9月26日(土)の、
急に行ったライフでの
ヒマヒマな仕事の時のことだ。
久々に、もの思いにふけった。
特に、仕事を始めた、最初のところらへん。
「店側には、必要とはされていないし、
メーカー側には、頑張ってもらおうとは思われてはいない。
こういう私って、どういう存在?」
突き詰めていくと、
足元がふわっと浮くような、
頼りない、心細い、寂しい感覚がした。
その時、ふと、あるフレーズが立ちのぼってきた。
「誠意の為の、人身御供や~」
こ、このフレーズのキャッチーな感じ、言い方、
あぁ、これは、彦麿呂や~!!
なんと、ズバリと言い当てるのか。素晴らしい、彦摩呂!!
読んでみて。このフレーズ。彦摩呂調で。
ぴたっとこない?ぴたっと!!
ものすごく、その時の自分の立場を、
言い当てているな、と、感動した。
その後、しばらく、
「もしも、彦麿呂だったら」的な想像をして、
今いる状況を、
面白おかしく言い当てることに夢中になった(もう忘れたけど)。
で、ひととおり感動して、すっきりした後、
「まてよ」と、ふと思う。
なんでここで、彦麿呂が出てくるんだろう?
出てきたといっても、私の頭の中であって、
別に、
『アラジンの魔法のランプ』の如く、
汚いランプをゴシゴシこすって、
『お呼びですか?ご主人さま』的に、
現れてもらったわけでもないが(似合いそうだけど)。
何故、彦麿呂になって、私は自分の立場を言おうとしていたんだろう?
そう考えていくと、
「これは、奥が深いぞ……」と、
思わずにはいられなくなった。
★
彦麿呂が立ちのぼってくる前、
私は不意に、今、自分が置かれている状況に、
本格的な寂しさを感じそうになっていた。
その寂しさは、今置かれている自分の状況だけじゃなく、
いろんな側面に開いている穴にも、
吹き付ける風のように、通り過ぎていった。
風は、痛みを告げていった。
つまり自分の、根源的な寂しさにも触れるような、
だましだまし、見ないようにしている部分を、
見せ付けられるような、恐さにつながっていっていた。
そこに彦麿呂が現れて、
この冷え冷えした状況を変えたのか、
と検証した。
それは、ある意味では、「弱さ」とも思えた。
彦麿呂が現れたといっても、
所詮、自分の空想だ。
「何故、こういう寂しさを抱えているのか」というものを、
直視する前に、なんとかごまかそうと、
心が作用したとも言えた。
それは、ある意味では、「強さ」とも思えた。
例えそれが、自分の言葉で言い表せなくても、
ズバリと自分の状況を言い当てたい、
はっきりと思いたい、強く感じたい、
自分じゃなくてもいい、
彦麿呂に代わってでも、言い貫きたいという、
粘り強い「自分」というものに対する執念とも思えた。
この両面を思うと、
二重人格者になる人の精神構造って、
こんな感じかも、と、リアルに思った。
別の人格が生まれる時、
そこには、その人の強さと弱さのもみ合いが、あるのかもな、と。
私にもきっとその要素が、ある。
が、全く知らない別人格ではなくて、
芸能人をはじめとする、
他人の印象を、
少しばかり拝借するやり方では、
因子はあっても、病気化しない気はしたけれど。
★
それは、ある意味では、「ユーモア」とも思えた。
何故、彦麿呂なのか。
それは、自分の彦麿呂という人のイメージが、
記憶の中にストックされていたからなんだけど、
何故にその人のイメージをチョイスした?
どうしてそっちに、飛躍した?
「寂しさ」に打ち勝てるものは、
「笑い」しかない。
自分で自分を笑わせるしか、
やり返せるものがないと、
今までの経験で、知っているからじゃないのか。
……っていうか、そう思っているのか、私は。
「寂しさ」に打ち勝てるものは、
「人との交流」しかない。
と、外側に向く人もいるだろうし、
「寂しさ」に打ち勝てるものは、
「からだを動かす」ことしかない。
と、肉体をいじめる人もいるだろう。
そう思うと、
ひとり、頭の中で、
彦麿呂というユーモアで、
寂しさをうっちゃっるのだとしたら、
そこが私のオリジナリティを形成しているのだろうと、思え。
人間関係を結ぶかどうかは、別として、
沢山の人に興味を持ち、
沢山の個性を目の当たりにするほど、
いざという時、自分で自分を救うんだろうな、と思ったりして。
★
それは、ある意味では、「TVっ子」とも思え、
それは、ある意味では、「生まれ育った土地の文化の浸透度」とも思え。
その他、いろいろ。
もう思いが型崩れして、拾い出せない。
いつもだったら、
「彦麿呂出てきて、あぁ面白い」
で、終わるところなんだけど、
この時は、本当に、いろいろ深く掘り下げていた。
いかに、あの時の仕事がヒマだったか、
このあれやこれやでも、きっとわかってもらえるだろう。
そして、「あぁ、消えてしまう前に、書き残してぇ~」と、
どれだけ、思っていたことか。
ちなみに、余談。
「彦麿呂」という漢字が思い出せなくて、
ウィキペディアで調べたら(興味のある人は調べてください)、
彦麿呂さんて、東大阪生まれなのね(育ったのは、大東市の方みたいだけど)。
また、あの時のライフは、東大阪市内だったの。
ぐっと気持ちを引き寄せられる、偶然。
同じ地元ということで、
これからも、面白いキャッチーな一言を、
私にインスパイアしてくださいませ。
その代わり、五行歌を作りたくなったら、
テレパシー送りますから(笑)
急に行ったライフでの
ヒマヒマな仕事の時のことだ。
久々に、もの思いにふけった。
特に、仕事を始めた、最初のところらへん。
「店側には、必要とはされていないし、
メーカー側には、頑張ってもらおうとは思われてはいない。
こういう私って、どういう存在?」
突き詰めていくと、
足元がふわっと浮くような、
頼りない、心細い、寂しい感覚がした。
その時、ふと、あるフレーズが立ちのぼってきた。
「誠意の為の、人身御供や~」
こ、このフレーズのキャッチーな感じ、言い方、
あぁ、これは、彦麿呂や~!!
