日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

2007年11月の東大阪歌会

2007年11月04日 | 五行歌な日々
東大阪歌会。

北里くんに、
約140首もある全国歌会の冊子をコピーし、
「宿題。読んどいてね」と、
伊丹空港から郵送していたのだが。

残念ながら、北里くん、
お仕事の関係で、ドタキャン。

「とても残念です」と、
残念さの滲み出たメールを歌会二日前にもらっていた。

と、いう訳で、
私、楽人さん、ほしかわさん、増田さんの
いつもの4人で。

歌、お披露目。

     ★

       我に返れば
       心の襞が
       解れている
       石蕗(つわ)の花の
       黄色い風                増田 幸三

       ころげ落ちた
       湯飲みが割れて
       安堵する
       物からの
       解放                  ほしかわなお

       町工場の臭いがする
       長屋の路地
       狭い空の茜雲が
       なかった郷愁を
       作ってくれる              楽   人

       おばは 死ぬかもしれなかったし
       生きるかもしれなかった
       その時は無駄買いとなったのに
       この黒のパンプスで
       もう何回目の通夜だろう         稲田 準子


     ★

増田さんの歌は、またミスをしていた。

「花」と表記しなければならないところを、
「華」としていた。
反省ばかりで、全然できていないところが、情けない。

石蕗(つわ)とは「つわぶき」の花のこと。

……というところまでは、わかったのだが、
肝心の花の「画」が頭に浮かばなかったので、
残念ながら、入り込めなかった。
それは、楽人さんやほしかわさんも同様で。

つくづく、自然を身近に感じず生きてきたんだな、と思う。

確か、黄色い小さな花というような説明を受けたけど、
そう聞くと「菜の花」が浮かんでくるというくらい、
身近でなかった。

ネットで写真を探しました。

絶対に、他の歌会なら、
もっとこの歌を
芯から鑑賞できる方がいらしたと思う。

申し訳ない気持ちと、残念な気持ちが入り混じった。

ほしかわさんの歌は、
不思議な爽快感があった。

個人的に、とても好きな歌で、2点をつけた。

ただ確か、書き手の見解と読み手の見解に、
微妙な差異があって、
多少のせめぎ合いがあったりした。

そのせめぎあいの後、一旦休憩を取ったのだが、
その休憩の中で、

「歌の説明って、どこまですればいいんでしょう?」

という話題になった。

歌っていうのは、
上手くいえない部分を煮詰めている側面があり、
その歌が説明できるなら、
歌にする必要はないという
パラドックスな存在(?)ともいえて。

または、そういう
「一切しゃべりたくない」というところまでは
いかなくても、
「このくらいの漠然さなら説明できるけど、
そんな細かくは説明できない(したくない)」
という境界線が存在したり。

人からの感想や問いは、
自分が歌の説明をしながら、
把握し切れていない思いの発見を
させてくれることもあるけれど、

話している途中から、
「もうええやん。
作者に『回答』を求めんといて」
と、思いつつも、
妙にシーンとなる、その「間」から逃れるためだったり、
相手に対するマナーとして、
気持ちからズレながら話し続けて、
後悔したりすることもある。

で、私が思うのは。

全く説明したくないという歌を
歌会に出すというのは、
個人的にはマナー違反かな、と思う。

歌会的には「困ったなぁ」と思いながらも、
参加したければどうぞ、という姿勢で、
最初は臨むつもりでいるが(最初はね)。

そうではないけれど、という場合。
つまり「説明はしてもいいけれど、境界線はある」という場合。

それは多分、
作者単位ではなく、一首単位で、
ボーダーは違うだろう。

つまり、誰にも通用する平均的なポイントなんてなく、
また、その作者が、
「ここから先は、NO・NO・NO~」と、
一首一首毎回同じところで一線を引けることもないだろう。

歌は虹に似ている。

虹に例えてひとつの内面の揺れを説明してみると、

「Aという歌は、
『赤』の部分までなら誠実に答えるけれど、
『橙色』になると、それはもう……いや、まだ話せるか……。
『黄色』はこの人なら通じるかもしれないけれど、
あの人は『黄色』でもまだ『?』って顔をする……。
あぁでも、もういいんだけど……。
あぁなんかなんか、シ~ンとしちゃったぞ。
やだなやだな。えぇい『緑』だ!『緑』だ!
あぁ、でもここまで話すとなんか歌が変色する~!!」

