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笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

暑い最中に暑苦しい小言

2007-08-04 | 時事
海の向うで40年前に架けた橋が老朽化して壊れるという大惨事があった。他山の石としないのが、日本人の特徴で、ニュースのコメントで日本にもこういう箇所があるはずですと言っておしまいである。扶桑社から出ている「脱談合知事田中康夫」という本の中に、箱物建設の愚かさと、その費用を、実は老朽化した道路、橋などの補修に当てるべきであると書いてある。国土交通省や、談合大好きの政治家の圧力で、補修よりも、あいだで抜き取れる箱物建築を推してばかりで、国家百年の計なんて考えが微塵もないことが、本書にはよく書かれている。
 選挙後に発表された社保庁の中間職の抜き取りなんて、はっきり言えば横領罪である。誰が抜いたかわからないなんてうやむやにしているが、役人ならば役職名簿があるはずだろう。暴論覚悟で言えば、実際に抜き取った、抜き取らないなんて関係なくて、それ以前に訳のわからぬ投資に金を突っ込んでいた責任があるはずだし、更に言えば、そうやって抜き取っておいて、「目出度く退職し」て、恩給だか年金で、今だにぬくぬくと暮らしているだろうにと。
 北九州で生活保護の申請が受けられずに、自殺したなんて話もあるが、これも夕張、社保庁と同じ構造で、数字合わせのみを目的として、本来あるべき目的、存在理由などを考えない頭の持ち主が集まった結果である。生兵法は大怪我の元なんて古人の教えがあるが、大怪我することまで想像力が及ばないから、平気で一人前の口を利く。年給削減、給与削減なんてなったら、ギャーギャー騒ぐくせに、それ以外のことには頭を働かせない。
 新潟の情報がようやく選挙が終わって入るようになったが、この炎暑の中、冷房も水も満足に使えないという。電力会社や、知事なんて責任を感じているのなら、少しは策を講じるといい。新潟に電力を回すために、夜間、昼間電力供給量を削減するなら、小生喜んで協力しますよ。なんたって小生、冷房は苦手ですから。
 座っていても暑いのに、暑苦しい話題になってしまいましたが、少しは涼を感じる話をと努力します。読者の皆様方、「暑さに負けるな」、夏バテしないように、くれぐれもお体を御自愛下さいませ。

熨斗袋の中身

2007-07-27 | 時事
選挙まであと二日と騒いで、捕らぬ狸の皮算用をしきりにしている。責任問題とか居座るとか言っているが、雲上人のすること考えることはわからない。先の小泉首相の選挙の際、小生の考えとは逆に、自民は大勝した。ネット上では自民の勝利が見えていたという文を選挙後、これまたネット上で散見した。今回もネットの中のブログやらなにやら渉猟すれば、予想がつくのかもしれないが、知ったところで何になる。新潟の大地震で助かった年寄りが、「こうして生きていても周りに迷惑をかけるだけだから死にたい」という言葉を漏らす世の中にしてよしとするのだろうから。ワンフレーズなんて子供が考える程度の標語に感心して、勇んで投票しに行き、挙句わが身の金がなくなるとなったら怒り出し、震災で苦しむのを哀れむようでいて、ブランド物のエコバックとやらに行列する輩に投票権なぞ与える必要性があるのだろうか。いまだに小泉、安部が歩けばミーちゃん、ハーちゃんが衝いて回っている映像が映し出されるたびに、進歩のない子供を見ているような気持ちになる。
 旅行代理店に勤める友人に聞いた話だが、国内旅行だと我が物顔で威張り散らしたり、あれこれと文句を言う客も海外へ行くと大人しくなるという。友人曰く、国内なら這ってでも帰れるが、海外ではそういうわけに行かないからではないかと。その程度の国民性ならば、ミーちゃん、ハーちゃんをいかに騙すかに奔走するのが政治屋であろう。
 先日、たまたま新幹線の中で、某党首と出会った。こちらと目が合った瞬間、軽く頭を下げて「どうも」とこれまた軽い調子で声をかけてきた、こちらもつられて、「あ、どうも」と返した。なるほど、党首として看板を背負えるわけだと小生、妙に感心した。
 前々から言っているように選挙権は、一部の人間だけでよい。選挙権なんて野暮なものは持ちたくない。なんなら熨斗つけて返そうか。
 
