『戦争をしないという憲法を定めたのは、洞察力の明、神のごとしというべしである。もっとも、
私も、戦争には降参組の先鋒で戦争しない憲法には何よりも#賛成なのである』安吾巷談1950年12月
だがしかし、それから常任理事国入りを目標として途轍もない努力が傾注されたのだが
実現しなかった。世界は、敗戦後の日本がどのような文明国になりたいのか判 らなかったのだ
国際連盟の常任理事国の椅子を自ら蹴り飛ばした歴史的事実は相当重いのである(1933年3月27日)
安吾が悪いのではない。問題であるのは、21世紀に至ってもマスコミに、この安吾巷談と同じ調子で
同じ言論をやられたのでは 地上の何もかもが立ち腐れてしまうということなのだ
いつまでも、自分たちの保身のために、「現状維持」の発想で安穏としていることは許されないのである。
世界には、日本に期待を寄せてくださる国も少なくないので、構造とやり方を変えて、英文和訳憲法
前文のその崇高で時代遅れになったあやふやな目標などは削除してまでも 挑み続けていく以外に、
現在の“ジリ貧”状態から脱出する有効 な 術(すべ)も道もない。隗より始めよ [ 戦国策(燕策)]
例えば、西日本は21世紀型の洗練された天皇制を模索し、東日本は21世紀型の洗練された共和制を
模索し緩やかな連邦制国家である日本国を構想し制度設計して国民に発表し国民の評価を受けること等。
或いは、デモクラシーを世界一立派にしていくか、それとも、立憲君主制を今よりさらに強化していくか。
宮内庁を京都に移転させて跡地には、国会議事堂・首相官邸・議員宿舎・最高裁判所等を新設するか。
既得権益のぶ厚い雲は不正の雲。払いのけて、子供たちのための「青い空」 を確保するのは勇敢だ。
他には、法務省改め、司法省へ。法務大臣改め、司法長官へ。このような小さな改革は山ほど出来る。
憲法前文には、共通目的が示され、103条の条文には示されない。前文と条文は執筆者が違う為にと観る。
故に103条の条文は手段であるがゆえに憲法の性能は劣化し日本国民はあらゆる分野で損を被っている。
憲法前文に対する想いは深いものがある。憲法前文には、その後の栄光が記され、条文には、その後の没落
が記されているからである。例えて言えば、憲法前文は、大量の失血のため半死半生に陥ってしまった人に
対して、大量の輸血処置がおこなわれた如くである。日本国の性格が国民とともに一変してしまったのだ。