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笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

あるある通販番組

2007-01-29 | 時事
あるあるが一転して、ないない事典になってしまったが、あの構造を見ているとどこかで見たことがある。信用していたのに、せっかく一週間、十日間、一カ月、も続けていたのに、捏造するとは酷いの声のことである。あろうことか、昔のネタも偽造ということが判明した。本に出ているからで、一つあるなら、他にもというのは、昨今の企業不祥事と同根である。ならば、似たようなことをしている、みの何某、皆様のなんとかでもあるだろうに、こちらの方は、書籍になっているのかしらん。成っていれば、暇と時間をかけて探せば、恐らくでてくるだろう。もっとも縦令でてきたとしても、放送時との時間差を言い訳にされてしまえばそれまでだろうに。閑話休題して、構造とは、よくある詐欺事件の言い分と同じであることだ、欲の皮をつっぱらかして、金相場、株、外貨預金に手を出して、実は新手のねずみ講だと判明した時に、世間の被害者に向ける目はあまり温かくない。当然で、あわよくば自分もそのおこぼれにありつこうという気があるからで、自己責任なんて言葉を浴びせておしまいである。金はだめで、健康はよいというのか。命に関わるなんて言うならば、老後の金をそっくりつぎ込んで、首を括る破目になったなんて話もある。
 自己責任なら、少し前によく聞いた。頼みもしないのに戦地にいって、挙句人質になったものを、一億揃って袋叩きにした。納豆で痩せると聞いて、本気でやる方の自己責任はどうなる。医者でなくても、分別のある大人なら、三度三度のきちんとした食事に、栄養の偏りがないものを摂って、できたら適度な運動もするなんて知っているはずなのに。
 ことはデーターを捏造して、健康被害というなら、隣近所の話に耳をそばだてるがいい、自分の口をなぞってみるがいい。毎日、みのさんのいうものを食べていたら、体が持たないよねなんて話をしているだろう。月曜が南瓜なら、火曜は春菊、水曜はココアで、木曜が正座の効能、金曜が苺、週が改まって、再び月曜から食材尽くしである。
 健康食品案内番組の類は、通販の健康器具と同じで、購入してそれを指示通りにやって、上手く行くか行かないかである。その証拠に、健康器具の紹介の際には、個人差がありますと小さく出る。巷間出回っている、特定保健用食品にだって、小さく、老人にはだいぶ辛い字で「多量の摂取により、疾病が治癒したり、より健康が増進するものではありません」と書いてある。なのにテレビでは、体の切れがよくなったと語らう、運動して爽やかに微笑む絵が出てくる。運動して微笑むなら往時の清涼飲料水の宣伝と同じである。
 電話が普及し始めの頃、電話のかけ方を学校で教えた。テレビが普及した頃、見方を教えずに、あまり見てはいけないといった。もっとも、当時は番組自体が少ないから、時間帯も限られていたが。コンピューター、メール、携帯電話に、デジカメの使い方は教育テレビでやってくれている。昨今の教育テレビは、「おとな」にやさしい番組作りをしている。落語の鑑賞法、邦楽、犬の飼い方、サイクリング、水墨画と、ならば「おとな」の方々に向けて「テレビの見方」という番組を作っておくれでないか。「おとな」でもわかるように、起用するタレント、司会は、通販番組でお見かけするあの人、この人、人材ならばたくさんいるだろう。なまじ、俳優崩れなんて使うからややこしくなるのだから。

