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笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

あべからべっそん

2005-09-26 | 映画 落語
先日、正岡先生の小説をご紹介しましたが、河出文庫というのを忘れておりました。河出は、「落語ブーム」の勢いを買ってか、更に2冊ほど落語関係の文庫を出しております。その1冊が、桂文楽師匠の逸話であります。弟子に当たる柳家小満んさんが書いております。落語の本が巷間賑やかになっていますが、どれも過去の名人の逸話に限られるところが、現在の落語界の姿を物語っております。確かに現役で活躍なさっている方の本も散見いたしますが、筆力の弱さと、話芸に対する掘り下げ方に不満を覚えてしまうのであります。蓋し、立川談志師匠、桂米朝師匠のものは除きます。
 小生がお気に入りの噺家、師匠は残念ながら本を書いておりません。本を書く暇が無いほど芸に精進しているのやら、それとも他の仕事に忙しいのやら、肥やしを貯めるのに東奔西走しているのやら、ご当人にお話を伺わなれば知る術も無いのですが。
 さて、件の文楽師匠の逸話でありますが、話を卸す際に、原稿用紙で書き直し、削って、削って完成させるという部分には感動したしました。なるほど一写は十読に如かずであります。また現今、と言っても正確には昭和の三十、四十年ごろですが、話の長さも二十分から二十五分程度にまとめる時代になっていたということがわかりました。町内に必ずあった寄席が衰退して、映画館に変わったのは昭和の始めごろだったと記憶します。してみれば、先の大戦がなければ、もっと早くに話の時間が短縮化されていたのでは推理しますが、いかがでしょうか。
 高座の録音を聞くと、このお話は長くなりますので今夜はこの辺でお付き合いを云々という声を聞きます。大喜利のお題に、もしも云々できたらなら、富士のお山に何々というものがありました。
 もしも万両あったなら、粋な座敷に毛氈ひいて、大ネタ噺を思う存分聞きまくり 笑ってあの世に向かいたい。 お粗末さま。

正岡先生の小説 三遊亭燕圓朝

2005-09-22 | 映画 落語
 正岡容先生の小説 三遊亭圓朝が復刻されました。7月10日ですから、旧聞に属するかもしれません。正岡先生のお弟子さんといえば、かの米朝師匠、小沢昭一さんなどがおります。米朝師匠が噺家を志すよう促したのも正岡先生おらばこそであります。その先生がお書きになった、小説です。
 文字の使い、言葉の選び具合なぞはどうして粋な運びであります。また円生師匠に落語の仕草を教わる場面なぞは、唸らずにいられません。視線の使い分けは、雀に餌をやることから学び、表情の豊かさ、感情表現の多様さを教えるのに、いやな仕事、辛いこと、それから最後に池に突き落とすという荒業で教え込むということが書かれていました。どこまでが本当で、どこまでが仮構であるかわかりません。ですが、往時の芸人の修行の姿、芸の厳しさが伝わる一冊であります。
 ああ、どこぞの噺家といわれている何代目何某という人にぜひ読ませたいと思いました。
 落語に興味の無い方でも、時代小説なりの楽しみがあります。昭和14年頃の作品でありますが、古色蒼然たるという形容が見事に消し飛んでしまう小説です。
 さて、毎度のことですが、本の紹介をする際に、その本を画面に読み込んでいるブログを見つけます。あんなことが出来たらいいのにと思うのですが、活字のみの紹介で申し訳ありません。

