日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

2007年4月の東大阪歌会

2007年04月01日 | 五行歌な日々
東大阪歌会でした。

久々に、今回は6人。
以前、急遽欠席なさった芦屋の大西稚比子さんが、
須賀知子さんと一緒に初参加でした。

歌、お披露目。

     ★


       孤独感に入ると
       心の声に従いながら
       過ごす
       心地よさも
       味わえる          大西稚比子


       海を経て 山を経て
       五重塔を経て
       新幹線の窓からじゃ
       見えない
       この国の片隅へ       稲田準子        


       ひしめきあう
       菜の花の
       黄
       私の立ち位置が
       狂う            増田幸三


       梅と木瓜の区別
       できた方がいいに決まってる
       でも 先ずは
       花を愛でる
       こ・こ・ろ         須賀知子


       雨と晴れの境目が
       アナタとの
       間にあるのではと
       思うくらいに
       距離がある         楽  人


       コーヒーよりも
       アップルティーの方が
       香りが移るのだ
       と知った春先に
       水筒を携える        ほしかわなお



     ★

大西さんの歌は、
約、一時間かかった。

さて、どうやって、まとめて書こう。うーん……(笑)

しゃべり合って、しゃべり合って、
途中から作者も交えながら、
しゃべり尽くした結果、
言葉の向こう側に対する理解度、共感度に関しては、
ある程度、一致していることはわかった。
(作者とまったくピッタリっていうことはないでしょうけどね)

が、何故、一致しているにも関わらず、
一時間も話さなければ辿りつけなかったかというと、
「歌の中の言葉」の
意味(位置)づけの違いが、そうさせた。

「歌」そのものは、言葉の向こう側への扉なのだが、
「歌の中の言葉」は私と須賀さんにとっては、
迷路を生んだ。

一番の迷路は、「孤独」という言葉だった。

もう少し厳密に言うと、
その後に「入る(と)」という「動詞(+膠着語)」の
合わせ技で、迷路になったというべきか。

「孤独感」に「入る」ということは、
「孤独感」というものに、入れ物的なイメージが喚起されないと、
なかなかすんなり胸に意味が流れてこないと思う。

せめて「孤独」なら、私や須賀さんは、
そういうイメージが喚起されるんだけど……と違和感を唱えれば、
それは違うと、楽人さんと作者は言い。

で、対話の中間をすっ飛ばして(っていうか、よう説明できまへん××)
「孤独」と「孤独感」の言葉の関係を図にして説明すると、

   

こんな感じ(いいじゃないか、アナログ的で・笑)。

言っておくけれど、
私や須賀さんの言っている「孤独」は、
別に肉体的な単位として取り扱っているのではない。
心理的な意味合いで使う「孤独」だと認識していただきたい。

説明するのが難しいけど、
「孤独」という心理的要素の中で、
私と須賀さんにとっては
まず「孤独」という言葉が
色濃い部分としてあって、
その次(周囲)に
「孤独感」という言葉が存在する。
が、
楽人さんと作者はその逆なのだそうだ。

そういう認識の違いのため、
この歌の指している部分がどこなのかってことに、
相違があり、理解度も変わり、対立した。

(正直言って、ここで自分で書いてても、
「こ、これでいいんだよな??」と、
自問自答を繰り返しています。ははは……)

作者の意は、
「このまま、ずーっと孤独感に入っていくと、
やがては鬱になるのでしょうけれど、
その一歩手前のところで、そこに馴染んでしまう状態のことを
書いています」とのこと。

楽人さんが補足のように、
「暗い部屋にいて、何も見えなかったのが、
だんだん目が慣れてきて、自分の手足が見えるようになって、
決して光が指してきたわけではないんだけれど、
それなりに楽しめるようになる感じですよね?」
なんていってたのも印象的だった。

言葉のチョイスの仕方の違いだけで、
言葉の向こう側にある、
その感覚は分かるのだが、
「いや、分かっていない」と作者に言われてしまうと、
言い返しづらいほど、難しい(ややこしい)。

が、歌にして、人に見せている限りは、
それは「伝える」行為なので、
それを続けていくというのなら、
「あぁ、分からないんだ」で終わるのではなく、
「今度はこの人たちにも伝わるように」と、
次の歌、次の歌へと、挑んでいって欲しいと思った
(っていうか、大西さんに直接ちゃんと言ったけど)。

楽人さんには伝わったという事実を、ステップに。

稲田のは、
AQ歌会へ行った時の帰りの新幹線での歌をさらに推敲して。

最初は、

       海を見て
       山を見て
       五重塔を見て
       新幹線の窓から
       この国を見る


だったのだけど、
いざ、歌会のための歌を探して、
ノートでこの歌を見たとき、

「そんなざーっと見ただけで、
この国を見たって気分になっていいんか?
お前は、外国の観光客ちゃうやろが」

と、ツッコミを入れてしまいまして。

私から見えるこの国は、
今住んでいるマンションの一角から見える、
風景であり、関わりであり、テレビなどから見える情報なんじゃないのかい?
という思いから、推敲しました。

が、

「『五重塔』と入れたのが、何を意味しているのか……?」
(この国の文化の象徴として入れたんですね。具体的には、京都の東寺ですが)

「『片隅』ということは、ずーっと新幹線で、田舎へ下っていって……」
(地理的位置で、『片隅』を捉えられてしまっちゃった××
猫の額程度の我が家の意味です……)

「『経て』……。う~ん……」
(あぁ、そこねぇ。『見て』に最初はしてたけど、四行目もあるから、
くどくなっちゃう気がしてねぇ……う~ん……)

と、いう感じで、分かりにくい歌となったようです。

次の歌で、頑張ります。だはは。

増田さんの歌は、
「立ち位置」という言葉に、
私と楽人さんがしっくりこないということで展開されていった。

あと「狂う」。

例えば桜なら、
見上げて桜を見ているうちに、
目眩のようなぐるぐる回る感じになって、
何かが狂っていくような錯覚になって、
しっくりくる動詞になる感じがあるのに対して、
(※坂口安吾だったと思うけど、『桜の下に死体』のイメージも、
かなり定着しているからなんじゃない?って意見もありました)

菜の花って、せいぜい腰の辺りまでの高さの花だから、
「狂う」というのが少し……う~ん……。

と、いうと、須賀さんが、
「桜が狂わせるのは『情念』じゃないかしら?
でも、菜の花が狂わせているのは、『立ち位置』でしょ?
もちろん、実際に自分が立っている場所なんだろうけど、
それだけじゃなくて、自分の存在だとか、立場だとか、
そういうところなんじゃないかな」

と、仰ったところで光が見えてきて。

作者が言うには、
「菜の花って、黄色だけじゃなく、緑がかってもいて、
群生しているのを見ているうちに、
『自分はもう70代でのほほんと安定したところで生きているけれど、
それでいいんか?』というような、気持ちになってきて……」
とのことでした。

須賀さんの歌は、
楽人さんが、
一行目が、体言止めになって切れているところから、
「花に例えながらも、花じゃないことを詠っているんじゃないか!?」
と、深読みし、

私は、
二行目の「……に決まってる」の部分は、
入れるか入れないか、きっと悩んだろうなぁと思ったりして、
それが正解だったりして、ちょっとガッツポーズだったりして(笑)

ほしかわさんは、
「『木瓜』が読めなくても、
先ずは『歌』を愛でるこ・こ・ろ」と
密かに思って読んでいたとか。
(※ちなみに私は、歌が送られていた直後は、
「木瓜(きゅうり)」と読んでいました××)

この歌は、実際にはご主人が間違われたそうです。
で、昔の須賀さんなら、
「花の名前を間違えるなんて!!」と思われるほうだったそうですが、
年を重ねて、今は、
「いや、それよりも大切なのは……」と思えるようになったそうです。

でも、あるなぁ。

自分がすごく好きな分野に対して、
「何もマニアックなところまで知っていろとは言わないけれど、
このくらいは、一般知識として、知っていてよ!
話が進まないじゃない!!」
と、思ってしまうことは、よくあることで。

だが同時に、
「木瓜」を「きゅうり」と読んでしまう私なので、
決して須賀さんのご主人を笑える立場ではなく。

両方の立場の思いを各々でかみしめたことでしょう(笑)。

楽人さんのは、
これまた説明するのが難しいなぁ……困ったなぁ……(笑)

「アナタ」は特定的な人を指しているわけではないそうです。
(だからカタカナなのね)

実際に、天気の中でこういうことは
よく経験するのだそうです。

自分の目の前で雨や雪が降っているけれど、
自分の頭上には降っていない、とか。

その実体験があって、
人と人との距離もまた……といったところ(だと思う。ごめんちゃい・笑)

ほしかわさんの歌は、
須賀さんが「具体性があっていい」と言われたことが、
一番のポイントかなって思う。

アップルティーって、実際には、
年中ある紅茶だと思うし、
リンゴの実る頃だといえば、
春ではないだろう。

が、この歌の中では、
「アップルティー=春」という連想が、
不思議とすんなり受け入れられる。

アッサムでも、アールグレイでもなく、
アップルティーじゃないといけないような。

この歌だけに許されるような季語として、
「アップルティー」が存在する。

また、季節を感じるというのは、
一般的には、受身になりがちな構図で、
歌に表現されるのがほとんどだと思う。

例えば、
水道の水が温くなったとか、冷たくなったとか、
それに反応して、季節を感じるというような。

でもこの歌って、
なんだか、アップルティーの香りが移った、
水筒から「春」が始まっていくような見え方がする。
不思議なんだけど、能動的。

白黒の画面だったのが、
水筒からだんだんとカラーになっていくような見え方。

作者曰く、
「会社にティファールのポットが置かれるようになって……」
って、言ってたけれど、
そんな細かいところをここで書くことはないか(笑)

ただ、歌というか、表現したいものっていうのは、
こういう何気ない生活の場から生まれるものだと思っている、
みたいなことを仰っていたのには共感した。

     ★

はぁはぁ。長く書いちまったダヨ。

よく書けたなぁ~と、自分を密かに褒める(笑)

だって、司会もして、メモも取らず、
記憶力だけだもの。

すごいわ。この調子で、
芦屋歌会の次のレポートも頑張らなくっちゃ(笑)

出来るだけ、多くの読まれた方に、
リアルさを持って伝わればいいけれど。

長々とお付き合いしてお読みくださり、
ありがとうございました。

二次会の時のことも、
今回は濃く書きたいと思っていますので、
それはまた改めて、後日ということで。

これに懲りずに、そちらのほうも、
お読みくださいませ(笑)

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2 コメント

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凄ぉ~い!! (須賀知子)
2007-04-05 00:05:45
ほんとによく書けてるぅ~
尊敬しちゃう
「孤独」と「孤独感」の言葉の関係図まであって、
もう至れり尽くせり!素晴らしいレポート!!
ウフッ、芦屋歌会のレポート、よろしくお願いいたします。 本誌用とブログ用ね(笑)
久々の東大阪歌会、存分に楽しませていただきました。頭の中の便秘も解消(失礼・笑)!!
初参加の大西さんも楽しかったと仰ってましたよ。
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えへっ! (いなだっち)
2007-04-05 12:41:15
わーい!ありがとうございます
どう書けばいいのか、
すごく悩んだので、素直に嬉しい(笑)

関係図も、本当は、
ワードでシャープに書こうと、
悪戦苦闘したんですけど、
「時間の無駄だ。手書きでぃ!!
と開き直りまして(笑)

私は、この図の元ネタになる、
須賀さんが缶ジュースを使って、
「これが『孤独』で、この周囲が『孤独感』って
ことじゃないの?」
とか、仰っていた、
須賀さんの伝えようとする姿が、
忘れられません(笑)

芦屋歌会のレポート、
歌誌用は、頑張らせてもらうけど、
ブ、ブログはもう……手抜きかも(笑)
自分の歌の自画自賛だけで

大西さんも、楽しんでいただけたのなら、
よかったです。
なんせ、初めての歌会で、
あんなにアグレッシブにされるとは、
思わなかったでしょうから、
少し気になってて。

これに懲りずに(?)
ぜひ、またお越しいただいて、
うちの歌会の換気をしていただきたいです
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