川徳アネックスの前に土を盛った高さ一間半ぐらいの小山がある。
一里塚と刻まれた石碑がたっている。
詳しく言うと「奥州道中上田一里塚」となる。
指定史跡掲示板によると、
盛岡の鍛治町(現紺屋町)より北に1里(約4キロ)の街道脇に、
土を盛って木を植えて、往来の目印とした。
当時の江戸幕府の街道整備の事業の一環では~
最新の画像[もっと見る]
- 積雪34cmの朝 7年前
- 積雪34cmの朝 7年前
- お掃除ロボットの活躍 7年前
- お掃除ロボットの活躍 7年前
- お掃除ロボットの活躍 7年前
- 冬至の朝 7年前
- 冬至の朝 7年前
- 冬至の朝 7年前
- 冬至の朝 7年前
- 薄化粧の早朝 7年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます