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笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

スポーツも文化なり。

2006-08-28 | 時事
巷間、ハンカチブームである。高校野球は、清廉潔白を謳いながら、実は高野連と新聞社の結託した商売であるから、感動もくそもない。暑い最中ご苦労様なことである。才能ある若者が、連日百球以上も投げさせられ、じじい、ばばあの感動の種になっている姿は、戦時中の予科練の若者を送り出す姿に見えて、なんとも胸くその悪い思いする。おまけに、ニュースのネタはないかと新聞各社が挙って感動秘話を探し回り、どうでもいいようなことを感動話にでっちあげるのは、まさに八月に相応しいと皮肉もいいたくなる。優勝した投手を咎めているのではないので誤解なきように申し上げるが、誰でも一つのことにまじめに取り組んでいれば、自分の力だけではどうにもならないことの一つや二つは出てくるのが当たり前だと小生は思うので、何も、優勝投手だけが苦労しているわけではるまいに。
 かつて、ジュビロ磐田に在籍していたブラジルのキャプテン、ドゥンガ選手が、述べていたことであるが、日本は安易にスター選手を作りすぎると。大した活躍でもないのに、シュートを一,二本決めただけで、翌日の新聞の一面を飾るなんて、信じられないとも言っていた。勿論、甲子園で優勝することが大したことではないというつもりはない。甲子園で大活躍した選手が、次代のプロ野球界を担う逸材になった例は、いくつもある。今回、優勝した投手も、惜しくも優勝を逃した投手も、数年後には、プロのマウンドで、強打者をばったばったと三振にうち取る大投手になっているかもしれない。
 しかしながら、連日の報道と大騒ぎを見ていて、もういい加減にしたらどうかという気持ちになる。先のワールドカップで大本営を繰り返し、今度の甲子園でもまた、戦時中の新聞見出しそっくりである。
 聞けば、スケートの選手が渡米する。理由は国内では、練習場が確保できないからだと。開いた口が塞がらないとはこのことである。つい最近まで、トリノだ、メダルだと騒いで、終わればCMに引っ張り出され、その金もなんとか連盟に吸い取られる仕組みになっている。名目はスポーツの振興であるらしいが、ならば、練習場がないとはどういうことなのであろうか。フィギィアスケートの選手には失礼な言い方になるが、かく兵衛獅子の舞妓扱い同然である。プロに転向できれば、いいが、アマチュアでこれから将来期待される選手に先行投資のできない連盟ならば、とっと解散して欲しい。
 ヒーローと美談で紙面を埋めて、日本の看板を背負わすのはいい加減さには、スポーツに汗を流すものへの冒涜ではないかと思うのだ。日本には世界に通用する選手がいないとよく聞くが、通用しないようにしている仕組みを作っているのはどこなのか、そろそろはっきりさせた方がいい。
 

暴走族

2006-08-17 | 時事
カレンダーを見て、今月は三本ほどしか更新していなかったことに、愕然としました。来週からは出張でありまして、月曜から金曜日までは、更新できそうもありません。携帯から云々という方法があるのでしょうが、いかんせん機械音痴の小生には、もう大変であります。
 靖国参拝云々に関して、騒ぐのもどうかと思って、別の話題にしようとしたのですが、どうも思いつかないので、やっぱり靖国騒動にします。靖国を見て、あれは暴走族であると。目立ちたがり屋の暴走族は、マスコミが追いかければ追いかけるほど、騒音や破壊行為を行います。小泉何某も、またその手の輩に過ぎないのでありましょう。隣国の反応はといえば、次の首相に期待すればいいという冷ややかなもので、マスコミが喧伝するほど外交上の騒動もなかったように思える。ならば、騒いでいたのは誰かと言えば、ニュースねたに困っていたマスコミだけではないか。選挙もない、「災害もさしたるものではない」(実際は、先般の水害で破産やら、家族をなくして悲しんでいる人もおられるでしょうが)、こうやっている間にも、日銀の総裁の話はなくなり、北朝鮮のミサイル問題もなくなり、世間は枕を高くして眠るのであります。マスコミだけが、人が犬をかんだらニュースになるという次元を超えて、犬が人をかんだ話まで、事件、美談の類に仕立て上げることに躍起になっております。
 この夏もマナーを守らぬ若者は大勢いるでしょう。暴走族の類も走り回っているでしょう。ニュースにならないだけで、世間はその存在を忘れているかのようであります。ならば、今回の靖国云々も、べた記事扱いにしてしまえばよかったのです。新華社も、朝鮮日報も、ワシントンポストも、取り上げなかったはずです。大々的に取り上げていたならば、しめたものであります。外交上の格好の取引、若しくは相手国の真意、政情がわかったのではないでしょうか。首相の公約なぞ最初から嘘八百と、大人の対応をしておけば、べた記事で済むでしょうし、マスコミ自ら語っているようにどうせ、あと一ヶ月ほどの任期だもの、今更ゴマをすって記事を書いたところで何もでるもんかと小生は思うのですが、いまだに書いているところを見ると、任期にかかわらず、政治屋と呼ばれる人にくっつくとよほどいい思いが出来るのでしょう。