匿名 鏡さん

2007-01-26 | 時事
茨城のある市会議員団がセクハラ疑惑で騒がれている。研修旅行と称して、青森方面に出かけ、随行員に抱きつく、触るなどの仕儀に及んだと報じていた。どこにでも勘違いはあるものだが、笑えない勘違いは、小人に権力と金を持たせることである。あろうことか、その議員先生方は、マスコミに食ってかかり、加えて洒落だとおしゃっている。百歩譲って、個人旅行なら、「旅の恥は掻き捨て」ということもあろうが、(この言葉も品性のない人間が使うと、とことん堕しますな)税金、公金を使って出かけた旅行である。研修先に四半時ほど立ち寄って、コンパニオン代わりに随行員に酌をさせ、あげくカラオケの相手に、ダンスの相手、おさわりバーでもあるまいに、移動中の車内で触り放題の仕儀である。画面に映し出されたおっさんの顔は公僕と呼ぶにはほど遠く、財政破綻しようが、第二の夕張になろうが知ったこっちゃないなんて雰囲気が伝わってきた。
 裏を返せば人のいいおっさんである。世話好きで、何かと口利きをしてくれる親父であるが、その勢いで選挙にたって、バッジ貰ってうんとこしょの類である。それでも想像力に欠けた親父であることは間違いない。自分の娘が、そんな目に遭えば、法律を持ち出す前に、つるはしスコップ、ユンボの一つでも持ち出しかねないだろう。
 パワハラ、セクハラ、勝ち組、負け組みすべて根は同じである。本当にぎりぎりまで間引くことをしないから、残ったものが勘違いをしだす。百人いて、暇そうな人間を見つけるから、三分の二にまで減らせるのであって、その三分の二を百として、再び間引けば、元の数の五分の二である。更にそれを三分の二に減らし、更に三分の二減らせば、本当に「使える人間、使えない人間」がはっきりするだろう。会社にリストラはあるが、受験の如く、進学できないなんてことはない。リストラを免れて、出世競争に落伍しても、会社は雇ってくれてる。いっそこぼれた時点で派遣社員にしてしまえばいいものを、やらないのは世のため、人のためである。おかげさまで、である。ところが暗愚とした輩はどこにでもいるものだから、おかげさまを忘れて、ふけば飛ぶよな威勢を張る。
 報道番組や、視聴者からの実話を再現する際に、野比のび太(仮名)とする。ならば、厚顔無恥男、無恥代、品性無男、無子、無知蒙昧太、無知蒙昧代なんて名はつけられないのだろうか。どうせ顔はモザイクにしているのだし、再現ドラマは赤の他人が演じているのだからよかろうに。人権侵害とかいうのあたるのなら、反面教師であるから、鏡さんで統一したらどうであろうか。でも加賀美アナウンサーなんて素敵な語り部がいるから無理だろうか。
 ところで、随行した女性であるが、民間の会社員であるらしい。そこで再び疑問がわくのだが、これは体のいい利権獲りではなかろうか。マスコミはセクハラ被害の女性と、それをかたくな認めようとしない議員を取り上げていたが、そもそもどうして。いち民間社員が、随行しなければいけないのか。

あべこべにかける言葉は見つからない

2007-01-22 | 時事
芸人の子が交通事故死したということで、マスコミは悲劇の主人公にし立て上げて報道している。芸人の性、定めとはいえ気の毒である。交通事故死ということで、安全運転、時間帯で進入禁止をしている道を違反してまで通ろうとする悪質ドライバー、マナーの悪いドライバーを何とかしろとでも言うのかと思えば、ひたすら悲劇、悲劇の演出である。
 件の芸人には気の毒なことだと思うが、あれだけマイクを向けられれば、芸人として、親として、社会人としての枷を嵌められて、めったなことは口に出来なくなる。それを知ってか知らずか、傍若無人にマイクを向けて「お気持ちは」と問う。まるで、事故憎し、運転手憎しとでも言わせたがっているようである。小泉内閣の時代から、「サル以下でもわかるように」という風潮が強まり、なんでも黒白をつけたがる。敵味方、正義と悪の構図が見事に描けるようにとしたがる。
 世の中で「あべこべ」くらい辛いものはない。縦令死因が何であれ、残された親には、納得なんか永遠に訪れっこない。
 渥美清が、秘密主義に徹したのも、やはりマスコミの傍若無人さを嫌った所以であり、トニー谷の芸風が変わってしまったのも、やはりある事件をきっかけに身内を世間に晒さねばならなかったことにある。
 余計なお世話であるが、件の芸人の家族写真が、これでもかと流される。当人達がなんとか心の落ち着きどころを見出した頃、世間は、そっと囁くであろう。蒸し返されたくもない心の傷を引っかかれるであろう。児童が交通事故に巻き込まれ死亡するたびに引き合いに出されるであろう。これこそ人権侵害なり、メディアによる暴力ではなかろうかと思うのだが、芸人だからと一言で片付けられてしまいである。
 ブログランキングなるものの傍らには71万という数字がある。衆寡は敵しないとはいつものさげである。

