当時としての公会堂は、巨額な建設費を要し、費用の約半分を盛岡市が負担することで完成を見たといわれている。
設計者は、東京の日比谷公会堂や、早稲田大学の大隈講堂の設計で知られる佐藤功一博士。 ちなみに日比谷公会堂は、この建物より2年遅れて昭和4(1929)年に完成した。その建設は関東大震災後の東京再興に尽力した後藤新平が情熱を傾けたことでも知られています。 県公会堂と規模こそ違うがが、塔を掲げた姿は、 良く似ている。
県公会堂は、終戦後も文化の殿堂として活用されてきましたが、昭和48(1973)年に県民会館が開館すると、静かに現役を引退し、歴史を思わせる佇まい。
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こうして古い建物が大切にされているなんて・・・
これからももっと古いものを大切にする心を日本人は
育てていって欲しいですね。
こんにちは*^^*はじめまして。
実は私、佐藤功一の曾孫なんです。東北(岩手県は)訪れたことが無かったのですが・・・やはりご縁があって今年から私は岩手県に住んでおります
(来春まで)今度、ゆっくり盛岡行きたいですね~
ありがとうございました。
お邪魔しました。*^^*