なんと、ズバリと言い当てるのか。素晴らしい、彦摩呂!!
読んでみて。このフレーズ。彦摩呂調で。
ぴたっとこない?ぴたっと!!
ものすごく、その時の自分の立場を、
言い当てているな、と、感動した。
その後、しばらく、
「もしも、彦麿呂だったら」的な想像をして、
今いる状況を、
面白おかしく言い当てることに夢中になった(もう忘れたけど)。
で、ひととおり感動して、すっきりした後、
「まてよ」と、ふと思う。
なんでここで、彦麿呂が出てくるんだろう?
出てきたといっても、私の頭の中であって、
別に、
『アラジンの魔法のランプ』の如く、
汚いランプをゴシゴシこすって、
『お呼びですか?ご主人さま』的に、
現れてもらったわけでもないが(似合いそうだけど)。
何故、彦麿呂になって、私は自分の立場を言おうとしていたんだろう?
そう考えていくと、
「これは、奥が深いぞ……」と、
思わずにはいられなくなった。
★
彦麿呂が立ちのぼってくる前、
私は不意に、今、自分が置かれている状況に、
本格的な寂しさを感じそうになっていた。
その寂しさは、今置かれている自分の状況だけじゃなく、
いろんな側面に開いている穴にも、
吹き付ける風のように、通り過ぎていった。
風は、痛みを告げていった。
つまり自分の、根源的な寂しさにも触れるような、
だましだまし、見ないようにしている部分を、
見せ付けられるような、恐さにつながっていっていた。
そこに彦麿呂が現れて、
この冷え冷えした状況を変えたのか、
と検証した。
それは、ある意味では、「弱さ」とも思えた。
彦麿呂が現れたといっても、
所詮、自分の空想だ。
「何故、こういう寂しさを抱えているのか」というものを、
直視する前に、なんとかごまかそうと、
心が作用したとも言えた。
それは、ある意味では、「強さ」とも思えた。
例えそれが、自分の言葉で言い表せなくても、
ズバリと自分の状況を言い当てたい、
はっきりと思いたい、強く感じたい、
自分じゃなくてもいい、
彦麿呂に代わってでも、言い貫きたいという、
粘り強い「自分」というものに対する執念とも思えた。
この両面を思うと、
二重人格者になる人の精神構造って、
こんな感じかも、と、リアルに思った。
別の人格が生まれる時、
そこには、その人の強さと弱さのもみ合いが、あるのかもな、と。
私にもきっとその要素が、ある。
が、全く知らない別人格ではなくて、
芸能人をはじめとする、
他人の印象を、
少しばかり拝借するやり方では、
因子はあっても、病気化しない気はしたけれど。
★
それは、ある意味では、「ユーモア」とも思えた。
何故、彦麿呂なのか。
それは、自分の彦麿呂という人のイメージが、
記憶の中にストックされていたからなんだけど、
何故にその人のイメージをチョイスした?
どうしてそっちに、飛躍した?
「寂しさ」に打ち勝てるものは、
「笑い」しかない。
自分で自分を笑わせるしか、
やり返せるものがないと、
今までの経験で、知っているからじゃないのか。
……っていうか、そう思っているのか、私は。
「寂しさ」に打ち勝てるものは、
「人との交流」しかない。
と、外側に向く人もいるだろうし、
「寂しさ」に打ち勝てるものは、
「からだを動かす」ことしかない。
と、肉体をいじめる人もいるだろう。
そう思うと、
ひとり、頭の中で、
彦麿呂というユーモアで、
寂しさをうっちゃっるのだとしたら、
そこが私のオリジナリティを形成しているのだろうと、思え。
人間関係を結ぶかどうかは、別として、
沢山の人に興味を持ち、
沢山の個性を目の当たりにするほど、
いざという時、自分で自分を救うんだろうな、と思ったりして。
★
それは、ある意味では、「TVっ子」とも思え、
それは、ある意味では、「生まれ育った土地の文化の浸透度」とも思え。
その他、いろいろ。
もう思いが型崩れして、拾い出せない。
いつもだったら、
「彦麿呂出てきて、あぁ面白い」
で、終わるところなんだけど、
この時は、本当に、いろいろ深く掘り下げていた。
いかに、あの時の仕事がヒマだったか、
このあれやこれやでも、きっとわかってもらえるだろう。
そして、「あぁ、消えてしまう前に、書き残してぇ~」と、
どれだけ、思っていたことか。
ちなみに、余談。
「彦麿呂」という漢字が思い出せなくて、
ウィキペディアで調べたら(興味のある人は調べてください)、
彦麿呂さんて、東大阪生まれなのね(育ったのは、大東市の方みたいだけど)。
また、あの時のライフは、東大阪市内だったの。
ぐっと気持ちを引き寄せられる、偶然。
同じ地元ということで、
これからも、面白いキャッチーな一言を、
私にインスパイアしてくださいませ。
その代わり、五行歌を作りたくなったら、
テレパシー送りますから(笑)