
またまた書棚で紙の色が茶色くなった古い本を捲り始めた。
本のタイトルは「人生読本 手紙」(1979年(昭和54年)河出書房新社初版発行)、サブタイトルには『一筆啓上 火の用心 ダイヤルまわすな 手紙かけ』とある。
本の中には著名な人物数十人の手紙に関する評論、エッセイ、実際の手紙の中身などが書かれていて、非常に興味をそそられるが、何せ字が細かくて途中で読むのをやめてしまった。
しかし、大藪晴彦氏の「三億円事件犯人への公開書簡」はおもしろかった。この事件は1968年(昭和43年)12月10日に起きて、犯人は見つからず時効で未解決事件となった。事件のあと大藪晴彦氏は、自身の小説「血まみれの野獣」のあらすじによく似た手口だったこともあり、犯人くんへと公開書簡を発表したのである。
事件当日、私は自由が丘の銀行支店で外回りをしていた。事件発生のニュースをラジオで聞いたときは、とんでもない事件が起きたと身震いするほどで、仕事も程々にして支店に戻った記憶がある。
さて、手紙についてだが、今は携帯メールとかラインとかで簡単に連絡が取れる時代、手紙を書くということは殆どなくなった。残った便箋や封筒は、本来の手紙に使われることなく、メモ用紙とか写真の小袋などに利用されるぐらい。
同時に、万年筆も何本か持ち合わせているが、偶に使おうとするとインクが切れていて、スペアインクを探し回る始末。とにかく手紙を書くという、一種何とも言えない風流な気持ちは忘れかけていた。
書斎の棚にはバインダーに貼付した、知人友人・家族との手紙のファイルがある。中学3年ごろからのもので、私の貴重な追憶のためのストレージ・メディアであるが、35年ほど前すごく思い悩んで死を考えた時、一部捨ててしまった手紙がある。
その中で最も想い出深いのは、高校生のときにペンパル協会の紹介で知り合った、四国高松の同い年の女子高校生との文通の手紙である。淡く切ない恋心の芽生えを感じさせる。残しておきたかった。彼女の名前はS艶子さん、私と同じく今年76歳、もう一度会ってみたい人の一人である。
この時の感動を14年前の9月、ハチの家文学館「幻のノート」に詩として書いている。
多感な青春時代
ひとりの少女に恋をした
初めて会ったのは高校三年の夏
清純で真っ黒に日焼けした顔で
ボクを迎えてくれた
家族ぐるみの優しさと
五右衛門風呂が懐かしい
黄楊のカフスボタンとベルトの土産
今でも色柄を鮮明に覚えている
宇高連絡船
おかあさんと一緒に見送ってくれた
テープの向こうに
「また会えるねー!」と叫んだ
でも 淡い恋は
時の流れとともに消えて行った
その時 書きためた恋の日記は
炎と消えた
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