てるてる坊主

2006-07-19 | 時事
ここ数年、毎年大雨である。大雨の後は地崩れ、冠水である。台風による被害は、少なくなったが、大雨、大雪の被害はいつの間にか恒例になってしまった。不謹慎な表現を使ったけれども、冠水、地崩れは人災である。三面張りに、杉植林、宅地造成の結果が、こんなにした。砂防ダム、防波堤の類を作るときは、百年に一回あるかないかの増水は想定せずに作る。万が一そのような事態が起こっても大丈夫なように設計していると専門家は言う。その百年に一回あるかないかが、ここ数年起こっている。
 昨年の暮れには大雪である。今年の五月は日照不足である。さらに今回の大雨である。原因は、たいてい予想がつく。だが確証が持てない。毎度のことであるが、ネットの世界にもう少し浸れば、答えが書いてあるのだろうと。
 ODAを拠出して、産業、もしくは軍事産業の隆盛をはからせているなら、やめればいいと最近まで耳にした。日本にそんな金があるのかとも。増税に、住民税の値上げ、医療費負担増、年金暮らしの老人には楽でない。その上、この雨で、家も潰され、流された。鍋窯、金属類を出させて、負ければ、知らん顔したのはつい最近のことである。
 人的交流と称して、植林部隊でも送り込んだらいかがであろうか。CO2の削減努力を果たすために、新技術を開発しているのは何のためであろうか。
 大雨、冠水を国内の問題にして済ませているのは、なぜだろう。何も安い労働力と、新たな市場開発だけが国際交流ではあるまいに。
 

お言葉

2006-07-18 | 時事
イラクのサマワからの撤兵が決まり、陸自の皆様が戻ってくる。数ヶ月前に、父親に向って、手足がなくなってもいいから生きて帰って来て欲しいと訴えていた少女の父親も無事に戻ってくる様子である。娘に心配をかけまいと、自分の行くところは安全だと説いて、母親も心配そうな様子をおくびにも出さないで、娘に語っていた。娘は中学生である。縦令、行く先の様子を糊塗しようとも、しっかり解る年頃である。自爆テロに、銃撃戦があるたびに、自分が無事であることを伝えるために写メールを父親は送った。
 今憲法九条が取り沙汰されている。防衛、自衛の名を借りて、一朝事あらばと、安部、桝添何某は言う。戦争の言い換えでしょうと大竹まことが糾していたのには、笑ってしまった。大竹まことは、売春を援助交際と呼ぶのと同じ話だと憤慨していたが、その理由がわからぬのが件の二人か。
 今般、憲法を守っているのは、今上陛下である。アジア諸国を巡り、先の戦で命を失った人々に追悼を捧げ、対話と外交で平和を求めよとおっしゃている。ご公務で忙しいに違いあるまい。その様子は、時折画面を通じて知らされる。
 ミサイル騒動に、秋田の事件、サミットと、パロマと、いつの間にか日銀総裁の問題は消えてしまった。オリックスの社長の話はどこへ行ったのだろうか。毎度のことだから、誰も驚かないし、気付いていても何も言わない。
 都合のいいときだけ、取り上げるのはいつもの手法である。陛下のお言葉に対しても、同様の扱いをしている。終戦記念日、国体の開会、その他諸々の行事にご参加あそばされた時の言葉は伝えるが、陛下の平和を希求する言葉は伝えない。聞こえないのは小生だけかしらん。