食べたから来ない、食べなくても来ない

2007-01-20 | 時事
年賀状の遅配が取り沙汰されて、民営化が本格的になる今年からどうなるのかと巷間騒がれている。コスト削減、サービスの向上とは頭を使わねば相容れないものである。先の読めない大人が増えたから、一番コストがかかる人件費を減らせばと、馘首、馘首の連続で、つまるところはアガザクリスティー女史の小説と同じになる。
 頭を使えるのは、もともと5人いれば一人しかいないのだから、後は体を動かすように、それこそ昨今のメタボリなんとかの対策として、喫煙の場を減らすよりも、お客様用エレベーターのみで、全社員が、一日階段利用、最低十階分とでもして、消費電力の削減でも務めたらよかろうにと。
 閑話休題して、民営化であるが、郵便局が民営化されて質が落ちるのは、日通にJRを見ていればわかることである。国鉄貨物を分解して日通にしたはいいが、ペリカン便の質の悪さには、他社と比べて驚くべきものがある。
 先日、アマゾンで購入した品が日通を使って送られてきた。近所で買い物をしている間に来たらしく、紙一重の差ですれ違いに成った。ポストに不在伝票が入っており、連絡を入れると、その日の再配達は無理だといわれた。念のために時間帯を記しておくと、不在者伝票が入ったのは午前11時過ぎ、小生が帰宅したのが11時半、夜でも構わないと告げて再配達を乞うたが、翌日の午前中になると返事を貰った。ちなみに、猫の方は決してそんなことはない。正確にはそのような経験をしたことがない。家人にも、親にも日通は使うなと、極力避けるように申し渡しているが、さすがに相手にまで強要できない。
 日通、郵便局がぐるになって、正確には役人がぐるになって猫をいじめた話は、つとに有名である。事実、民営化の際も、横車を入れて、飛脚と猫をいじめていた。
 民営化されて、日本の郵便制度の確実、安全さが失われるのを了とするか、それとも競争という波にもまれて質が向上するという能天気な見方を受け入れるかは、一応の決着を見たが、出自が民なら、一度不祥事が発覚すれば、とことん追い詰める。官なら、大量解雇による社会不安を訴えて、うやむやになる。郵政民営化は決まったものだから、今更どうするわけにも行かないが、民にしてしがらみをきれいに取り去った後で、再び官にするなんていうのはどうだろうか。
 それとも、離村に、離島は、都会人の憩いの場所にしか思っていないのだろうか。

組織ぐるみ

2007-01-19 | 時事
ペコちゃん。ポコちゃんは泣いている。不二家の不祥事は今更取り立てて騒ぐことはないが、思うに、一連の不祥事が組織ぐるみと報道されるたびに思うのは、引責辞任する社長よりも、その不祥事の発端、さらにはそれによって何らかの恩恵に浴し、出世なり成績向上を挙げた管理職とは、一体どの世代なのだろうかということである。安直過ぎるかもしれないが、不二家の不祥事は昨日今日に始ったことことではないし、雪印の不祥事もまた、綿々とつながっていたはずである。その始まりなり、それを看過してきた役員の世代を洗い出せば、自ずと一つの結論が見えてこようというもの。世間では、職人技、伝統を継ぐものともてはやされているが、働き盛り、出世競争の真っ只中で、のし上がってきたのは、あの世代ではないか。勿論、組織の責任はある程度追求され、引責辞任の幕引きで終わるのであろうが、にしてもである。
 社会のモラル低下、子育ての出来ない世代、熟年離婚と呼ばれているが、その実、会社のモラル低下なり、みんなで渡ればの発想を植えつけてしまったのは、何を隠そうあの世代ではないかと、小生、色眼鏡で見ている。その尻押しなり、腰巾着も探れば、あの世代になるのかと思うが、衆に頼んでであるから、小生なぞは一言変わり者と指差されておしまいである。
 ここにきて、一斉退職である。溜め込んだ金なりを一気に吐き出して、還元してもらえれば幸甚であるが、顔を見れば、子供に皺を刻んだ程度、欲の皮を突っ張らせて、未だに第二の自分探しをしようとする青年ゆえに、言っても甲斐なきことと車内で見かけた後姿にため息をつく。

