日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

2007年全国大会in阿蘇⑩~雲仙観光編②~

2007年10月29日 | 五行歌な日々
本当は「みずなし本陣」のあと、
仁田峠という、普賢岳方向の山の方へ行ったのだが、
「普賢岳災害関連」というつながりから、
「旧大野木場小学校被災校舎」のお話を先に。

「みずなし本陣」は、
土石流災害の怖さを教えてくれた。

対して「旧大野木場小学校被災校舎」は、
火砕流などの災害を伝える建物だった。

噴火して巻き起こった、
火、風の影響。

冒頭の写真は小学校の入り口。
風でガラスが吹き飛んでいる。


ガラスから、なにからかにから吹っ飛んでいる。
その時、小学校は授業中だったらしいが、
幸いにも、こちらも避難勧告が事前に出て、
子どもや教職員さんたちみんな無事だったとのこと。
でも、運動場に説明文とパネルがあって、
後ろからもくもくと煙があがる校舎から、
黄色い帽子をかぶった子どもがひとり、
先生のところへ行こうとしている写真があって、
胸がつまった。


       
       校舎がこんな風にボロボロになっているんだから、
       このイチョウの木も、その時は葉が焼かれてしまって、
       ボロボロ。
       もう二度と生えてこないんじゃないかと、
       地元の人たちは思っていたそうだ。
       しかし、「みずなし本陣」のツタと同様、
       植物の生命力はすごい。
       多少、地球の自転軸程度にナナメに傾いたままだけど、
       今は季節ごとに、豊かに葉を生い茂らせている。
       校舎より、このイチョウの木に、泣かされた。
       ちなみに、右下に小さく写っている赤いマフラーの人は、
       草壁主宰。和服の仮面ライダーではない(笑)


ちなみに、イチョウの木の植樹は、
昭和18年。卒業生より送られたものとあった。

昭和18年……戦争中。

距離感がつかめないので、わからないが、
若木の頃、
長崎の原爆の被害は受けなかったんだろうか。

受けていなかったとしても。

     ★

校舎の横に、
大野木場砂防みらい館」という建物があり、
無料で見学できるのだが、
フェリーの時間の関係上、
時間がないということで、
イチョウの木に圧倒されていた私は、
もういっぱいいっぱいで、
中に入らなかった。

後に、展示物などをいろいろ見た樹実に、
「ぶたが二匹、見捨てられて死んでいる写真を見た時は、『うっ……』っときた」
と、聞いた。
「そりゃね、いつか、人間に食べられる運命だったとしても、
あの死に方は……」

そうやなぁ、とうなずく。

確かにTVで見たことがある。
人間が近づけなくて、エサをやれず、
牛や豚が飢え死にし、横たわる姿とか。

家畜にも「どう死ぬか」というものはあるかもしれない。
さぞや、理不尽だっただろう。

ここの後、
熊本へ再び渡るため、港へ向かったのだが、
フェリーを待っているバスの中で、
丁度真横に、馬を乗せたトラックが並んだ。

何故、熊本へ渡るのか。

阿蘇で放牧されるのか、馬刺しなのかは知らない。
所詮私にはわからない。

が、馬は馬なりにわかっているのかもしれない。

頭の中で『ドナドナ』が不意に流れた。

流れた気持ちは気持ちとして。

「おみやげ物屋で、『馬』関連のものがあれば、
ちゃんと買って、大阪でおいしく食べよう。
それが、お肉になった馬にできることなのならば」

なんて、考えていた。

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