 

喜一さん

2007-07-01 | 時事
 宮沢元首相の思い出と言えば、小生忘れられない映像がある。ユーチューブで流してくれないかしらと思うのだが、無理かもしれませんなあ。プラザ合意だか、サミットだか忘れたが、日本の国益ばかり叫んで、大局を見ようとしないマスコミにあの温厚な宮沢さんが怒ったのである。リクルートの際、しつこく食い下がるマスコミに「ノーコメントです」と答え、更にしつこく食い下がる相手に「ノーコメントはノーコメントです」と涼しげな表情を浮かべて足早に去った、宮沢先生がご立腹為されたのである。流石にその内容から映像の一部しか報道されずに、事実経過を時系列に並べたニュースで終えたのが当時の報道だったような気がするが、その映像には、あまりにもわからずやのマスコミにむかって、合意した内容を全て英語で説明したのである。勿論、経済通の宮沢先生であるから、単なる英語ではなく経済、政治用語、さらに微妙な含みを持つ語彙を駆使してのアナウンスであります。記者団はあっけにとられ、現地特派員というものがいかに浅学菲才であるか、マスコミの内実の一端を暴露した見事な場面でありました。
 もう一つは、ある議員が経済のことで宮沢先生のお宅へ伺った。秘書なり、使用人が出てくるかと思いきや、ご当人の登場である。右手に英字新聞を持ち、ステテコ姿で、まあお上がんなさいと一声。
 吉田、鳩山は若き日、欧米に行き、そこで人脈を形成した。ハーバードの同窓生には、アメリカの産業界を背負って立つ未来の経営者がいた。その交わりがあったからこそ、よきにつけあしきにつけ、戦後の日米関係が成り立っていった。その下で、人のつながりと大局を見る目を培ったのが宮沢先生である。現首相、先の首相も遊学だが留学の経験はあるが、所詮物見遊山である。驢馬は旅に出ても馬になって帰ってこないことのよき例である。
 あだ名で呼び合う仲、キャッチボールする仲なんてお里が知れよう、某国営放送の教育番組ではないが、みんななかよし友達なんだ程度である。
 失礼千万は承知で申し上げるが、巷間、ウーパルーパとかETなんて呼ばれる風貌をしていたが、その風貌もまた愛嬌がありました。柄にもなく、宰相の思い出を綴りました。
 

真田になれない偽真田

2007-06-16 | 時事
社会保険庁の不始末が日毎槍玉に上がっているが、何も昨日今日に始ったことではなく、役所のずぼらな対応を見ていれば、同じことである。所詮、役人はまずにぎにぎを覚えである。どこぞの市役所で昼休みが削減されて、1時間が45分になった。従来あった十五分ぶんは手当てのついた休憩時間だったという。経費の無駄で十五分削減したら、昼休みがすくなった分だけ、役所近隣の飲食店に出向くものが少なくなり、飲食店は赤字、廃業寸前であるという。飲食店は自らの生活をかけて、役所に陳情に行ったと報じていたが、その後どうなったか知らない。
 経費削減、お金が出ないから仕事をしないとは至極真っ当であるように思えるが、休み時間を短縮したところで、仕事の能率が上がるかは別であろう。厭味な見方をすれば、あれは民に対するいじめである。そんなに経費削減したいなら、仕事はしないよ、食事に行かないよと。社保庁の対応を見ていれば推して知るべしである。市役所も時間短縮したところで能率が、仕事の処理能力が上がるわけでもあるまい。歩を揃えて行財政改革、無駄をなくしてスリムな財政を目指すならまだしも、未だに箱物を、ひも付きを要求するのが地方自治の体質である。夕張を見てわが市、わが町を直せは民の発想で、夕張で見事に逃げおおせた役人を見て、わが身を振り返るのが人の情というものである。
 社保庁が、魔女裁判にかけられる以前、派遣で行った人間によれば、民営化された時のみを各事務局の部長を初め役人は考えていたと仄聞した。
 してみれば、今の対応もガス抜きである。何千、何万件という数字が出ているが、確かめに行くのは当人だけで、手落ちが見つかったと知るのも当人ばかりである。未払い問題が生じたときに、鬼の首でもとるかのように、督促に迫り、迫る手間がかかると思えば、改竄したのだから、今度もきっと無事見事に改竄してくれるであろう。何千、何万の登録ミスの人間を東京ドームなり、国立に集めることなぞ出来はしまい。してみれば、窓口に対応してきた派遣の方々がキーボードなり、奥へ行ってお上のお伺いを立ててきて、判子一つでおしまいである。こうして真相を知らぬ他人同士が、訳もわからず判子を戴き莞爾として帰っていく。待たされた、対応が横柄、仕事の能率が悪いといっても、出すものを出せば帰っていくのが常であろう。
 お金はどこから出て来るのか、まずは目先のことを処理するだけである。幸い、やってくるのは団塊世代を中心にしたものである。ニート、ネット難民なんて呼ばれている二十代は来やしないだろう、三十代なら所帯を持ってる主婦程度か、40も同様である。ならばついこの前、口を揃えて年金払えと追い立てた微小ながらも成果がある。そのおあしをこちらに回せば、後は野となれ山となれである。こうして騒いで民営化してしまえば、大量雇用した派遣はばっさり切って、再び年金問題が再燃したら、当時の「窓口」担当者は既に退社しておりましてむにゃむにゃむにゃで終わりだろう。
 その姿は真田小僧のきん坊である。親父に小遣いをせびって、明日の前借り、明日の前借を繰り返していくうちに、親父は盆暗だから、いつの小遣いかわからなくなるだろうと、子供の浅知恵である。

