先日、正岡先生の小説をご紹介しましたが、河出文庫というのを忘れておりました。河出は、「落語ブーム」の勢いを買ってか、更に2冊ほど落語関係の文庫を出しております。その1冊が、桂文楽師匠の逸話であります。弟子に当たる柳家小満んさんが書いております。落語の本が巷間賑やかになっていますが、どれも過去の名人の逸話に限られるところが、現在の落語界の姿を物語っております。確かに現役で活躍なさっている方の本も散見いたしますが、筆力の弱さと、話芸に対する掘り下げ方に不満を覚えてしまうのであります。蓋し、立川談志師匠、桂米朝師匠のものは除きます。
小生がお気に入りの噺家、師匠は残念ながら本を書いておりません。本を書く暇が無いほど芸に精進しているのやら、それとも他の仕事に忙しいのやら、肥やしを貯めるのに東奔西走しているのやら、ご当人にお話を伺わなれば知る術も無いのですが。
さて、件の文楽師匠の逸話でありますが、話を卸す際に、原稿用紙で書き直し、削って、削って完成させるという部分には感動したしました。なるほど一写は十読に如かずであります。また現今、と言っても正確には昭和の三十、四十年ごろですが、話の長さも二十分から二十五分程度にまとめる時代になっていたということがわかりました。町内に必ずあった寄席が衰退して、映画館に変わったのは昭和の始めごろだったと記憶します。してみれば、先の大戦がなければ、もっと早くに話の時間が短縮化されていたのでは推理しますが、いかがでしょうか。
高座の録音を聞くと、このお話は長くなりますので今夜はこの辺でお付き合いを云々という声を聞きます。大喜利のお題に、もしも云々できたらなら、富士のお山に何々というものがありました。
もしも万両あったなら、粋な座敷に毛氈ひいて、大ネタ噺を思う存分聞きまくり 笑ってあの世に向かいたい。 お粗末さま。
小生がお気に入りの噺家、師匠は残念ながら本を書いておりません。本を書く暇が無いほど芸に精進しているのやら、それとも他の仕事に忙しいのやら、肥やしを貯めるのに東奔西走しているのやら、ご当人にお話を伺わなれば知る術も無いのですが。
さて、件の文楽師匠の逸話でありますが、話を卸す際に、原稿用紙で書き直し、削って、削って完成させるという部分には感動したしました。なるほど一写は十読に如かずであります。また現今、と言っても正確には昭和の三十、四十年ごろですが、話の長さも二十分から二十五分程度にまとめる時代になっていたということがわかりました。町内に必ずあった寄席が衰退して、映画館に変わったのは昭和の始めごろだったと記憶します。してみれば、先の大戦がなければ、もっと早くに話の時間が短縮化されていたのでは推理しますが、いかがでしょうか。
高座の録音を聞くと、このお話は長くなりますので今夜はこの辺でお付き合いを云々という声を聞きます。大喜利のお題に、もしも云々できたらなら、富士のお山に何々というものがありました。
もしも万両あったなら、粋な座敷に毛氈ひいて、大ネタ噺を思う存分聞きまくり 笑ってあの世に向かいたい。 お粗末さま。