とんとんとんからりんと隣組

2006-07-07 | 時事
隣国が、ミサイルを撃ったり、さらには領海侵犯のような真似をしたりとここ数日忙しい出来事が起きております。なれど世間は高枕であるというのは不謹慎でしょうか。大騒ぎをして駆け回るのは一部であり、庶民はどこ吹く風でありまして、年金問題、金利の問題が焦眉の急ということでありましょう。小生、この空気に複雑な思いがしておりまして、一つは、このように高枕を決め込んでいる風潮に好感を覚えております。徒に拳を挙げて、口角泡を飛ばして声高に叫ぶ醜態をみせぬ姿に、安堵を覚えるのですが、反面、一朝事が起きたら豹変するような空気も、どこかに感じるのであります。
 山本七平氏は、かつてその著書の中で、開戦当時を振り返っておりますが、戦争が始まったという一報に、思わず「どことどこだ」と叫んで飛び上がったと述べておりました。先の半島での戦争の時は、わが国も敗戦の痛手が残る社会であり、日本人は戦争というものの馬鹿馬鹿しさ、恐ろしさを身に沁みておりましたから、すわ大戦かと緊張が走りましたが、平和という宝物を手に入れて何十年、戦争というものが、実に下らぬ理由で始まるものであるということを知る人は少なくなったのではないのでしょうか。それとも、先の半島での戦争のように、局地戦で済み、更には、イランでみた、ボスニアで見た、湾岸戦争で見た空中からの映像の如き仕儀にて、終わるとでも思っているのでしょうか。
 戦争を経験した世代が、いなくなっております。いつもは、大騒ぎするマスコミがやけに静かなのが気になります。本日も、まとまらぬ文になってしまいました。読者の皆様には、ご迷惑をおかけします。
 

ボールは友達

2006-07-04 | 時事
 中田選手の引退は想定内の出来事だったのでは、今更ながら感じております。前回大会で、中山選手を招集してくれとトルシエ監督に要望したと仄聞しました。その中山選手が、ものの言い方を考えた方がよかったのではというコメントを述べておりました。今大会、周りの選手との軋轢が取り沙汰されたり、一人チームで浮いた存在であるということも耳にしました。思えば、前回大会でも、彼の存在は少々チーム内では鬱陶しい存在だったのではないでしょうか。彼の発言を真摯に受け止めて、言い方を考えてくれていたのが、中山選手だったのではと考えます。
 残念ながら、今大会には、彼の気持ちを汲んでくれる存在となる選手がおりませんでした。欧州でプレーしている他の選手も、また蹴球という存在に無自覚なまま選手生活を送っていたのではないのでしょうか。蹴球という競技が、単なるスポーツではなく、ビジネスであるということを、中田選手は自らのステップアップの段階で気がついたのでありましょう。他の選手にとって、蹴球は、技能を磨き、高年俸を貰い、勝つという栄誉を手に入れるものに過ぎないのでしょうが、彼にとっては、技能を磨くことが、自らの商品価値を高めることであり、試合に出場することは、更なる付加価値を身につける手段に過ぎないのだという、ある意味で蹴球という枠を別の観点から見る視点を持っていたということです。下位、中位チームで活躍することが、買い手の目に留まるチャンスの場であり、自分を売り出す機会である。欧州に渡った選手は、「結果を出す」、試合に出ることを目的としてしまい、その先に待っているものを見なかったのが、今大会の結果ではないのでしょうか。
 勿論、ワールドカップが、見本市であることなぞ選手は知っているでしょう。また一般の人でもわかることだと思います。わかった上で、自分はどうするかということ、それが中田選手が自分に課した「問い」だったのではないでしょうか。彼のコメントに、サッカーが好きですかと訊かれて、素直に好きといえない自分がいたというような言葉がありました。そこには、球を蹴ることで禄を食むことの羞恥があるような気がします。言葉が悪いですが、ある意味で、中田選手も「サッカー馬鹿」でした。中山選手もまたそうであります。プレーする場所こそ違えど、いつまでもフィールドの上にいられることを、その喜びを永続させたい、その気持ちがフランス大会での、あの幻のシュートにつながったのでありましょう。今大会、中田選手が他の選手に感じた苛立ちとは、中山選手、そして自分の中にある「サッカー馬鹿」の魂なり気概を他の選手に感じられない所だったのではないのでしょうか。
 万が一、解説者になったとしても、木村某や井原某のようなマイクの前で唸り声や「よしっ」というような掛け声を出すのだけはやめて欲しいと切にお願い申し上げます。

