である芝東照宮に勤務していた。そして、2013年1月

19日付けで、第11代の靖国神社の宮司に就任した。徳川氏の胸の内は「明治維新という

過ち---日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」であるのだろう。

 

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The Historical Moment - Part Ⅲ

2017-12-17 07:21:02 | 日記

2017年度のノーベル平和賞授賞式が、12月10日、ノルウェーの首都オスロで開催された。

受賞したのは、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」ICAN。授賞理由は、被爆者らと連携

し、2017年7月7日に、国連で「核兵器禁止条約」を採決させた行動が高い評価に値するとい

う理由である。ICAN の事務局長でスウェーデン人のベアトリス・フィン氏(35)の演説は力

強く、理性的で、この世の邪悪な勢力を一掃した。今日は三つの事柄、恐怖・自由・未来について

語りたいと述べ、1950年度のノーベル文学賞を受賞したウィリアム・フォークナーの受賞時の

発言を紹介した。それは、「ただ一つ残る疑問は、自分がいつ吹き飛ばされてしまうか」である。

それが核兵器であり、ウィリアム・フォークナーが感じていた恐怖はさらに危険なものとして残さ

れたと語った。核兵器による支配は、デモクラシーに対する侮辱であり、すべての国が核兵器禁止

条約に参加することを要求した。核兵器保有国に対しては、国名を挙げて、変革と全廃を促した。

William Faulkner (1897~1962) は 米国南部で暮らす人々の悲劇と克服を実験的な手法で小説化した。

アメリカよ、恐怖よりも自由を。ロシアよ、破壊よりも軍縮を。イギリスよ、圧制よりも法の支配を

フランスよ、テロの恐怖よりも人権を。中国よ、道理の通らぬことよりも道理を。インドよ、無明よ

りも分別を。パキスタンよ、ハルマゲドンよりも論理性を。イスラエルよ、抹殺よりも良識を。北朝

鮮よ、荒廃よりも英知を。それぞれ選びなさいと語った。そして、「世界のすべての人々に呼びかけ

ます。私たちとともに、政府に対して、条約に署名するように求めてください。私たちは、すべての

国の政府が理性の側に立ち、この条約に参加するまで活動し続けます。私たちの運動は、理性を求め

デモクラシーを求め、恐怖からの自由を求める活動です。ご清聴ありがとうございました」と結びの

言葉を述べて、演説を終えた。会場に拍手が起こり、それから、スタンディングオベーションととも

に、広島市出身の被爆者 Thurlow Setsuko 氏(85)が登壇した。節子さんは常々、私の体験をお

話するのは、同情を受けるためにではなく、核兵器の危険性についての警告であると発言してきた。

このスタイルは、今回の受賞演説にも色濃く反映されていた。そして、具体的に被爆時の体験を語り

始めた「合衆国が最初の原爆を広島に投下した時、私は13歳でした。私は今も鮮明にあの朝を覚え

ています。午前8時15分、私は窓の外に青みを帯びた白い閃光が見えました。それから、体が空中

に浮かぶ感覚を覚えています。私は静かな暗闇の中で、意識を取り戻しました。それから、倒壊した

建物の中に閉じ込められて身動きができませんでした。「お母さん、助けて。神様、助けて。」

クラスメイトの弱々しい泣き声が聞こえました。そして突然、私の左肩に手が触れるのを感じました

「あきらめるな!動き続けるのだ!助けてやるぞ!あの隙間のあかりが見えるか、あそこまで、でき

るだけ早く、這っていくのだ!」男の人の声が聞こえました。私が這い出た時には倒壊した建物から

は火が出ていました。建物の中にいたクラスメイトのほとんどは生きたまま焼かれ死にました。見渡