一票 一俵、

2007-05-12 | 時事
国民投票法案が可決というが、全体選挙の意味はどうなるんだろうか、憲法改正とか、国家監視法(仮想)とか言論統制法(仮想)とかそんなものばかりを投票案件にして、例えば内閣総辞職とか大臣罷免および逮捕の行使なんて自分たちに都合の悪いものなぞは、絶対に投票なんて適用しないだろうに。みんなの意見は案外正しいなんて本が出ている国の内情をみれば、格差どころか、国が発表する最低賃金での生活なんてとっくの昔に破綻している。みんなの意見が正しいなんて発想は、小生どうも学級会のような印象しか持てなく、クラスの総意だなんて出したはいいが、担任が学校の意向なり、自分の思惑と違った結論だと、先生から提案ですの鶴の一声で、もう一度投票しなおしなんてことになるのが関の山である。
 さしずめ、担任の先生役あたりはマスコミがして学校長の役割には時の大臣などが、絶叫に絶叫を重ね、ネットの中をリアルと感じる人間を上手く使ってプロパガンダなりを流していくのではなかろうか。
 最低投票率なり有効投票率も決めずに、西欧ではとか、先進諸国ではなんて枕詞をつけて、後進性なり民度の低さなりを強調するが、よくよく見れば、戦後の押し付け民主主義と言っている輩も棒組みである。ラジオで司会者が言っていたが、も少しすれば戦争体験者が揃って西国へ旅立つ、いなくなれば戦争がどれほど馬鹿げたものか、戦時中の日本がどんなに馬鹿げたことをしていたかわからなくなる、知らない人間が増えるから、大手を振って改憲なり、有事法案の強化ができると言っていた。そういえば、戦時中の雑誌には「鬼畜米英」と題して、現在某国がわが国や米国に対して流している宣伝文なり、論文とそっくりの文言が掲載されております。機会あるごとに、本ブログでも紹介していきます。
 美しい国とか伝統とか武士道とか言っているなら、国民投票で苗字帯刀の復活でもしたらどうかしら。
 納税という国民の最低限の義務を果たしている小生には、国民投票権とか陪審員とか訳のわからぬものは要らない、くれると言うなら使い方はこっちの勝手、売るなり捨てるなり好きに使おうか。野暮なものより売れ残りの富くじで構わない、それともお米券の一枚でもいいから、そっちをおくれ。