魚獲り

2006-06-23 | 時事
一部のものにはワールドカップが終わったことだろう。マスコミの大本営発表に閉口する記事は多く見かける。小生もご他聞にもれず、本欄で申し上げた。一人二宮清純氏だけが、テレビで苦言を呈しているのを見たとも書いたはずである。本戦に出場できないことがわかってくると、再び、週刊誌、何とか評論家の類は、棒組みの新聞テレビ報道に苦言を述べている。大本営発表そっくり、サッカーという球技は日本人に合うのか、日本人の好みに合うのかという類である。バブル時代の文芸評論家の文体を模倣し続けて飽き足らぬ、テレビ評論家の言葉に、サッカーは不確定要素があるからというものを見つけた。恐らく、不確定要素があるからつまらぬという内容であろうが、スポーツ、人生は不確定要素の塊である。不確定要素があるからというなら、いっそのこと降りてしまえばよいと、つい我知らず書面に呟いてしまった。
 日本人の好み、日本人の体型云々なら、オリンピック終了後にも見た、冬季オリンピック終了時にも聞いた、そして前々回のフランス、更には予選落ちしたアメリカ大会の時にも聞いた。言っていたのは同じ人物であろう、そして前回の日韓大会、先日のトリノでは、声を挙げて日本人の活躍を誇っていただろう。マスコミで禄を食むとはこういうことである。思えば、新聞、テレビも辛かろう、冷静に見れば勝てるわけなぞないのに、あちこちからネタを拾ってきて、勝つ見込みありと持ち上げなければ、高い金を出して放映権を購入した甲斐がない。仕入れ値が安くて、ばんばん飛ぶように売れれば何の苦労もあるまいに。しかしワールドカップ、オリンピック、水泳と、世界だか国際だかを冠した連盟に払う金は莫大である。その姿は先ごろ捕まった何とかファンドである。出資者をなんとか説得し、顧問に名のある名士をいれ、絶対に視聴率が取れます。宣伝効果大であると説き伏せて、いざ放映したら、野球並みの視聴率では済まされまい。ここは一番大本営であろうが、戦時高揚歌であろうが使えるものは何でも使えである。
 正確な名称は忘れてしまったが、水の中で大きな音を立てて、魚を失神させて、水面に浮かび上がってきたところを獲る漁がある。つまるところ、本日は水中で大きな音を立てた、後は、今週から来週にかけて静かに新聞、テレビ、週刊誌の類を見ることだけである。舌の根も渇かないうちに、日本人の軽佻浮薄さ、周りに影響されやすいとか、どこかで聞いたような台詞を書き連ねる「作家」、「評論家」が浮いてくるだろう。
 小生、日本戦はどうでもいいのですが、敢えて日本が強くなるにはという方に申し上げてるのが、ブラジル人ではダメだから、駅伝のようにアフリカ大陸の輩を連れてくればと。絵無簿魔とか泥愚馬とか絵武江とか得意の当て字で帰化させたらよかろうに。もっともエムボマやドログバ、エブエのような立派な人が帰化するとは思えんが。小生は不確定要素が強く出る試合を見たいと願いつつ、今日も操作ボタンを押している。

式守、木村が相撲にはいる

2006-06-14 | 時事
日々の更新が滞っておりまして、みなさまにはご迷惑おかけします。ワールドカップを、クシャミ先生に言われたように、録画しては確認、時にはライブで観戦しておる次第でありまして、ブログどころじゃないという状況であります。というのは詭弁でありますが、観戦して思うのは、審判の技量がいかに大切であるかということです。スウェーデン対トリニダードドバコ、ブラジル対クロアチア戦を見ていますと、審判が前半はめったなことで試合の流れを止めないのです。サッカー、ラグビーの面白さは、広いコートを縦横無尽に使うこと、攻守が一瞬で切り替わることです。今ボールを持って敵陣へ駆け込んだと思ったら、いつの間にかボールが敵の手に渡っていた、右に右にとボールが向ってくるかと思えば、大きく左に弧を描いて跳んでいく。手動のサッカーゲームが面白いのは、レバーをひねりながらも、気がつけばボールがあらぬ方向に行っているからで、予想外の動きに興奮するのであります。別に日本を贔屓するわけではありませんが、日本対オーストラリア戦では、審判が凡庸で、ゲームをとめたりとめなかったりして、試合の流れが上手く進んでいるように見えませんでした。
 名人は名人を知るではありませんが、実力伯仲は対戦相手だけではありません。やはり審判もそれなりの功なり名のある人物でなければいけません。古来わが国の剣術の試合においては、審判もその道の達人でありました。相撲では幕内、三役、横綱戦になれば、式守、木村の名をもらった行司が登場します。
 サッカーの審判にも、相撲の行司のような階級制度、襲名制度を導入したらどうでしょうか。名選手が監督になるのは当たり前のようですが、名選手が審判になるというのも面白いのでは。

