日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

アウトプットからインプット生活に入る・前編

2007年07月10日 | 言葉や思いをめぐらす日々
昨日、久しぶりに仕事をした。
7月に入って初めてだった。

あんまり、
そそる仕事がなかったのと、
何か少し「切れた」ものがあったので、
自然とそうなったんだけど。

今週末も、一応仕事は入れたけど、
来週は、また一日しか入れていないし、
その後もそんなにやっきに入れていない。

スポーツジムも、
からだのしくみ故に、
ここ数日、小休止。

ブログのペースを緩めるのは、
前々から決めていたことだけど。

いろいろ重なって。

滝のようにアウトプットしていた自分を、
ゆっくりゆっくり緩めながら、
7月も10日ほど経ち。

     ★

そういう、
あらゆる自分のアウトプット終息状態を、
予感し始めた六月下旬から、
本格的に、読書をし始めた。

ほぼ反比例して始めだしたインプット作業。

田口ランディさんの本を読了したことは
前述したけれど、
先週のうちに、重松清さんの
『流星ワゴン』を読み終えて。
今日はよしもとばななさんの
『なんくるない』を読み終えた。

久々に速いペースで、読書をしている。
物語を吸収している。

田口さんを読み終えたとき、
「あ、私が飢えているのは、このテの本じゃないな」
と、思った(おもしろかったことは、おもしろかったんですけどね)。
「じゃ、これかな?」と思って『流星ワゴン』で、
「あ、やっぱりこっちのほうだ」と、確信して、
『なんくるない』になったんだけど。

つまり、読みたい本が、
「小説」になっているってことだ。

司馬遼太郎をはじめとする、
コラムやエッセイの波が、
一段落したのだ。

(あれ?夏目漱石は小説じゃないのか?・笑)

     ★

コラムやエッセイを
本能が欲している時、
私は本を、
自分の主体を補完するために、
読んでいた節がある。

変な言い方だけど、
7割は自分の思考で読み、
3割で作者の思考を取り入れるというような。

自分の人生に必要なところを、
吸収しようとするような。

でも小説は逆で、
7割以上をその物語に身を任せ、
3割以下で自分の感情が匂い立つような感じ。

で、後者のほうを、
猛烈に欲している状態になるということは、
逆算的につくづく、
今の自分に、
飽きているんだな、と気づいてしまう。

仕事もスポーツジムも、
現実を生きる私を支えてくれるけど、
自分の本性のようなところの支えにはならない。

自分ではない他人の
人生の流れに委ねる、
錯覚の中で、
何かを掴もうと、
本能が行動させている、と感じる。

自分の内面の、
六角形を八角形に変えていくような。

現実離れをし過ぎないように注意しながら、
少しずつ、砕き始めたのだ。

再構築するために。

     ★

『なんくるない』を
梅田の喫茶店で読了したとき、

「あぁ~、旅がしてぇ~!!
沖縄じゃなくてもいいから、どっか行きてぇ~!!」

という、
『大阪から出たい出たい病』まで、
目を逸らし続けていたのに(笑)、
どうしようもなく発見したけど、
かろうじて押さえ(笑)、

(※あぁ、だから、東大阪歌会のところで、
最後のほうに、全国歌会のことをチラッと書いたんだな。
だいぶ前から決定してたのに。
『いつかは絶対、旅が出来る』と、
自分に言い聞かせるために、書いたんだなぁ・笑)

紀伊国屋へ、また物語を求めに行く。

なるべく読んだことのない作者の文庫本を、
買い漁った
(でもやっぱりよしもと氏と重松氏の本は入れてしまったな・笑)。

そして、
読みたい気持ちを抑えて、
帰路に着くべく、地下鉄に乗ったのだが、
結局押さえ切れなくて、
最寄り駅に降りてから、
また喫茶店に入って30分ほど読んでしまった。

どぶさらいのように、
自分から逃避しようとする。

投げても投げても、どうしようもなく在るというのに。

いや、逃げるというより、けなげなのかも(笑)

「でも、食べなければいけない。
お前がご飯を作らなきゃ、Yさんまでも飢えてしまう」

そう言い聞かせて、
コーヒーだけで満腹気分だったけど、
生々しいほど現実的存在の夫のために、
もう一度、踏ん張って帰路につく。

そんな私のところに、
一通の手紙が届いていた。

金美雨さんからだった。

……あ、やばい。

タダでさえ、支離滅裂なのに、
さらに話を展開するのは、やめておこう。

この続きは、また明日。

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