枕詞 昭和

2007-03-28 | 時事
今更言うのも馬鹿馬鹿しいし、それが世間の常識なのよと言われれば、それまでよなのだが、やはり、何とかしようよ、サルに顔向けできないじゃないのさ。ということで、コメテーター、追悼特集番組の類である。振らなきゃいいのに、わざわざ振って紋切り型の話、言葉でおわらせてしまう。過日は、船越英一郎さんがなくなった。今日、植木等さんの訃報が知らされた。口を揃えて言うのは、「昭和の云々」である。なんでも「昭和」をつければいいというものじゃないのに。昭和の歌姫、昭和の喜劇王、爆笑王、昭和の父、母、親父、まるで、一頃の「文化」である。文化包丁は辛うじて残っている。何でも「文化」をつけて時代の先端を行くように見せた。今や追悼番組の相場は「昭和」である。昭和の天麩羅粉なら知っているが、日清も忘れちゃいけない。昭和の喜劇俳優なんて一体誰だ。故人について知らなきゃ黙っていればいいもの、なまじ椅子に座らされて、馬鹿まるだしに同じ言葉を紡いでいく。酷いのになると、「わたくし、故人とは生前お付き合いがなかったのですが」なんて枕詞をつければ、ものが言えると思い込んでいる神経が腹立たしい。そういえば、北野武さんのご母堂がなくなった際に、出棺の車に乗り込んできた馬鹿がいたと聞いた。遠縁の親戚かと思って、念のために確認したら、「ファンです」の一言。これなんざ、まさに「お呼びでない」を地でやっている。ところが、追悼番組なり、追悼特集になると、公共の電波を撒き散らしながら、テレビ画面の向うで、「お呼びでない」のをやっているから畏れ入りや鬼子母神である。しかも肩書きが論説委員とかもと記者、編集者。元だか元から違うだろうにと言いたくなる「俳優」である。それらの類が、故人の有名な作品、代表作を好き勝手感想を述べて、はいそれまでよ、である。ふざけやがって、この野郎。泣けてくるう。と地団駄を踏んだところで、大人げないか。いやあ、よくあること、よくあること。
 俗に満つるば欠くるというが、俳優・歌手の盛りも一時で、後はいかに欠ける時間を長くするだけなのかも知れぬ。勢い、故人の思い出は代表作のみに絞られて、まるでそれしか演じていないような物語があちこちに再現されていく。そんな自明のことに腹を立てたところで詮無きことは百も承知だが、どうせこの世はほんだらったほいほいなのかも知れぬ。
 にしても「無責任」を演じていても、本当はまじめな人だったですなんて言われてもねえ。小生、あっと驚くため五郎でありました。
 幸い、本日は麗らかな陽気であります。青い空、白い雲であります。そのうちなんとかなるだろうか、植木屋さん。

口入れ稼業 因業屋

2007-03-03 | 時事
未来世紀ブラジル、マトリックス、SF小説の中では人間が資源、部品として描かれている。それでも実社会では、そのような切迫感なり疎外感が現象として表出してこない。実際には、哲学、宗教という分野では大きな問題になっているのだろうけれども。戸を出でずして世情を知るの域には達していないので、「先進国」と呼ばれる国の労働問題はわからない。
 それでも、先般の某企業での契約社員、派遣社員に対する処遇と考え方に、先の読めない子供の発想を覚える。あるメーカーでは派遣社員に光学機器のレンズを磨く作業をさせている。3年の契約後に、正社員として雇用するという法律に触れないよう、一年ごとに派遣、契約、アルバイトという具合に待遇を勝手に変えて、工員を正規採用しないようにしているという記事があった。コンピューター、機械が使えない分野の仕事だけに、半年、一年なり業務をこなせば、その仕事は「職人芸」に近いものになる。それだけ、製造の現場において労働者の技量の恩恵に預かりながら、金が絡むと、子供の発想である。使い捨て、交換用品はまだあると。ホワイト云々を導入しようと諮問委員会を設けたが、その中にいる人材派遣の輩も同じ発想である。
 数年前から子供の自殺、未成年者の殺人事件が起るたびに、コンピューターゲームを幼い頃からしているために、何事もリセットできるという発想になっていると嗟嘆する大人を見てきた。リセットは子供のだけの特権ではなく、青年のものにもなった、大人のものにもなった、曰く「自分探し」に、「新しい自分」である。「第二の人生」といってもいい。熟年離婚の類も同じものと睨んでいる。
 「リセット」の発想が、個人の枠に留まらず、会社まできたのだから開いた口が塞がらない。ファミコンに、プレイステーション、Xボックス、流行のウィー、ハードは変えずに、やっているゲームをリセットする。ゲーム機ならばなんどリセットしても可能だろう。ハードだって新製品が出るたびに買い換えることもわけもない。人がソフトなら、ハードは会社である。ある日、突然会社を新製品になって簡単に出来ようかと常人なら思うが、件の経営陣、委員会の役員は思わない。自分はコンピュータを操るプレーヤーであるから、ソフトのリセットも新製品への買い替えも出来ると思い込んでいる。片や、巷間企業買収やら盛んである。自分の会社もいつ何時敵対会社から買収されるかわからないぞと言っても、聞く耳を持たない。自分が買収する方で、買収されるのはそういってくる輩だと思い込んでいる。
 人件費の安い中国に製造の基盤を移した時点で、日本は働くことをやめてしまった、人を人と思わなくなった社会になったのかも知れぬ。
 人材派遣なんて響がいいが、要は口入れ屋である。カタカナ、横文字なんてやめて、ひらがなで「口入れ稼業 因業屋」なんて名前にしたらどうか。因業屋の紹介で因業工業に勤めたが、社長はやかん頭の因業爺、握った手も開くのが惜しいほどの吝嗇家、貰った月給ワンコイン。

