単位取得問題で、学校長が自死するという事態がおきました。死者に鞭打つようでありますが、いささか見当違いではないのかというのが小生の実感であります。進学、進路が決定している生徒に対して、今回の事態の収拾のために何をするのかを具体的に示し、かつ関係各位に生徒に不利益にならぬように便宜を取り計らってもらうよう奔走するのが筋であったのではないのでしょうか。勿論、それに伴う大きな代償があるでしょう。教師には休日出勤やら、早出に残業と、生徒を登校させるのも容易ではないでしょうが、やはり、しっかりと対応策を作成するのが先で、まるで、殉死したかのごとく、これを機会に文科省やら代議士が、やむを得ぬというふうに収めていくのが目に見えています。どこぞの政党が、軽減を訴えているというのを聞けば、怪しや、利害関係のある高校でもあるのかしらと疑いたくなります。そもそも、進学率とか抜かして、本来高等教育を受くるに値するかいなかもわからぬ生徒を無理やり大学に押し込み、あげく分数もできない学生を作り出し、果ては、器物破損、強姦、殺人まで犯す大学生までが出てきました。藤村操はとおき昔になりにけりであります。
衆を頼んで、物事がよきに計らわれるというのは、まるで赤信号云々であります。かたや単位不足で、3年生になっても、2年生の授業に出て単位をとるものもいるでしょうし、専門系の学校で履修をしてしっかり単位をとる学生もいます。思い起こせば、住専、不良債権もそうでした。大人としてのけじめなりがこんなにもあいまいになった世で、教育改革なぞ出来はしまい。
それに卒業できないというが、生徒によってその深刻度が違っているはずであります。就職する場合には、それこそ内定取り消しの事態もありうるでしょうから、優先的になるでしょう。進学ならば、専修学校か大学かでもかわってくるはずであります。小生には、このように状況を分析するのが面倒くさいから、一緒くたにしてなんとか片付けてしまおうという風に見えてならないのです。大学なんぞ、全入時代で、しかも定員不足の学校が出てきていると仄聞します、ならば足元でもみてやれば、大学入学を認めておきながら、単位取得の為に高校に通うことぐらい黙認するでしょうし、一風変わったWスクールというものであります。衆に頼んで物事が片付くということを覚えたならば、次から次へと無理を通すに違いありません。かつては衆に頼んで、デモ、ストをやったが成果ににつながらなかったのですが、今日びの大人は、衆に頼めばなんでもやってくれるキャラメルママの類いゆえ、これを機会に高校生には、デモ、ストという言葉を覚えてもらえたらどうでしょうか。
衆を頼んで、物事がよきに計らわれるというのは、まるで赤信号云々であります。かたや単位不足で、3年生になっても、2年生の授業に出て単位をとるものもいるでしょうし、専門系の学校で履修をしてしっかり単位をとる学生もいます。思い起こせば、住専、不良債権もそうでした。大人としてのけじめなりがこんなにもあいまいになった世で、教育改革なぞ出来はしまい。
それに卒業できないというが、生徒によってその深刻度が違っているはずであります。就職する場合には、それこそ内定取り消しの事態もありうるでしょうから、優先的になるでしょう。進学ならば、専修学校か大学かでもかわってくるはずであります。小生には、このように状況を分析するのが面倒くさいから、一緒くたにしてなんとか片付けてしまおうという風に見えてならないのです。大学なんぞ、全入時代で、しかも定員不足の学校が出てきていると仄聞します、ならば足元でもみてやれば、大学入学を認めておきながら、単位取得の為に高校に通うことぐらい黙認するでしょうし、一風変わったWスクールというものであります。衆に頼んで物事が片付くということを覚えたならば、次から次へと無理を通すに違いありません。かつては衆に頼んで、デモ、ストをやったが成果ににつながらなかったのですが、今日びの大人は、衆に頼めばなんでもやってくれるキャラメルママの類いゆえ、これを機会に高校生には、デモ、ストという言葉を覚えてもらえたらどうでしょうか。