丸く収めてお後がよろしいようで

2006-06-09 | 時事
いよいよワールドカップの開催であります。日本のマスコミの狂騒ぶりを無視して、静かにサッカー観戦に臨みたいと思っております。友人にサッカーに詳しい人がおり、浅学菲才の小生にはよい指南番であります。そこで、専門雑誌やらを買い込んできて、どの試合が期待できるか、試合の見所なぞを尋ねているわけですが、クシャミ先生ならぬ、その友人は、つべこべ言わず全部見なさいと。ハードディスク内臓の録画機を購入したのだから、存分に使うべしとのことでありました。小生、自らの貧乏性に頭を掻く始末です。ところで、番組一覧表を眺めて、気がついたのですが、買い付けに失敗したのではという民放の番組があります。例えば、11日のメキシコ対イラン、TBSです。逆にいい買い物をしたのがテレビ東京、13日のブラジル対クロアチア、フランス対スイスであります。この辺りの先物の読みは、サッカー番組の老舗、テレビ東京の凄さでありましょうか。世界の何とかと連呼するアナウンサーがいる局は、以前からスポーツには才がなく、フジが捨てたバレーを買ったりして、儲けにつながらないことばかりしておりましたが、サッカーでも同じことを繰り返しております。
 対戦が見ものなのは、イラン対アンゴラであります。6月21日という試合日程から、予選D組の決勝リーグ進出組みが決まっているかもしれないし、当確上にいるかもしれないという、誠にもってスリリングな日程であります。前者なら両者ともやる気喪失の試合、後者なら必死の形相で血で血を洗う戦い、もしくは、せめて一矢報いたいと気合の入った試合になるのかもしれません。浪花節ではありませんが、どちらも内戦、戦から復興しつつある国、苦労を一身に背負い芝の上に立つ勇姿に涙を誘うものがあります。またイランの大統領は、仄聞したところでは、ユダヤ人の虐殺はなかったと主張する「健康な精神」の持ち主であると。ドイツとしては入国は極力避けたいのが本心でしょう。ただし、この大統領が訪独するのは、イランが一次予選を通過したらという条件であります。
 更には、次回のワールドカップのアジア選考枠が、今大会のアジア勢の活躍にかかっております。わが国の代表の活躍もさることながら、隣国の韓国、イラン、サウジアラビアの国々にも健闘して貰わなければ、益々アジアと欧州、南米との格差が広がってしまいます。
 五輪も世界各国の選手が競い合いますが、金さえあればの大会であります。不謹慎を承知をで申せば、歴史的、政治的背景が明確に表れる蹴球の世界大会こそ面白いものはありません。ドイツ対ポーランド、イタリア対アメリカ、フランス対トーゴなんて怖くて何も喋れません。勝っても負けても、扱うのが球ゆえに、万事丸く収まることを希望して、眠れぬ夜を過す予定であります。お粗末さま。

粉飾決算

2006-05-30 | 時事
ホリえもんの裁判がどうなるか皆目見当がつかないが、粉飾決算に、部下達が勝手にしたことならば、どこかで聞いた話である。ほりえもんは、拘置所に入り、株主に対して賠償金を払う破目になるのかもしれない。だが、かたやどうせ人の金だから、どう使おうとも関係ない、使ったもの勝つである。社会保険庁のこの度の不始末は、粉飾決算と同じではないのか。それとも支店ぐるみでやっておいて、都合が悪ければ、個人の判断、支店長の判断である。見事にトカゲの尻尾きりをやりおおせるかみものであるが、たぶんは上手くいき、そのまま民営化とやらに収まっていくのであろう。第一、金貸しが黒字に転じたと騒ぐ国民性であるからして、困ったものだと言っておしまいである。
 共謀罪の立案を目指す前に、この度の社会保険庁の役人とやら馘首して、退職金で、粉飾分の埋め合わせをさせたらどうであろうか。どうせ役人である、恩給、ボーナスの類はたくさん出るはずだ。更に元を辿れば、その給料とやらも皆血税から出ている。金貸しに公共性を求めて補填したなら、年金とやらにも補填をしたらどうか、蓋し、民間企業で粉飾とやらをやれば、マスコミに袋叩きに遭い、加えて命を落とす。命までとは言わないが、ご迷惑をおかけしましたとカメラの前でいけしゃーしゃーと述べている課長だか、局長だか知らないが、その連中、職員の給与で補填させればよい、補填を拒むなら懲役刑でも科して、モッコの一つでも担がせればよい。古くは佐渡の金山ではないが、ちょうどガス田とかで大騒ぎしているところがある。ガスでも掘らせて罪一等を問わないなんて粋な裁きはどうか。