すかぎり、私のまわりは完全に破壊されていました。」そして、70年以上の長期に渡って、被爆者

は核廃絶に取り組んで来たこと、一人ひとりに名前があった。誰からか愛されていた。彼らの死は無

駄ではなかったことを確かなものにしましょうと述べ、「私が13歳の女の子の時、煙を出してくす

ぶる瓦礫の中に閉じ込められても、耐え続けました。明るい方向に向かって動き続けました。そして

生き残りました。今、私たちにとって核兵器禁止条約がともし火です。この会場にいる皆様に、世界

中でこの演説をお聞きくださっている皆様に、広島の倒壊した建物の中で聞こえた励ましの言葉を繰

り返します。『あきらめるな!動き続けるのだ!あかりが見えるか!あかりに向かって這って来なさ

い。』今夜は、松明を持ってオスロの街を行進します。核の恐怖の暗い夜から抜け出ましょう。私た

ちは、どのような障害に直面しても、動き続け、前進し続け、他の人々とこのともし火を共有し続け

ます。これは、私たちが生存するための貴重な世界についての、私たちの情熱と誓願なのです」と述

べて、演説を終えた。拍手とともに再びスタンディングオベーションが起きて、会場は、惜しみない

祝意に満ちた。会場には、広島・長崎の両市長と両市の被爆者も招待されていた。現在の世界の情勢

にあっては、核戦争を防ぐためには、核戦争に備える努力が必要であり、「アメリカが核戦力で他国

に先行されることはない」トランプ大統領の見解。「世界の安定は核兵器によるバランスによっての

み、保たれる」ロシアのぺスコフ大統領報道官の見解。などあり、これら核保有国の指導者の認識は

充分、時代遅れであると世界中の人々から認定された時、核兵器は地球上に一つもないことになる。

 

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The Historical Moment - Part Ⅱ

2016-12-28 20:07:03 | 日記

「オバマ大統領、ハリス司令官、ご列席の皆様、そして、全てのアメリカ国民の皆様。パールハーバー

真珠湾に、今、私は、日本国総理大臣として立っています。耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえて

きます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた青い静かな入り江。私の後ろ、海の上の、白いアリゾナ

メモリアル。あの、慰霊の場を、オバマ大統領と共に訪れました。そこは、私に、沈黙をうながす場所でした。

亡くなった、軍人たちの名が記されています。」日本国第97代内閣総理大臣安倍晋三(1954年9月21日~

は、2016年12月27日午前、ハワイ・ホノルルの米太平洋軍司令部で、オバマ大統領と日米首脳会談に

臨んだ後、オバマ氏と共にハワイ・オアフ島真珠湾のアリゾナ記念館を訪問した。75年前、旧日本軍による

真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナの上に記念館は1962年に建てられた。安倍首相はオバマ大統領と共に

大理石の慰霊碑に献花し、海に花を投じ、戦没者の冥福を祈った。その後、青い海のかなたに、白いアリゾナ

記念館が見える真珠湾の埠頭で演説した。会場には、真珠湾攻撃の生存者である退役軍人らも招かれた。

安倍首相は真珠湾攻撃について、「私は日本国総理大臣として、この地で命を落とした人々のみ霊に、ここ

から始まった戦いが奪った、全ての勇者の命に、戦争の犠牲となった数知れずの無辜(むこ)の民の魂に、

永劫の哀悼の誠を捧げます。戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない。私たちは、そう誓い、ひたすら不戦

の誓いを貫いて参りました。この不動の方向をこれからも貫いて参ります。この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士