やっと行けた BeWitched

2005-09-20 | 映画 落語
奥様は魔女を観てきました。ノーラエフロンの脚本は相変わらずウィットに富んでいて、言葉遊びなりが所々にちりばめられておりました。ニコールキッドマンの愛くるしさも溢れていて、この映画をアメリカで見ていたらとふと考えました。
 さすがに、リメイクの女王だけあり、ファッションも二コールに相応しく、かつ往年のエリザべスモンゴメリーがドラマで着ていたような色での演出が心憎いです。同時に、家具の選び方も良かったです。
 但し、今回はサントラがスティングなどを使ってます。スタンダードで固めたユーガッタメール、やスリープレスシアトルのような、ゴールデンエイジや、50年代のムードから少々離れていますが、お馴染みのサッチモの歌に、ハリーコニックJrの声もしっかり聴けます。こうなったら、黒澤組ならぬ、エフロン組であります。
 強いて不満を言えば、もう少しテレビ番組作成場面があったら、と思いました。そうなると少々本筋から離れてしまうかもしれませんが、二コールのサマンサならば、21世紀のバージョンとして堂々と通用します。相手役のウィルファレルはサタデーナイトの出身ですが、いま一つという感じがしました。サタデーの質が落ちたのか、笑いの質が変わったのか、小生の目が曇っているのか。
 母親のエンドラが出ない分、父親が活躍する運びにしたのも、良かったです。あれはひょっとしたら「パパは何でも知っている」をも上手く料理したのではないかと考えますが。
 かつて、タランティーノの映画でヒッチコック劇場のパロディーがありましたが、映画館で観客が真剣に見入っていたのには参りました。
 今回はパロディーではありませんが、予習をして見に行かれると、きっと心憎い演出の数々に気がつくはずです。

セルラー

2005-09-07 | 映画 落語
本日は、映画紹介です。今、レンタルビデオ屋さんに並んでいる新作です。コーエン兄弟による、キムベインジンガー、Hメイシー主演の「セルラー」であります。誘拐された主婦が、電話を使って外部と連絡を取り、苦境を脱出するお話です。
 話の展開が「間違えられた男」のような錯覚を抱かせてくれます。そして、ここ最近、もしかしたら最初からかもしれませんが、コーエンが描くのは「たくましい女性」です。勿論、コーエン兄弟なので脚本はしっかりしています。笑いも入れてあります。ビッグリボウスキー、世界は今、シンプルプラン、ファーゴを見ていただけば、納得できると思います。ヒッチコックの周辺を見事とすりに抜け、どうして出てくる俳優が魅力的に見えてしまうのか不思議な感じを受けます。今回のキムベイジンガー、シンプルプランのブリジットフォンダは別としても、彼の映画はスティーブンブシュミーです、B,Bソーントンです。にのせん、さんのせんというよりも性格俳優に近いキャスティングで壊れていく日常と平凡な日々の狭間を描くあざとさには脱帽です。そして今回は先にも書いたメイシーです。久しぶりに早送りをしない映画でした。
 毎度、機械に音痴な小生には、そうなのかと頷くところがありましたが、アメリカの携帯の最新型機種ってビデオもダウンロードできるのでしょうか。

奥様は魔女 承前

2005-09-03 | 映画 落語
さて昨日の三箇所の一つ。I'm from Missouri.とShow meは言葉遊びです。由来は、ミズーリー出身のある議員が、議会でしきりに「SHOW ME」ばかり使っていたことから、ミズーリーの連中は「SHOW ME」しか言わない奴らだということから来ております。日本の例で言えば、名古屋は必ず「みゃーみゃー」いうとタモリが一時吹聴しておりました。これにあたるのでしょうか。
 あらためて、奥様を見ると、日本の番組はむこうのいただきが多いのです。今更言うのもおこがましいかもしれません。「奥様は18才」などはまさにそれです。近い所では、検死官シリーズのスカーペッタさんとマリーノは、浜絹子と左とん平になっております。今更指摘するのも間が抜けておりますが、ですが、浜、左の方が元になっている検死官よりも面白く見られる気がします。それは、検死官シリーズでは時折、アメリカ社会特有の足の引っ張り合いが出てきます。それはそれで、あの国がセクシャルハラスメントなり、嫌煙権なり、肥満者には非人間的扱いをする背景を教えてくれるので有難いのですが。
 二つ目。それはフィネガンスフェイクです。これは稀代の奇書ともいうべきジョイスの作品で、川流れるで始まり、結末が再び冒頭に戻るという仕組みになっています。邦訳が出ておりますが、なにせ原文は、英語であって英語にあらず、キリスト教、仏教、ユダヤ教とあらゆる宗教を背景にして、ジョイス独自の造語に、ヨーロッパ言語をくっつけたものでして、表音言語と表意言語の特質を理解しながら、読み進めねばわからない。読んでもわからないかもしれぬという代物です。すなわちジョイスにしかわからぬ言葉遊びの世界と言うべきものでしょうか。これが自動翻訳できる日は、いつのことでありましょうか。小生の読みでは、露伴翁が生きておられたならば、見事な訳が出来るのではと思っている次第であります。
 ともあれ、昨日は2巻まで見ました。今日もその続きをと考えてる次第であります。
 

