お勧めの映画は何ですかという質問をされることがあります。頭にはいくつか浮かぶのですが、相手を見ると何を言っていいのかわからなくなります。映画、芝居、絵画すべては相手を選びます。それが小生の考えでありまして、知っている知らないの項でも述べましたが、どの程度の好奇心と想像力があるかで、同じ作品を見ても受け取り方は千差万別だからです。
過日、友人がホラー映画を見ていて、つくづく思ったのはこんな役に割り当てられて気の毒だなあということでした。子供が白塗りにされたり、目の淵を隈取されたり、残バラ髪にされ目の玉だけアップにされたりと。ついでに申せばジュエルシューマッカの「オペラ座の怪人」にも違和感を覚えました。ミュージカルの方を見ていないでいうのもおこがましいのですが。つまるところ想像力の欠如であります。
見えるもの見えないものならば、見えないものを恐れるのが人の心情でありましょう。わかるものとわからないものならば当然後者を畏怖の対象とするものであります。
たまさかNHKで「第3の男」を放映するとかで喧伝しておりましたが、「第3の男」とくれば「大怪獣(鳥?)ラドン」であります。ラドンとあの名画の共通点といえば、陰翳であります。第3の男ではオーソンウェルズの体が明かずに、苦肉の策として逃げる男の影のみを追って緊迫感を出しました。大怪獣ラドンでは、映画開始してから30分近くラドンの姿は見えません。家の瓦が、クルマが吹き飛ばされる場面、大地を暗くする巨大な鳥の影と緊張感を見るものに与えます。
人間の脳みそは想像以上に愚かだと養老先生の本で読みましたが、見事にその愚かさ、虚を突いての影の効果を件の二作品は利用しております。
オペラ座の怪人はミュージカルの方が先行してしまい、映画化した際には見るものの期待を裏切らないようにという意図もあったのでしょうが、往年のオペラ座のそれとは、雲泥の差になってしまったのは残念なことであります。
昨今のホラー映画も、すべてめくれば、はいという具合で見るものの想像力を要求してこないのに、物足りなさを感じるのであります。
蛇足ですが、先ごろまで「着信」とかいうホラーがテレビ朝日でやっておりました。その中には、ヒロインの女の子の制服姿や「普通の女の子」の格好やらスエット姿などがありました。小生の想像力は、この女の子のファンにとってこれらは「お宝映像」になるのだろうなあという方向に向いていたのは言うまでもありません。
過日、友人がホラー映画を見ていて、つくづく思ったのはこんな役に割り当てられて気の毒だなあということでした。子供が白塗りにされたり、目の淵を隈取されたり、残バラ髪にされ目の玉だけアップにされたりと。ついでに申せばジュエルシューマッカの「オペラ座の怪人」にも違和感を覚えました。ミュージカルの方を見ていないでいうのもおこがましいのですが。つまるところ想像力の欠如であります。
見えるもの見えないものならば、見えないものを恐れるのが人の心情でありましょう。わかるものとわからないものならば当然後者を畏怖の対象とするものであります。
たまさかNHKで「第3の男」を放映するとかで喧伝しておりましたが、「第3の男」とくれば「大怪獣(鳥?)ラドン」であります。ラドンとあの名画の共通点といえば、陰翳であります。第3の男ではオーソンウェルズの体が明かずに、苦肉の策として逃げる男の影のみを追って緊迫感を出しました。大怪獣ラドンでは、映画開始してから30分近くラドンの姿は見えません。家の瓦が、クルマが吹き飛ばされる場面、大地を暗くする巨大な鳥の影と緊張感を見るものに与えます。
人間の脳みそは想像以上に愚かだと養老先生の本で読みましたが、見事にその愚かさ、虚を突いての影の効果を件の二作品は利用しております。
オペラ座の怪人はミュージカルの方が先行してしまい、映画化した際には見るものの期待を裏切らないようにという意図もあったのでしょうが、往年のオペラ座のそれとは、雲泥の差になってしまったのは残念なことであります。
昨今のホラー映画も、すべてめくれば、はいという具合で見るものの想像力を要求してこないのに、物足りなさを感じるのであります。
蛇足ですが、先ごろまで「着信」とかいうホラーがテレビ朝日でやっておりました。その中には、ヒロインの女の子の制服姿や「普通の女の子」の格好やらスエット姿などがありました。小生の想像力は、この女の子のファンにとってこれらは「お宝映像」になるのだろうなあという方向に向いていたのは言うまでもありません。