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笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

父親達の星条旗

2007-05-15 | 映画 落語
「父親達の星条旗」を観ました。クリントイーストウッドならではでありますが、途中、スピルバーグの演出も入っております。にしてもであります。硫黄島から還ってきた三人が政府のプロパガンダに利用され、戦争の傷跡と心の荒廃で落ちていく姿を撮っているのには応えました。硫黄島に立てられた旗が、最初の旗ではなく、二番目の旗であったという事実を隠し、実際に立てた本人ではなく、そばにいた人間であったという事実、すべてが国威発揚の名の下に隠蔽され、利用されていくのは、洋の東西に関わらず同じものであります。日本で言えば、肉弾三勇士であります。
 さて、父親達の星条旗の中でもイーストウッド節は効いておりまして、三人の兵士の中でも、インディアン出身の兵士を中心に置き、偏見との戦い、人権闘争、さらには戦後の生活というものを淡々と描いております。マカロニウエスタンなんて名をつけられた彼の西部劇でありますが、西部劇の父ともいうべきジョンフォードの衣鉢を見事に継いでいることを、この映画でも証明しておりました。
 英雄と祭り上げられた重圧に耐え切れず、途中でプロパガンダの役目を自ら辞し、インディアンとして困窮極まる生活に堕ち、最後は家畜小屋の片隅で死んでいく。戦争に駆り出す時は、市民だ国民だと囃し、帰ってくれば一時の間、時の人として扱い、挙句戦争に行く前と変わらない扱いに戻ってしまう。わが国にもこのような経験なり体験をした方もいられたことでありましょう。まるで「サーチャー」を、二次大戦の記憶に焼きなおしたようであります。人を人として扱えとは、「許されざるもの」の中で主人公のウィニーが言った台詞であります。今回は語ることなく、見せることで観る者に、それを教えてくれています。
 遅ればせながら申し上げれば、物語の内容は、硫黄島に出征した父の軌跡を息子が辿るものであります。生前、戦争のことを語ることなく人生を歩んだ父の姿は、現在の日本の中で戦争について語ることなくひっそりと旅立っていく方々の姿と重なります。
 「父親達の星条旗」、「硫黄島からの手紙」では、戦争の悲惨さを語らない父の姿を描いております。それは子供を愛するがゆえに語らない意志の不屈さでもあります。イーストウッドは二本の映画で、戦争の愚かさだけでなく、父親達が私たちに残してくれた愛情の深さを私たちが忘れてしまったことを教えてくれています。
 読者の中には、そこまで言うかと思われる方もおるでしょうが、小生、ツメの先から頭のてっぺんまでイーストウッドファンでありますので、あしからず。


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