奥様は魔女

2005-09-02 | 映画 落語
「奥様は魔女」を買ってしまいました。今公開中のニコールキッドマンではありません。米倉涼子でもありません。バネッサパラディーでもなければ、オーギュストの孫でもありません。とはいえ、ジャンルノワールのも持っておりますが。あのエリザベスモンゴメリーの「奥様は魔女」です。あの有名なナレーション、ごく普通の二人は出会って云々で始まる、あの「奥様は魔女」です。しつこすぎることは百も承知で書きました。エリザベスモンゴメリーのキュートさに気づかなかった小生の人生はいったいなんであったのか慙愧の念に耐えかねます。
 テレビの吹き替え版しか知らなかったのですが、DVDで改めて見ると、台詞の小粋さ、言葉遊びの楽しさに、往時の脚本家の腕が伺えます。とりわけ感銘したのは吹き替えの翻訳の凄さです。第1話で、自分が魔女であることを告白するサマンサ、では証拠を見せておくれというダーリン。この台詞、元はI'm from Missouri. Show me が「僕はテキサスっ子だから、ちょっとのことでは動じないぞ、さあみせてくれ」という具合であります。この辺りの翻訳家の工夫がなんとも憎い。一時、映画の字幕翻訳が酷いと巷間賑わしましたが、字幕の仕組みが理解されるにつれて、その声も止みました。とはいえ、昨今、字幕の仕組みを印籠にして、仕事の怠慢を言い逃れてるのも気になります。
 誤訳だらけと重箱の隅をつつくような「英語学者」「翻訳家」も困りますが、そのような方には、ぜひともジェームスジョイスの「フィネガンスフェイク」を訳していただきたいと思います。
 googleが自動翻訳機の開発に乗り出すという話を聞きましたが、所詮は現今の電子翻訳機の域を出ないものにしかならないと思われます。その答えが件のジョイスの作品であり、奥様は魔女の例です。
 外国語、ここでは英語に限定しますが、と日本語の差を認識するには原語の字幕
で日本語吹き替えを見ることをお勧めします。と偉そうなことを申しましたが、エリザベスモンゴメリーの愛くるしさと北浜晴子さんの声に魅了されているだけであります。
 最後に、ニコールキッドマンの最新版もお勧めしておきます。実はまだ見ていないのですが、どうしてかといえば、脚本、監督がノーラエフロンです。それに原題は Bewitchedですもの。

 追記:今回のお話には3箇所ほど、わかりにくいところがあります。どうしてそう言えるのかという疑問が湧くところです。それはおいおいお話します。今回は少々悪戯をしました。