たちに、アメリカ国民の皆様に、世界中の人々に、固いその決意を、日本国総理大臣として表明致します」と述

べた。続いて、バラク・オバマ米国大統領が演説した。「米国民を代表して、安倍首相の大変に思いやりのある

言葉と、今日ここに来られたことに感謝致します。歴史的な行動であり、日米の人々の和解と同盟の力を語って

います。戦争の最も深い傷でも、友情と恒久的な平和に道を開き得ることを想起させます。来賓の皆様、軍人

諸君、そしてなにより、真珠湾攻撃の生存者と家族の皆様、アロハ。米国人にとって、特にハワイを故郷と呼ぶ

我々には、この真珠湾は神聖な場所です。今も涙を流す海に花輪や花束を投げ入れる時、我々は天国に召され

た2400人以上の米国の愛国者、父や夫、妻や娘たちを思い出します。毎年12月7日になると少し背筋を

伸ばし、居ずまいを正し、オアフ島の守護者たちに敬意を表し、75年前にこの地で示された勇敢な行為に思い

をはせます。人類の歴史で、最も恐ろしい戦争でしたが、その後、日米は友情と平和の道を歩みました。厳しい

敵対関係にあった者でも、最も強い同盟関係を結ぶことが出来たのです。平和の果実は、戦争による略奪をは

るかに上回ります。これは、揺ぎ無い事実であり、日米同盟は、新たな世界大戦を防ぎ、国際秩序の強化に貢献

しています。国家や国民は、自ら引き継ぐ歴史を選ぶことは出来ませんが(歴史を書き換えることは出来ない。

しかし、私たちは歴史から教訓を学び将来を描くことは可能なのです。報復よりも和解がより多くの果実をもた

らすというメッセージを世界に送れると信じます。この静かな真珠湾で、我々は亡くなった人たちを悼み、両国

が共に友人として勝ち取ってきたもの全てに、感謝します。神が戦争で命を落とした人々を、その腕にとこしえ

に抱かれますように。退役軍人と我々を守る全ての人々を、見守られますように。我々全てを祝福されますよう

に。ありがとうございました」と述べた。両首脳は演説を終え安倍首相は退役軍人らの手をにぎりなぐさめた。

ひざまずいてまでも。表情は、オバマ氏の5月27日の広島訪問時とうってかわって、だれも皆、きわめて、

さわやかで、なごやかに見受けられた。2016年は、安部総理大臣とオバマ大統領のスピーチの他にも、

歴史に関する貴重な収穫があった一年である。歴史においては、事実や真実が重要であるとすれば、オバマ政権

のジョー・バイデン副大統領(1942~ )がヒラリー・クリントン氏を応援するために、2016年8月

15日、ペンシルベニア州で行った次のスピーチは、真実を公の場で述べたものである。

「核兵器を持てないように、我々が日本の憲法を書いたことを彼(ドナルド・トランプ)は知らないのではない

か。彼は学校で習わなかったのか。トランプ氏は判断力が欠如しているので、信用できない」

日本国憲法の前文は、ケーディス陸軍大佐とラウエル陸軍中佐とハッシー海軍中佐の3人が書いた。天皇が国民

統合の象徴については、ケーディス陸軍大佐が担当し、9条も書き上げた。以上、歴史の真実に対して、国民は

真摯な態度で向き合って、米国製の憲法からの独立をジョー・バイデン副大統領は希望していると考えられる。

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The Historical Moment - Part Ⅰ

2016-05-27 18:40:01 | 日記

アメリカ合衆国第44代大統領 バラク・オバマ(1961年8月4日~ )がG7 サミット終了後の5月27

日、広島市を訪問した。サミットでは世界経済の持続的成長やテロ対策、中国の海洋進出への対応等が話し合わ

れた。大統領としては最後のアジア歴訪となった今回の第一の訪問国であるベトナムでは5月24日、ハノイの

会議場の演説で、学生や社会人など二千人を前に、「私はベトナム戦争後初めてベトナムを訪れた大統領ではな

いが戦後に成人となった大統領としては初で、米軍が撤退した時、私は13歳だった」と振り返り、ベトナム

戦争の原因は、冷戦構造と共産主義の脅威であり戦争はどのような企図があろうとも苦しみや悲劇をもたらす

ことを我々は学んだと総括し、人権の重要性を強調し「米国は常にベトナムの味方であり、友人だ。私がこの会

議場で演説したことを忘れないで欲しい」と演説を終え、満場一致の拍手を受けた。現職の大統領が被爆地を訪

れるのは今回が初である。オバマ氏は、2009年に大統領として初来日した際に記者会見で「広島市・長崎

市」を将来訪れることが出来れば非常に名誉なことだ」と語った。今回の訪日前、オバマ氏は日本のテレビ局の

インタビューに応じて次のように語った。「初めて日本を訪れた時訪問に関心があると述べた。大統領の任期が

あと僅かとなる中、戦争の本質をじっくりと考える良い機会になると思う。戦争では、罪のない人々が災禍に巻

き込まれ、とてつもない苦難を受けさせられる。それは過去の話だけではなく今も世界中の多くの場所で起きて

いる。単に過去を振り返るのではなく世界中で平和と対話を進めるために出来る限りの努力をするべきである。

そして、今回の訪問で、『核兵器のない世界』を目指すというメッセージを世界に発信する。今回の訪問は原子

爆弾投下の是非を論じることは目的ではない」 英語の History という言葉の原義は、「過去を知ること」であり

「愚者は経験(過去の成功体験等)から学び賢者は歴史から学ぶ」とは、ドイツの鉄血宰相ビスマルクの言葉。

The fool learns from experience while the wise learns from history. Otto von Bismarck (1815~1898)

