異質な文化と文化の接触の結果、その一方または双方の文化に変化が起きることを、文化変容と
称するが、人間を神としてあがめ崇拝する文化と人間を神として崇拝してはならないとする文化が
戦争という形で激しく闘争した 無条件降伏後、クリスチャンであった河合道は、連合国軍
最高指令官 ダグラス・マッカーサ(1880~1964)に対して『どうか陛下をお救いなさいまし』
池の中のカエル達 が神様ジュピターに対して王様を願ったイソップ寓話のように願い出た。
クリスチャンはその掟と判断力に従うべきであった。戦争は、一 か八か、All or Nothing.
広島・長崎と Nothing になってしまっていた。女史は、「東洋のローマ法王」 を考えておられたのか
も知れない。「あれか、これか、どちらか一つ」 がキーワードの20世紀に、日本人は、どちらもを
希望してしまった。 天皇陛下には、更賜寿命をと祈り、国民などは若くして寿命が尽きても構わない。
天皇を中心とする神の国大日本は、その神が統治する。「天皇=日本国」に対する忠誠心は、他の
一切の道徳に優先する。この思想は、江戸時代末期に提唱され、明治維新の思想的原動力となりま
した。日中戦争及び太平洋戦争時には、この忠誠心の保持のために、従軍慰安婦制度が設けられま
した。国体の本義とは、1937年に文部省が発行した国民教化のための出版物で、記紀神話に基づき、
国体の尊厳、天皇への絶対服従を説き、社会主義・共産主義・民主主義・個人主義・自由主義を排撃す
る内容ですが、戦後も、この人権蹂躙の精神は生き残り、あらゆる福祉を害し続けましたが、世界には、
「天皇を神とする思想に対して、批判が許されない国は近代国家とは言えない」 西欧文明を代表する
知性の一人であるバートランド・ラッセル(1872~1970)の見解もあります。13世紀には廃れ
てしまっていた天皇制であることは、日蓮大聖人(1222年2月16日~1282年10月13日)の
「終(つい)に主(しゅ)なき国になりぬ」仏法主体御書でも確認できるが、19世紀に復古させ、20
世紀には、「神」にまで高め、崇拝したのであるが、第二次世界大戦後、日本の首都の東で、天皇の親で
ある悪鬼 レビヤタン が躍動し、日本文明も人類の文明も、 go for wool and come home shorn.