廉価で買える名作DVD

2005-08-25 | 映画 落語
 既にお気づきの方もおられると思われますが、感動の名作映画 500円 DVDであります。装丁はいかにも500円なりでありますが、名画とつくだけあって、ガルボのニノチカ、マルタズファルコン、そして極めつけはビンクロのバリ島珍道中であります。他にも自転車泥棒、ひまわりと涙なくしては見られない名画が500円で登場です。かつては4000円以上もした作品もこのシリーズに入っております。あの時、清水の舞台からの意気込みで購入した小生はなんだったのでありましょうか。
 書店の片隅に、あたかもゾッキ本を売るが如くワゴンに入れられているDVDをみて、「やれば出来るじゃないか」と声を上げてしまいました。10枚買っても5000円。昨今のなんとかトリロジー。意気込んで購入してみれば、テレビで放映され、挙句の果てに一部が改変してあったりして、見事に新作宣伝に利用されていたりすることもあります。以前、この欄にも書きましたが、映画宣伝に堕したテレビの映画番組では、もはやお目にかかることのない名作、佳作が件のシリーズにあります。映画で英語のお勉強と思っている方には、字幕が日本語のみなので、不満に思われる方もいるかもしれませんが、台詞はきれいです。俗語というものが極めて少ないので聞き取りやすいと思われます。(但し、珍道中は不可)
 ところで、あまりに夢中になりすぎて、飼いすぎに注意してください。小生、狂った猿のようにワゴンを漁り、本日の収穫なりと悦に浸っておりましたが、本棚を見てあらびっくり、既に5枚ほど重複しておりました。ビデオで、DVDで、そして廉価版で。まるで、香具師の啖呵売に引っかかった心持ちです。
 自棄のやんぱち、日焼けのなすび、色が黒くてかみつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たぬ。えーい持ってけ、泥棒。700円、どうだ。さあいないか、ちくしょお、こうなりゃ死んだ気になって、500円だ。これ以上はまかんないよ。こう見えたって、うちにかえりゃ、口をあけてまってるかかあとがきがいるんでぇ。
 よし、おあにいさんに惚れ込んで、5つ貰おう。とほほ。
 

パッチギ

2005-08-16 | 映画 落語
 井筒監督の「パッチギ」を見ました。イムジン河を流したい一心で作った映画であることが画面を通してわかりました。監督本人も言ってましたが、ロミオとジュリエットの日本版ということですが、かつて島田紳助が主演したガキ帝国の続編と呼ぶにふさわしい面白い作品に仕上がっています。これで大兄開高先生のアパッチ砦が映画化されれば、ある意味、戦後在日朝鮮人の歴史が辿れるものと思います。ビートたけし主演の「血と骨」まで来て、アパッチ砦に至らぬのは脚本家不足なのか、崔洋一、井筒と監督の人材はいます。言葉ではなく映像にて表現して欲しいと切に願うものであります。
 「血と骨」は原作もさることながら、北野武氏の持つ暴力の匂いが画面をはみ出すほど溢れ出て、原作をある面で凌駕しているように思えました。かたや、パッチギでは、演技の枠の中で収まった暴力が、往年の実録やくざを彷彿させるようで、安心して見られるところが青春映画として上手く消化されてました。
 オダギリジョーさんは、在日に纏わる二作品に出演してますが、どちらも肩肘を張ってない演技は、好感が持てます。
 この映画は同時にある世代の回顧になってますが、あの姿を全体どのように捉えているのか聞きたいものです。今から思えば、滑稽な姿でありますが、当時、外国に行くということ、見聞を広めることが一種の地位向上につながっていました。小田実氏の「なんでも見てやろう」がベストセラーになり、紅衛兵が毛語録を持って目を輝かせ、ベトナム戦争によって内部から腐敗していく米国と、朝日新聞の記者が変名を使って「北朝鮮からの手紙」をものした頃、フォークソングに熱狂した若者、彼らの姿を一笑に付すことは簡単であります。ですがあの映画に描かれていた己に近い姿とどのように邂逅するのか、それを考えて「イムジン河」を聞いていました。
 