こんな感じかな。

虹にしたって、くっきりと「赤」→「橙色」というような、
線を明確に引きながら七色を出しているわけじゃない。

グラデーションである。

つまり、歌も、
人に問われるまでは、
それなりのまとまりを持つ漠然とした「虹」として、
人にお披露目しているわけで。

問われて初めて、
「青」や「藍色」や「紫」が
自分の中で、
クローズアップされてきたりして。

だから、Aの歌は「赤まで」だとしても、
Bの歌は「緑までむしろしゃべらせて!」だったりもするし。

「どこまで説明したらいいんでしょう」ということの答えは、
「わからない」としか言いようがない。

ただ、何度も歌会に出席していくと、
自分のゾーンは見えてくるんじゃないかなっていう気がする。

「橙色から一切ダメ!」タイプなのか、
「緑~青ぐらいまでなら、ディープに話せる。うふっ」タイプなのか。
とかとか。

もちろん、グラデーションなんで、
ここまでならいけると思っていたら、
いつのまにか、「紫」に差し掛かっていて、
思いのほか後悔したりすることもある。

もうそういうのが、嫌で嫌でたまらなくて、
引き受けられないなら、
五行歌を歌会で楽しむのは無理だろうな、と思う。

そういうのって、
例え仕事じゃなくったって、
人と人とが関わる場である以上避けきれない。

歌会は「組織」ではないけれど「楽園」でもない。

ただ、話しすぎて、
後悔の感情の処理をする方法は、
なんかひとつ持ってたほうがいい気がする。

だって、その後悔は、
基本的に読み手のせいでもなければ、
歌会のせいでもないから(あくまで基本ですが)。

でも、
心が折れて、弱くなって
お門違いに、
そういう方向へ原因を求めたくなる時もあるから。

ちなみに私は、
「どうして、後悔したんだろう?」と客観視して
考え続けることで処理をします。
そして、
その答えを自分なりに発見したら、忘れます。

決して、
「よし!次こそは!的確なところでしゃべるのを寸止めするぞ!」と
前向きに意気込んだりしないようにしています(笑)

ただし、
そういう方法を持っていても、
波はあって、
根本的なところで自分が疲れ果てていて、
後悔に、対応しきれないときがあります。

そういう時は、もうどうしようもないです。
強いていうなら「時間薬」かな。

歌会をしばらく休めばいいと、
前までは思っていたけれど、
最近は考え方が変わりました。

休むと、サイクルが狂います。

そして、その「狂い」は、
自分の中の歌会の価値を低めます。

スポーツジムへ行くと、からだが気持ちいいと、
わかっているのに、
もはや、全然行けなくなっている、私のように(あかんがな!)

まぁサイクルを狂わせても、
それがその人にとっての、
人生の次のステージへ行くための
流れなのかもしれませんがね。

完全に横にずれてきました。話を戻します。

楽人さんの歌も、
私は個人的に好きでした。

四・五行目が、なんといっても、やはり。

読み手の話や、作者の話が思い出せないけれど、
限りなく一致したんじゃなかったかな。
見解と共感が。

私自身は確か、
「よく、自分のお父さんやそのちょっと下の世代の人が、
『東南アジア』へ行くと『昔の日本みたいだ』と、
郷愁を漂わせて言ったりしているのを、よく聞いたけど、
この前北里くんが、旅行から戻ってきて、
これに限りなく近い印象を持った、みたいなことを言ってたんで、
『おいおい、あんたはそんな昔の日本を知らんだろ』
って思ったりしたんだけど、
なんだか、その時のことを思い出しちゃった」
みたいなことを、しゃべった気がする。

稲田の歌は、
この前の夏に田舎へ帰ったとき、
おば夫婦の墓参りに行ったのが、
ちょっとしたきっかけになって。

そのおばは脳溢血で倒れ、
当時は不真面目な院生で
時間に融通のきいた私は、
親と一緒に病院へ。

田舎の病院へ着いたとき、
おばはまだ
ICUで生死をさまよっていたのだが、
私は親に言われるがまま、
大阪から喪服を持っていっていた。

が、パンプスがなかった。

それで、
母親と一緒に、病院近くの商店街へ
黒のパンプスを買いに行ったのだが、
なんだかすごく違和感があって。

まだ、生きているのに、なんて。

結局おばは
その時は命をとりとめた(二年後に亡くなった)。

パンプスは、その時は無駄になった。

それを思い出して詠ったわけだけど。

パンプスがムダになって、
大阪に戻ってから、
その違和感を詩に書こうとしたのだが
(当時は五行歌の存在すらしなかった)、
うまくまとめられず、完成しなかった。

あれから12,3年経って、
それ以来の田舎帰りの夏で。

あの違和感をふと思い出し。

なんでもない、四・五行目なんだけど、
その言葉を「実感」として書くのに、
これだけの年月が必要だったのか、と思う。

「社会人になるとはどういうこと?」
という問いに対する答えには、
様々なものがあるだろうけど、
私は「就職する」という答えに比べれば、
「身内の冠婚葬祭に参加すること」のほうが、
実感を持っていたりする。

特に、お葬式の場合は、
制服ではなく、自分の喪服で、
いろんな手伝いをしたりして、
いよいよ、一人前の(次の)役割を担わされたんだな、と。

が、その入り口で、
パンプスを準備していなかったというのは、
社会人にも
まさにまだなりきれていないことを、
露呈したみたいで
(その当時は気持ちが中途半端な院生だったので、特に)
なんともいえない気持ちになって、
それを纏め上げること(詩にすること)もできなくて、
残ってしまった。

心の傷というほどではない、
なんでもない思いなんだけど、
この歌が書けたことで、なんだかさっぱりした。
しこりが消えた。

今はもう、じくじくとした違和感はない。

     ★

二次会や三次会は、
面だって、全国歌会の話を、
増田さんにする、というかたちになった。

全国歌会のことは、
もうここで一区切りつけたい、という思いがあるが、
きっと、北里くんは、
「話、聞けないんだろうか。うー、作者ぐらいは知りたい!」
と思っているかもしれない。

まぁ増田さんが来月欠席だといっていたしな。

12月の歌会は
どんな話になるかわからないけど、
一応全国歌会の冊子と、
作者名のあるプリントぐらいは持っていこうか、と思っている。

彼が出席、できるならね(笑)

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