チェーンスモーカーの後・出師の表

気ままに、時事問題、今日の出来事の喜怒哀楽を書いていきます。

自己中心的テロ設定

2008年03月20日 00時21分01秒 | Weblog
「制御無理なら引退」 ダライ・ラマ、自制促す(朝日新聞) - goo ニュース
やんぬるかな。この記事の出元が朝日なので多いに信憑性に欠けるが、しかしこの度は、ただただアサヒっているわけではないだろう。そう思うととともに、ダライ・ラマとはまさしく聖人君主であると、改めて感じた。

この記事をそのまま読むと、ダライ・ラマが自己の保身に走り、自分が首謀者でないことを言いたいが為に、独立を叫ぶチベットの国民を売ったと感じられる。また、本当かどうかは分からないない(ただ、これはさすがに朝日新聞お得意の悪意溢れる誤訳か誇張だと思います)までも、「この運動は我々の掌握できる範囲を超えている」、「チベットの独立(の要求)は問題外だ。チベット人と中国人の共存を呼びかける」とまで言ったとするならば、ダライ・ラマが、自己保身ばかりか、チベットには自治区が統治できないほどの影響力を持つテロ組織がいると認めたとすら、感じられる。

こんな解釈の仕方は間違っている。

しかし、その解釈が間違っていたとしても、そのような解釈が出来なくもない発言をしたことはおそらく事実なのだろう。その証拠に、見事にアサヒられていると感じられる。これはおそらく、ダライ・アマの計算ずくの言動で、世界中にある、朝日新聞のような卑小なメディアを狙って、ダライ・ラマが自分を悪者として報道させるべく、ダライ・ラマ自身が図ったことだと推測します。動機は勿論、チベットの平和です。



残念ですが、チベットの独立獲得の公算は低いと言えます。こんなことは私などが言わずとも、皆分かっていることだと思います。今更言うまでもないですが、中国とは、5カ国しか承認されていない国連の常任理事国であり、国際的には、世界平和を決定する最高機関とされている国の一つです。そんな国が、自国からの独立、分裂を声高に叫ぶ地域を名指しして、「奴らはテロ組織だ」と言えば、それは鹿でも馬になる程の発言力となります。まさしく国際的なアンタッチャブルと言えるでしょう。

ダライ・ラマは、このままではチベット国民(敢えて国民と言いますが)が皆殺しにされてしまう。このまま運動しつづければ、チベット種族は滅んでしまうと考えたのでしょう。その懸念は、多分当たっています。このまま行けば、中国は、いえ、中国ならやるでしょう。そして、その後は・・・。その後はありません。国際的なアンタッチャブルは、非難を浴びながらもやはり堂々とチベットを支配し、そこにある資源を我が物顔で奪いとりながら、チベット人がチベットからいなくなるまで、ずっと迫害を続けるでしょう。結局、この騒動は、水面に水を投げるだけで、結果は何も生まないのです。

おそらく、たとえ今からでも、ダライ・ラマがチベット人に向かって「我々が悪い」、或いは「やめよ」と、一言でも発言すれば、チベット人は皆、戦うことをやめるでしょう。それだけことが、たったそれだけで出来る人物です、このお方は。ただ、そうした場合、状況は変わらないどころか、チベット人は、チベットという国の終わりを痛恨するものと思います。

戦いを収めるには、これが一番てっとり早く、また人的被害を一番出さない方法でしょうが、それだけは絶対に出来ません。それはチベットを葬ることと同じだからです。また、チベット人を愛しており、何より全く非のない無辜の民が、非人道この上ない乱暴者に虐殺されているのに、そんなことを述べられる理由はありません。

そこでダライ・ラマは、チベットと、中国の双方から憎まれることを考えたのでしょう。チベット人には分かる言葉で、他国にはどちらとも取れる言葉で、中国には、愛される言葉で・・・。こうすることで、この問題に決着をつけずに置き、チベットの正当さを伝え続けると同時に、中国人の大量虐殺の理由とプロパガンダを取り上げることができるのですから・・・。国際的にはダライ・ラマは悪者となるでしょうが、チベット人に、明日の独立への希望と、チベット人の志を与えたまま、チベットの今日の滅亡を逃れることが出来るのです。


