日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

2007年全国大会in阿蘇⑥~ウラ歌会編~

2007年10月27日 | 五行歌な日々
お風呂から上がって自分の部屋に戻ると、
稲本英さんがいて、
「ウラ歌会、参加してもいいですか?」
と聞かれる。

いいんじゃないのかな、と答える。

で、稲本さんと一緒に
人々が集まっているであろう部屋に戻ると、
思いの外、人がいたので、ちょっと驚いた(笑)

部屋の主3人に加え、
純ちん、しづくさん、伊藤柚月さんがいらっしゃってて、
そして、
「やっぱり眠れそうにないから」と須賀知子さん。

合計9人かな……って、
普段のパブリックな東大阪歌会よりめっちゃ多いんですけどウラ歌会(笑)

伊藤柚月さんとは初対面だった(こんにちは)。

この人数になると、知らない人同士のところで、
プツンと境界線が出来て、私語が生まれやすくなって、
話が聞こえにくくなって、
一緒の空間にいる意味がなくなるかもなぁと思って、
とりあえず、
とっつかみだけ仕切った。

大したことではないけれど、
知っていても改めて、自己紹介をし合って、
自分の提出歌について、話をしてもらうような、
流れをつくる。

あとの脱線は好きなように、と(笑)

     ★

ウラ歌会をオモテにさらしてどないするねん、
というところもあるので、
あまりここで内容に細かく触れる気はないが、

歌会における、
「ひざカックン」的突っ込みについて、
盛り上がりました、ぐらいは、
いいかな、書いても(笑)

     ★

私個人の経験を例に。

例えば、9月の芦屋歌会での私の歌。
ケトルが鳴くことを、『怒り』とみなした歌について、

「ケトルにお水を入れて沸かし始めたら、ふつふつ言うのは、当然じゃない?」

と、歌になる根元を
すってんころりんとさせられてしまうような意見とか。

(私自身は確かに驚いた意見だったけど、うんざり感はなく、
いろんなことを超越して、笑ってしまっています)

このブログの最初の頃、
自分の梅の歌のことで、いろいろ書いたことがあったのだが、
その際に、純ちんにコメント欄で書かれたことだとか。

簡単に説明すると、
私の、
「梅が泡だって、空を洗う」という内容の歌について、

「梅は空を洗わないと思っちゃうの。いじわる?(笑)」

という、感じのところ。

「そういう風に言われてしまうと……」
と思おうと思えば、思える(←じゃあ、思うなよ・笑)。

(コンパクトに、コメントの一行だけ挙げてますが、
絶対彼女の意見を誤解するので、
知らない方は、ぜひ、ちゃんと全文を読んで下さい。
少なくともこんな風に言われている当の稲田本人は、
全文を読んで、ちゃんと内容を受け入れていますので)

なんていうんだろう。

こういう、
歌う気持ちの部分が「ひざカックン」的にこけそうになるような意見。

繊細な人は、
変に刷り込まれると、歌う気持ちに萎縮が走ったり、
面と向かって、人に読ませることに自信をなくしたりする。

繊細でなくても、まぁブスっと怒っちゃうときもあるかな(笑)

     ★

歌会における、こういう「ひざカックン」な意見について、
私の最初のリアクションは、「驚く」ということだ(笑)

まず驚く。びっくり。それだけは間違いない。

ただ、驚いた後が、多岐に分かれる。

①信頼関係を築き上げてきた人が、
真摯な気持ちを込めて述べてきた場合は、
一瞬「むっ!」としても、
感情を抑えて考える方向へ行く。

その直面している歌会では、感情に支配されても、
じっくりじっくり忍耐強く考える。

そんで、次回の歌会ぐらいに、
「ちょっとへこんでん。しくしく」ぐらいの本音は、
『終わったこととして』ぐらいのニュアンスで、
ちゃんと相手に伝えると思う。

②歌会の盛り上がりを重要視した人が、
作者の気持ちを尊重するより、
意見の偏りを考えて、
その「バランス」という動機から発言した場合、
自分自身が冷静に意見交換ができるぐらい、
寛大さを保てたら(あんまりできるほうではないけれど・笑)、
冷静に何故なのかちゃんと聞こうとしたりする。

口先だけなら、内心ムカムカして、どこかで愚痴って、
その人を「要チェック」すると思う(笑)
でも、
「自分がこの歌で思っていることは、いくつもある。
でも、他の人がすでに一番いいたかったAという意見を言ったから、
その次のBをいう意見を言わせてもらう」ぐらいの、
思いがちゃんとあるのなら、違和感を感じつつも納得できるような気がする。

これも、奇を衒わずに、真摯な態度ならだけど。

③「この手の歌はわからない」と歩み寄りのない人が、
じっくりその歌を見ることもなく、
言い放ってくると、
多分、キレるなぁ(今のところ出会ったことないけどねー)。

あと、
読み手側の発言以前に、
作者が、その歌にベストを尽くしきれていなければ、
簡単に逆上しやすい体質になっているだろうなぁ。

いや、もしかすると。

作者自身がものすごく繊細な人の場合、
「そんな風に言われるんなら、歌会はもういいや。
歌誌の投稿だけで」
と、いう風に人前に出ないようにして、
五行歌に接する道を選ぶ人もいるかもしれない。

私に言わせると、
繊細というより、本当は、
発言しあう場に対する「慣れ」の問題だと思う時もあるけれど。

慣れるまでに、耐えられない人もいる。
慣れたくない、という人もいる。

無理には決められない領域か。

     ★

私は多分、よっぽどひどい人でない限り、
耐性ができているほうなんじゃないかな、と思う。

耐性……いや、対処方法が身についているというべきか。

あんまり記憶にないけれど、
最初の頃は、いちいち引っかかっていたかもしれない。

でも、特に歌会の代表をやっていると、
いろんな人が来るので、
どんな発言をする人でも、
最初は耐えて、受け入れようとする姿勢から接していくので、
鍛えられたのかもしれない(そして、すぐに限界が……笑)。

私は五行歌を書いている人は、基本的に、
誰も、
悪気があって「ひざカックン」の意見をいう人はいないと思っている。
そう信じようと思うことにしている。

なので「ひざカックン」の意見をいう場合は、
真摯な態度で、出来るだけ丁寧に、
その価値観の違いを述べてほしいとお願いしたい。

そうすればきっと、
気持ちの共有はないかもしれないけれど、
理解できる距離感はつかめるんじゃないかな。

こんなこと言っている私自身も、
もしかしたら、無邪気に、
作者のひざをカックンしているのかもしれない。

単に許されているだけで。

     ★

夜中の1:30ぐらいになって、
純ちん、稲本さん、しづくさん、伊藤さん、須賀さんは、
お部屋へ帰られた。

私らはその後、
歌会の冊子のページを開いては、

「私な、これと、これと、これは(点数を)入れた」
「ここのページはあんまり入れなかったなぁ」
「今思うと、なんでこの歌入れてしまったんだろう……」

と、ほぼ全ページの注目した歌は、網羅して会話した。

そして、最後のほうは、何故か「美少年」について語り合っていた(笑)

私が、純ちんと稲本さんが寝ている部屋に戻ったのは、
3時半を過ぎていた。

「起こさないように、帰らねば」とだけ考えていた私は、
部屋に入った後、鍵をかけることも忘れてそのまま寝た(笑)

純ちゃんに、
「あ、いなだっち、鍵かけ忘れてる……」と、
ちゃっかり起こして(いや、起きていたんだっけ?)、
気づかれているとも知らず(笑)

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