亡国のイージスを読みましたが・・・

2005-08-07 | 映画 落語
アクセス戴いた方には、申し訳ありませんでした。ここ数日、家を開ける機会が多かったもので、更新できずにいました。
 「亡国のイージス」を読みました。なんでまたと思われる方おられましょうが、小生が閲覧するブログの中で紹介されておりましたもので、ならば読んでみるかと思い立った次第であります。ちなみのそのブログを運営なされている方は、海外に在住なされておりまして、現下の日本の状況を嗟嘆なされていると同時に呆れているようでありますが。ここから先は、読んでみようとお考えになっている方は、一段落飛ばしてくださって結構であります。
 そこで亡国です。単刀直入に申し上げますと漫画を文字にしたというのが実感です。題名からしても推し量れることありますが、物語の展開、場面の描写がどこかで見たような映像をそのまま活字に起こしてみた。スティーブンセガール、007シリーズ、シュワちゃん。それだけであります。さりとて物語に膨らみを持たせるような努力もしてあります。例えば、登場人物の背景を丁寧に冒頭からなぞり、時代背景を織り交ぜて書いております。が、それとて朝日年鑑なり、なんとかクロニクルを引っ張り出してきて、添えたものにしか読めません。またご丁寧にも、事件顛末だけでなく、登場人物のその後も書いています。読者の想像力の欠如を憂慮した上での配慮と思えば、なるほどと頷けなくはないのですが、それすらも蛇足に感じられました。小生は、文庫で読んだのですが、資源の無駄であり、思い切りさえあれば、上巻のみでまとまる話と痛感しました。同時に編集者の能力が著しく低下しているのも感じられる貴重な本であります。
 さて、今、この本が映画化されてますが、なぜかそこに作品の主題とは別の力学を覚えています。即ち、以前から叫ばれていた紋切り型の発言、日本の映画はどうしてハリウッドのような派手なアクション映画が出来ないのだろうか。件の映画は、それに反論するが如く製作、公開されました。勿論、この映画よりも以前に、アクション映画のハリウッド化は進行しています。しかしながら、日本外交の如く、アメリカ追従はいかがなものかと思う次第であります。アメリカのポチと呼ばれていいのかと扇情的に喚き立て、やってることはアメリカ追従です。否と言えば、侍、ふじやまに戻るという短絡的な思考です。イージス艦を出そうが、レインボーブリッジを閉鎖しようが構いませんが、旭が駆け、三船が叫び、ゴジラが街を焼き尽くす、そんな活力溢れる想像はもはや望めないのが現状なのかもしれません。同時に、振り子が右から左へと簡単に動く姿に一抹の不安を覚えている今日この頃です。

シャークテイル

2005-07-22 | 映画 落語
パロディー映画は何処に消えたかと思ったら、ドリームワークスの下で、アニメーションとして復活していた。ディズニーのアニメについては以前書いたが、ドリームワークスが作る動画はうっかり子供向けの映画として見えていると、アニメ狂の類にしか思われないかもしれない。
 シャークテイル、菜食主義の鮫と魚の友情を描いたたわいもない話であるが、出ているキャストが凄い。ウィルスミス、ロバートデニーロ、マーチンスコシージ、アンジェリナジョリーの豪華キャストである。この話を実写で行ったら、台詞回しのわざとらしさに鼻白むが、アニメーションが解決してくれている。わかりやすい例を挙げれば、ロバートデニーロの台詞は、有名なタクシードライバー、アンタッチャブルからいただいたものを並べ、お得意の喋り方(ロバートデニーロの物真似をする時の定番の台詞と特徴)を散々使わせ、ウィルスミスがMIBばりで暴れまわるような動きを魚にさせている。
 かつてはフライングハイなどのパロディー映画が公開されるたびに、幾つ映画のパロディーが隠されているかを得意がって吹聴する評論家がいたが、眼で見てわかるものを指摘したところで何の意味があろうか。
 自分の物真似を本人がするのは非常に照れくさいと言うか、情けないものがあるかも知れぬが、アニメにしたとたん、俳優人が生き生きと物真似、自分の特徴を誇張して演じてくれている。以前、アンツを紹介したが、 声優にウッディアレンを使って、まさにジューイッシュコメディーを込めている。
 深読みかもしれぬが、実写でパロディーやアイロニーに満ちた作品を作っても、今日のアメリカの状況を見れば、なんとか指定、なんとか規定にがんじがらめにされてるからまともに公開できぬのかもしれない。アクション映画を作ろうとすれば、爆破シーンの多さのみを追求し、人間ドラマを描くには脚本家の力量不足から、勢い実話に基づくものになる。ならばと最後はハッピーエンドにすればいいのだろうと居直って、合間、合間に皮肉と諧謔を埋め込むアニメの登場になったのであるまいか。
 9.11以降、ヒステリックなアメリカの反応に辟易しているまともな映画人もいるという証拠なのだろうと見ているが、ちと入れ込みすぎか。サウンドトラックも渋いところを混ぜてます。