ニュースはラジオに限ります

2007-01-16 | 時事
世の中にはわからないことがたくさんありまして、今回の夫婦の事件報道であります。各局とも、再現と称して、同じ間取りの部屋に、同じ衣装ケース、さらには犯行に使われた様々なものを持ち出してきては検証しているのであります。まさか陪審員制度へのための予行練習ではありますまい。情報の出し方が、まるで有罪を予定し、それでいて重罪すれすれのところで止めよう。端的に言ってしまえば、死刑はダメだけど、無期あたりで落とし所にしましょうかなんて声が聞こえてきそうな報道である。これだけ、連日報道して、その後に陪審員に選出でもされたなら、予見なり、偏見なりが植え付けられて量刑相場になってしまうのではないか。
 最も裁判となれば、被害者、加害者の証人が、裁きの場に出てきて証言をするのだろうから、一概に報道のみを責められないのかもしれないが。にしても連日、朝から晩まで、各局が競って通話内容を流しまくり、いつもの如く、何某大学心理学教授なんて、霊媒師もどきの人物を登場させて、心理状態やら、思考回路やらを得々と解説している。
 宮崎事件の時も、女性犯人説、さらには子供を失った母親説なりを実しやかに語っていた学者が大勢いたが、今回もまたその手の類で、せめてもの救いは、株屋の解説者が、何かの拍子で経済再生大臣になることがあっても、この類が法務大臣にならないということだけかもしれない。
 報道する側は、ある意味で演出効果を狙って、従来の報道よりももっと「立体的に」しているつもりであろうが、そんな打ち合わせ会議をしている様を想像するだけで、なんとなく気持ちが悪くなってくる。視聴者の目を引くように、これだけネット上で情報が流れる時代なのだから、テレビにしか出来ない方法を考えろなんてはっぱをかけているんじゃないのだろうかと疑ってしまう。
 と、筆の勢いに任せて書いてきたが、問題はそんな番組を見ているおまえだろって。そうです、ニュースはラジオに限ります。

卒業写真よりも親の顔

2007-01-14 | 時事
俗に泣く子と地頭に勝てぬ。といったものであるが、平成の御世では、どちらにも勝てる不届きものが出てきた。養老先生ではないが、子供は自然であり、脳化社会に拮抗するものであるという。なるほど、子供は、時と場所を選んでくれない。赤ちゃんが生まれましたと賀状に写真を印刷してきたものが、数ヶ月したら、子育ててやつれているなんて話はよくある。それでもやはり子育ては楽しいし、理不尽さというものを改めて経験する良い機会である。ところが、昨今では、夜泣きがうるさい、言うことを守らないとか、懐かないなんて理由で、叩く、落とす、捨てるの連続である。言い換えれば、自分の操作の下手さを棚にあげて、このコンピューターは使えないというが如しである。
 かたや、安寿と厨子王ではない御世に地頭がいるのか問えば、しげしげと鏡を覗き込んでみるがいい。ホームの階段で歩きながらメールをチェックする、自転車に乗りながら携帯を使う。それが嵩じて、自分の世界を理解してくれないと人を殺める。ここ最近に連続して起った事件報道には、閉口させられるが、つくづく思うのは、本人の学生時代、生い立ちなどよりも、親を出せ親を。亭主だろうが、肉親だろうが、はたまた他人であろうが人を殺めることの重大さがわからないのは、想像力の欠如である。想像力の欠如は、何も学歴に関係しない。偏に親の育て方である。かつては、人を殺めた人間は、自分はどうなっても良かったが、親兄弟に累が及んでしまったことは申し訳ない、一時の感情に突き動かされた自分の浅墓さを悔やんだものだ。だからと言って、その人物の罪一等を許すつもりはないが、にしても、平気で自分の都合で萬、自分にとって不快なことはかたがつくと思っている。 以前も本欄で述べたが、一人の不届き者のせいで、万事が台なしになると教えられた。母集団が大きいために連帯責任の効果が薄まるというなら、親を始め、一族郎党を晒せばよい。
 孝のしまいが、親の顔を見てみたいのなら、不孝のおしまいも同じにすればよい。口で言ってもわからぬものは体で教えられた。