思考停止人間

2007-02-08 | 時事
相撲協会の話なんてどうでもいいことで、それをニュースで取り上げる方もどういう思考回路をしているのだろうか。鳥取市で学校給食からノロウィルスが発生し、児童が750人ほど、嘔吐、下痢で苦しんだと報じていた。保健所からの連絡を教育委員会が放置して、感染を拡大させて、保健所も最初の発生を軽視して、なんの行政指導もしなかったという話である。ここまで日本人は馬鹿になったのかと思うと、もはや、股火鉢、懐手で暮らしたいの一言である。もしくは一足飛びに死ぬの大好きなんていいたくなる。自暴自棄になっているのではありませんので、念のため。
 思考停止になっていて、本人に自覚がないのは、回りが一番辛いことで、それが夫だったり、妻だったりすれば、こんなやつとは別れてやるなんて啖呵の一つでも切れるのだろうが、はたまた親だったりしたら、こんな家出ていってやるなどとも言えようが、こと、なまじ中途半端な権限なり、地位にいる人間が思考停止だらけだから始末に終えない。恐らくは、事が起って狼狽し、どういう対策を打てばいいのかわからずに、うろうろしているうちに、幸か不幸か事態が収束に向かい、やれやれなんていう気分が、件の役人の頭の中身ではなかろうか。
 話が変わるが、事件の被害者が裁判の場に立てて、被告人に質疑なり、意見陳述ができるようにという動きがあるらしい。目には目を、感情に訴えて公正な裁きができなくなるという危惧が語れていたが、その前に、そんな風にしか裁判が機能していないほうがおかしいのではないか。殺人事件の被害者の親に向って、被告人が、そんな時間に娘を歩かせておかないで、お前が迎えにいけばよかったなんて暴言を吐いたという話を流していたが、被告人にそんな暴言を吐かせる司法制度、裁判のあり方が問題なのではないか。被害者を裁判の場に立ち入らせる、入らせないの前に、そのような空間を作り出している裁判官、弁護人、検事の責任って一体どういうことなんだろうか。人をあやめても、量刑で相場が決まっており、しかも例えば、相手がやくざならば軽減されるなんていうのが言われて久しい。それでも、全く事態は変わらずである。小学校教師の猥褻サイトでも父親が警察官僚だったから、暫く放置されていた。
 思考停止人間は、昔は周りが気付かせた、後ろ指をさして。昨今は、指差す人間を周りが指差すようになってしまった。