以上は私の作った拙い物語ですが、しかしこの戦いが終わった時、いえ、一段落した時、その帰結がチベットの滅亡でないことは確かだと思います。ただ、その時ダライ・ラマは、引退してるかもしれません。それならだけならまだいいですが、ただ、そうだったとしても、最後には犯罪者として中共に逮捕されることになるでしょう。テロリストとして。

とはいえこのテロという言葉、私には、実はこの語の具体性がよく掴めていません。というのも、辞書等を開いても、抽象的な表現理由しか掲載されていないからです。

例えば、オウム真理教はテロ組織だったのか?日本赤軍はテロ組織だったのか?と問われれば、私はテロ組織だったと答えるでしょう。しかし、東ティモールやコソボなどはテロ活動によって国家となったのか?と問われれば否と答えるでしょう。そして、ロマノフ王朝を倒した当時のロシア、ルイ16世をフランス革命によって打倒した市民などの例に対しては、まさかそのような言葉など思い浮かびもしません。

もっと広げて、革命はテロか?独立はテロか?反勢力はテロか?と問われれば、それは多分、それ自体はテロでないでしょう。これに対しては、その語の持つそのままの意味と表現方法(言葉)を適用すべきです。

では、殺し方、革命の仕方の如何がテロか?というと、それも違うと思います。手段は、その目的を達成する動機(意気込み)の強さと拘りを表しているに過ぎないと思います(動機が洗脳や宗教によるものは、間違いなくテロです)。

こんなことを考えているうちに、ふと私は、甚だ自分勝手ではありますが、テロいう語をもっと具体的に表したいと思いいたり、自分なりにテロという語の説明と表現するに足る必要条件を考えてみました。

先ずテロとは、殺すという行為、その前提の上に成り立つものです。ただし、その殺す方法は、例えそれがどんなに残虐、残酷なものであったとしても、それだけではテロとは言いません。手段や方法などというものは、殺すという行為に置いては、それがどんな方法であれ、五十歩百歩の、本当に些細な問題です(テロという語の説明の為の表現です。一般犯罪とは区別してください。)。

その上で、テロと位置づけられるもの、それは当の自分が、同情の余地、賛同の余地を全く見いだせない自分勝手な動機によって行わる政治的、社会的な行為だと定義します。ここで言う賛同とは、良心だけなく、お金などの、いわゆる自己の利益も含みます。

分かりやすく言えば、殺し屋から見る、殺し屋という稼業によって得た利益は、同業の殺し屋から見れば、テロによって得た利益ではないということです。
では何か、というと、多分それは尊い労働の成果物なのでしょう。
また、もっと分かりやすく言えば、中国が侵略によって得た土地は、ロシアから見れば当然の成果物であり、且つそれこそ見本とすべき見事な政治ぶりだ解されるということです。

非常に身勝手な言葉の定義づけですみません。でも、テロを起こす人が身勝手なら、テロをテロだと判断する人もまた身勝手なのです。自分の身勝手さによって生まれたテロは、寧ろ自分の行ったテロによって起こるべくして起こったテロですよね。この場合、私以外の人は、私をテロリストだったと評価することでしょう。

そこでです。ある動乱、戦争、内戦などを見て、それをテロ行為と批難する人は、自分の立場、そして良心が、どの方面に属しているのかを是非表明して欲しいと思います。それがあって初めて、他人は、それがあなたにとってテロと呼べるのかどうかを判断できるわけです。

テロという言葉は、現在非常に強烈な語とされています。この一言に、実に多くの国々が敏感な反応を示します。しかしその定義は、非常に曖昧且つ抽象的で、言ってしまえば自分勝手な決めつけなわけです。

ただ、それをテロだと判断する人の数が、それをテロでないと判断しない人の数を上回れば、強烈な語として認知されているだけに、多数決が、国際的な大きな影響力となります。

中国をテロ組織と認知し、国際的なテロ国家であると位置づけることは、全くもって正しい表現だと思いますが、皆さんどうでしょうか?