夕張市再生

2006-12-14 | 時事
毎度無責任な発言でありますが、夕張市の問題は何とかならないのでしょうか。以前にも述べましたが、死んだ人には鞭を打たぬのが、わが国の習いでありますが、あれほどまでにずさんな経理と借金を膨らませた張本人は、すでに土の下、そして退職して恩給とやらでぬくぬくと暮らしているのでありまして。かたや、既に高齢、もしくは雇用の見込みのない年齢に達した人々は、まさに棄民となっているのであります。WEB2.0だか、グーグルの描く世界とか詳しく知りませんが、かような未来図を描いている方々の中には優秀な頭脳の持ち主もおられるはずであります。ブログの数も日毎に増えているのなら、ブログのテーマに夕張再生の妙案なるものを募集したらどうでありましょうか。
 ブログ、ネットが新たな民主主義の手段だと謳っている方には、是非ともこれをきっかけに、その力とやらを証明してもらいたいものであります。絵空事、子供の考えでも構いません。一つのアイデアが、様々な知恵を持つ人間によって具現化されたら、それこそ新しい時代の到来と、旧来の政治手法、なり行政のあり方を覆すものになるのではと考えるのであります。
 夕張を以下のように仮定します。借金まみれの会社を整理することになるのですが、かといって債務者を沈めてしまうという暴挙に出られない状態であります。債権を回収しつつも、生活をそれなりに維持させる。勿論、徳政令のような荒業も使えません。
 不謹慎を承知で申し上げれば、夜逃げやさん、整理やさん、世にいわくのあるお仕事をしている人にとっては、新手の整理方法を考える最良のモデルケースになるのではないのでしょうか。
 下手な金貸し(銀行)のような、数字第一主義では、住民の命綱ともいうべき、病院、消防署、警察署等が、さっさと切り取られて、それこそ、その筋の業界の人が口にする台詞を浴びせて、終わってしまいます。
 小生の魯鈍な頭では、妙案なり、名案なりが思いつかないのでありますが、「あちら側の世界の住民」の中には、こうすりゃええよなんて気軽にこたえてくれる人もいるでは。