米国ハワイ州で生まれ幼少の一時期、一家はインドネシアのジャカルタで過ごしたが、ハワイ育ちのオバマ氏に

とって「何ゆえに日本はハワイを攻撃したのか」という疑問の解明は人生のテーマの一つだったと推察できる。

過去3度の訪日では、米国内の慎重論も根強く、被爆地訪問は見送られた。オバマ氏が歴史から学んだ真実は、

2009年のプラハ演説で世界に知られ、核兵器を使用した国の国家元首が今回直接被爆地を訪れたことにより

「広島・長崎」は、世界の歴史の地となった。オバマ大統領は、米軍岩国基地を経由して広島平和記念公園を訪

れ、原爆資料館を見学し、原爆被害の実相を確かめた後、日本の安倍首相とともに、最初に原爆慰霊碑に献花し

原爆の犠牲者に追悼の祈りを捧げた。そして、歴史と直面する責任を強調し、核兵器廃絶へと導いていく決意を

表明した。オバマ氏の風貌、特に目元には、合衆国の大統領らしさがあって、多くの日本人には印象的だった。

 

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文明の桎梏としての衆愚政治

2014-08-05 10:46:43 | 日記

『戦争をしないという憲法を定めたのは、洞察力の明、神のごとしというべしである。もっとも、

私も、戦争には降参組の先鋒で戦争しない憲法には何よりも#賛成なのである』安吾巷談1950年12月

だがしかし、それから常任理事国入りを目標として途轍もない努力が傾注されたのだが 

実現しなかった。世界は、敗戦後の日本がどのような文明国になりたいのか判 らなかったのだ   

国際連盟の常任理事国の椅子を自ら蹴り飛ばした歴史的事実は相当重いのである(1933年3月27日)

安吾が悪いのではない。問題であるのは、21世紀に至ってもマスコミに、この安吾巷談と同じ調子で

同じ言論をやられたのでは    地上の何もかもが立ち腐れてしまうということなのだ     

いつまでも、自分たちの保身のために、「現状維持」の発想で安穏としていることは許されないのである。

世界には、日本に期待を寄せてくださる国も少なくないので、構造とやり方を変えて、英文和訳憲法

前文のその崇高で時代遅れになったあやふやな目標などは削除してまでも     挑み続けていく以外に、

現在の“ジリ貧”状態から脱出する有効 な 術(すべ)も道もない。隗より始めよ [ 戦国策(燕策)] 

例えば、西日本は21世紀型の洗練された天皇制を模索し、東日本は21世紀型の洗練された共和制を

模索し緩やかな連邦制国家である日本国を構想し制度設計して国民に発表し国民の評価を受けること等。

或いは、デモクラシーを世界一立派にしていくか、それとも、立憲君主制を今よりさらに強化していくか。

宮内庁を京都に移転させて跡地には、国会議事堂・首相官邸・議員宿舎・最高裁判所等を新設するか。

既得権益のぶ厚い雲は不正の雲。払いのけて、子供たちのための「青い空」 を確保するのは勇敢だ。

他には、法務省改め、司法省へ。法務大臣改め、司法長官へ。このような小さな改革は山ほど出来る。

憲法前文には、共通目的が示され、103条の条文には示されない。前文と条文は執筆者が違う為にと観る。

故に103条の条文は手段であるがゆえに憲法の性能は劣化し日本国民はあらゆる分野で損を被っている。

憲法前文に対する想いは深いものがある。憲法前文には、その後の栄光が記され、条文には、その後の没落

が記されているからである。例えて言えば、憲法前文は、大量の失血のため半死半生に陥ってしまった人に

対して、大量の輸血処置がおこなわれた如くである。日本国の性格が国民とともに一変してしまったのだ。

日本国憲法とは十七条憲法であり、実務としての、国家特別基本法「国特法」の策定を急ぐべきである。

 

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