はっけよい のこった

2007-02-07 | 時事
相撲の八百長疑惑が取り沙汰されているが、昔は相撲取りと芸人は、花魁の買い物道具であった。日頃、売り買いされる花魁が買えるものと言えば芸人、相撲取りであった。八百長があるかないかなんてどうでもいいことである。少しばかり冷静になって考えてみれば、年に六場所、それに巡業、加えてテレビ局主催のトーナメント戦である。三十貫もあろうという大男が、真剣にぶつかり合えばどうなるか想像がつくものであろう。それをかつては十日興業の二場所から四場所、そして今日の十五日、六場所である。
 往時のようにタニマチなんて結構なお旦なんていやしやない。企業は利益優先で文化事業に金を出すことなんてしないから、自ずと部屋に力士がいるかいないかで見入りも違えば、運営にも差がついてくる。更には、透明性とやらで、下手な企業、なりががり社長を後ろにつければ、詐欺まがいの業務をしていたところをスポンサーにつけてと痛くもない腹を探られる始末である。花篭親方が、サポーター制度なんて、サッカーの真似をし始めたのもそんなところに原因があるまいか。
 失礼千万で言わせてもらえれば、スキャンダルでも金になるならまだいいが、花篭親方のように芸能ニュースで取り上げられてもらえるニュース性があればいいが、全ての親方が、テレビに出てて来て泡銭を稼ぐなってできるわけがない。
 なるほど、相撲は国技で、神事にも関わる要素がある。ならば縁起物扱いでどこがまずかろう。
 十五番やって全てが八百長ならば話は別だが、たかだか数えられる取り組みである。それを裁判の場まで持ってきて黒白つけるなんて、子供の発想である。仮に、八百長なしの真剣勝負になって大相撲が浄化されたなれば、けが人は今以上出るであろうし、そうなれば場所自体も減らさねばならない。減らせば力士、部屋の運営に支障が出る。部屋が多いので統廃合せよというのが本当のところなのか、それとも別の意図があるのか知らん。
 あれも芸である、芸であるならば見るほうにも矜持なり、品格が必要とされる。ことは、スポーツにも言えよう。日本人は温厚であるから、警官を傷つけるなんて物騒なことはしない。セリエAの如く、大リーグの如く、没収試合に、力士ストなんて持ち出す相撲なんて小生見たくない。
 

役立たずの油差しより一筆啓上

2007-01-30 | 時事
女は子供を産む機械といって物議を起こしているが、その後に、男は油差しでありまして、もっとも最近では菜種油ならぬ種無し油が増えてますがと言ったらどうだったであろうか。女性団体が抗議に行って、子供は工業製品かなんて言ったらしいが、工業製品でもJIS規格に通るものと通らないものもあるからと横槍を入れたら、どうなるのだろうか。機械だけでなく機械油も最近では品質が落ちているから、不良品があちこちに出回っていて困ってるなんて言ったらどうなるだろうか。
 優秀な頭脳をお持ちの柳沢先生、代議士らしからぬ表現でありまして、無党派層に、女性票は今や、選挙の時の神様、仏様、何とか様様であります。適当にあしらって、持ち上げとけば、しっかりとした票田になるはずだし、昨日、今日代議士になって、膏薬ならぬ公約をあっちの電信柱、こっちの掲示板、果ては電子掲示板に貼って歩いただろうに。
 しかしながら、あの光景を見ていると、今日は無礼講だからなんて自分で言いだして、会社の若い子に訳のわからぬこと言ったり、手を握ったり、カラオケでデュエットを強制しているおとっつあん、跳ねた後で、部下なり、若手が必死にフォローに回っているような図であります。本人は翌日、会社の食堂で、夕べはそんなにおれ酷かったかなあなんてぼやいて、同僚、もしくは立場の近い人物から、君のところ何某君、あれから、フォローに大変だったんだからなんて聞かされ、とにかく何某君のこともさることながら、何某ちゃんに一言声をかけたおいたほうがいいよなんて言われて、本人もなんとなくその気になっている図であります。当然本人には昨晩の出来事は些細なことでしかなく、事の重大さなり深刻さを自覚しておりません。しつこく申しあげますが、当然の社内、社外で自分の置かれている立場も本人は自覚しておりません、唯一わかるのは自分の名刺に役職が書いてあることだけであります。
 天下国家を論じ、社稷を憂えるべき代議士先生が、一企業のおとっつあんレベルであることに、今更ながら不安を覚えてしまうのだが。高等なユーモアは無理だとしても、せめて「親父ギャグ」程度の知性は欲しいものです「機械男爵さま」