目には目を

2006-12-04 | 時事
事故で亡くなった子供の写真や卑猥な写真を掲載したサイトを運営している男の正体が判明したと報道しておりました。小学校の教員ということに呆れもしましたが、それを放置しておいた校長、教育委員会の態度にも呆れます。免職処分にもならず、依願退職の形で納めてしまうのでしょうか。小生にわからぬことが二点あります。件のサイトの写真(事故死)はホームページから転写なりしてきたものとそうでないものがあると報道しておりました。
 一点目はホームページに掲載するという親の神経であります。死んだこの齢を数えるということはわかります。そしてネットというもので、同じように辛い思いをしている人とつながろうとすることもわかります。共同体が崩壊した今日では、人に言えない悩みや苦しみを吐き出す場所が必要です。惻隠の情なんて奥ゆかしい言葉も死語となった今では、人の心の中を土足で踏み込んでくる品性のない輩もおります。小生が不思議に思うのは、なぜ写真まで公開してそのようなつながりを持とうとするのかであります。メールのやり取り、文章での公開等で十分ではないか、百歩譲って写真を公開するならば、それは同じ境遇にいる方同士で十分ではないのだろうか。
 有名人の写真を加工して、卑猥な画にする手合いもネットの空間には存在しております。文章の一部を切り取って、誹謗中傷する輩もおります。そのような危険性を孕む空間に、哀しいといえども、写真を公開する親の心情がわかりません。それとも、文章ならばでっち上げとして無視される可能性があるから、自分の文章は偽りでないという証拠として写真を掲載したのでしょうか。
 二つ目は、件の報道で、ネットをしたことがない親も被害に遭っていたということです。それこそある日突然わが子を事故で奪われ、その苦しみを人知れず耐えていた親御さんです。人伝えに聞いて、コンピューターの画面を開いて見ると、いつの間にかわが子の写真。しかも事故直後の警察写真、報道写真であると聞きました。もしこれが本当のことならば、かような非道なことをした「教師」全体どのようにして写真を入手したのか解き明かしていただきたい。これこそ犯罪行為ではないでしょうか。
 以上、二点ほど小生には引っかかる事件であります。自らの品性を貶める覚悟で申し上げれば、件の「教師」には『目に目を』であります。子供をくいものにし、ましてや死んだものを冒涜する天をも恐れぬ不逞の輩には、ばちを与えたくなります。

たみ・民

2006-11-26 | 時事
夕張市が財政破綻をして、今後何年だか何十年かけて負債を返済していく。勿論、今までどおりの生活は維持できるわけがない。学校を統廃合して、小中一校ずつに、図書館、公民館、公衆トイレは全廃。公衆浴場は2つほど廃止。バスの運賃も70歳以上は一律200円だったのが、最高920円くらいの負担になる。市の職員の賃金も削減される。ところで、市の役職をしていた元公務員の年金も削減の対象になっているのだろうか。借金を増やし、帳簿ごまかしていた市長は墓の中である。片棒を担いだ連中はいるだろうが、近々うちに夜逃げを決め込むであろう。
 一時、あちこちで言われていたが日本人は税に対して盲目状態に近い。独り者ならばなんて声も聞くが、独り者のうちから自分がくれたお足がどこにどう流れていくのか考えた方がいい。結婚してみて、初めて住民税の高いのを知ったとか、子供が生まれて初めて福祉サービスの悪いのに気がついたとか、小生から言わせれば子供以下のお頭である。勿論、勤め人をしているから天引きされているので、という話は聞く。縦令、天引きされていようとも、住民税位は調べられるであろうし、選挙のたびにマイクを向けられる準備として「使い道はしっかりして欲しいですね」と言ってるわけでもあるまいに。
 もっとも、未婚率があがるにつれて都内では独り者、とりわけ女性を見込んだ集合住宅が売りに出されている。頭金なぞいらぬと聞く。あとは借金である。当人は財政破綻なぞするつもりはないはずだし、いざとなれば転売すればと思うが、世の中そう甘くはない。セカンド、サードホームならまだしも、終の棲家である。家のことで金貸しと相談するが、税のことまで頭が回らない。回るのは税制の優遇という当面の金のことばかりである。夕張市も同様であったし、あるのだろう。だからと言って、夕張市を自業自得というつもりはない。夕張から逃げられるのは、小金があるか、年が若いかだけである。高齢者で年金生活は逃げ場なぞない。高齢者にとっては死活問題である。自分で拵えた借金ならまだしも、他人が拵えたものである。生活費に渡しておいた金を使い込んだ夕張をもってして他山の石とすべしといいたいところだが、人は他人に思いを馳せないと古人は言っている。
 民という字は、目に針を突き刺し、物事を見えなくすることから出来ている。また民とは奴隷の意味であった。