敬愛する柳家権太楼師匠の落語論という本が出た。権太楼師匠、以下師匠で通します。は寄席に行かねば逢えない噺家である。池袋の演芸場で月に一回、練習会を開いておってが、最近は小生の不精が祟って、調べていないので今はどうなっているか知らない。が、月一回の稽古、発表会はよく足を運ばせてもらった。通常の出演では叶わない大ネタを師匠が披露し、その後に高座で一頻り出来を述べたり、芸談を語ったりしたのが小生にとっては大きな収穫であった。芝浜なら、三木助、可楽、志ん生、志ん朝、談志といろいろな人の話を聴いたり、見たりしたが、師匠の芝浜も、件の名人に劣らぬくらいものであった。とりわけ、女房とのやり取りに、ある意味での品のなさ、荒っぽさを取り入れたのは、もしかすると師匠の生い立ちによるものかもしれぬと感じたのだが、今回師匠の著作を読んで、得心した次第である。
師匠の本の中で、小生が気を引いたのは「蹴られる」という言葉使いである。「蹴られる」とは客に受けない、相手にされないということである。「蹴られる」を説明する際に使った挿話が、枝雀師匠と志ん朝師匠の話である。二人がある女子大で落語を演じるために出かけたが、相手は名門の女子大で「落語の下世話な世界なぞ知らぬお嬢様」、おまけに古典の素養なり、古い文化なぞも見当つかないお育ちである。午前と午後の二部制であったが、午前の部が終了した時点で、枝雀師匠が逃げ出した。逃げ出したという表現は、失礼かもしれないが、要するに舞台を降りてしまったということである。うんともすんとも言わない客、自分が笑うなと思うところで反応しない客に嫌気がして大阪へ帰ってしまったと書いてあった。
師匠は、この「蹴られる」という行為が、噺家を強くし、余裕を持たせるのだと述べている。今でも高座に上がって、客に蹴られることがあるという。でも師匠はそれを気にしない。蹴られる練習、話の練習と思えばなんともない。東京の噺家は寄席がまだ生き残っている限り、蹴られるのに慣れている。対して大阪の噺家は寄席がない分蹴られるのに慣れていないと。この辺りは小生、大阪の噺家さんの声も聴きたいと思うのだが、それはさておき「蹴られる」とは「バカの壁」に遭遇することではないかと。噺家と言う特殊な職業でないかぎり、蹴られることはないと多くの人は思うかもしれないが、実は生活を見渡せば、そこここで「蹴ったり」、「蹴られたり」しているのが常ではないか。大切なことは、自分がどこに、何を持っているかではないかと小生は感じた。
師匠はその容貌から、与太郎話がかつては得意であったが、いつの間にか、といっても生意気を承知で言わせて貰えば、池袋演芸場で披露した噺の数々で、力をつけているのはわかったが、見事に時代を担う噺家になった。
第一、距離のとり方が上手いんです。権太楼師匠は。ミーハーですが、師匠の直筆、小生の名前まで入ったCDに手ぬぐい、色紙、大事にしております。
師匠の本の中で、小生が気を引いたのは「蹴られる」という言葉使いである。「蹴られる」とは客に受けない、相手にされないということである。「蹴られる」を説明する際に使った挿話が、枝雀師匠と志ん朝師匠の話である。二人がある女子大で落語を演じるために出かけたが、相手は名門の女子大で「落語の下世話な世界なぞ知らぬお嬢様」、おまけに古典の素養なり、古い文化なぞも見当つかないお育ちである。午前と午後の二部制であったが、午前の部が終了した時点で、枝雀師匠が逃げ出した。逃げ出したという表現は、失礼かもしれないが、要するに舞台を降りてしまったということである。うんともすんとも言わない客、自分が笑うなと思うところで反応しない客に嫌気がして大阪へ帰ってしまったと書いてあった。
師匠は、この「蹴られる」という行為が、噺家を強くし、余裕を持たせるのだと述べている。今でも高座に上がって、客に蹴られることがあるという。でも師匠はそれを気にしない。蹴られる練習、話の練習と思えばなんともない。東京の噺家は寄席がまだ生き残っている限り、蹴られるのに慣れている。対して大阪の噺家は寄席がない分蹴られるのに慣れていないと。この辺りは小生、大阪の噺家さんの声も聴きたいと思うのだが、それはさておき「蹴られる」とは「バカの壁」に遭遇することではないかと。噺家と言う特殊な職業でないかぎり、蹴られることはないと多くの人は思うかもしれないが、実は生活を見渡せば、そこここで「蹴ったり」、「蹴られたり」しているのが常ではないか。大切なことは、自分がどこに、何を持っているかではないかと小生は感じた。
師匠はその容貌から、与太郎話がかつては得意であったが、いつの間にか、といっても生意気を承知で言わせて貰えば、池袋演芸場で披露した噺の数々で、力をつけているのはわかったが、見事に時代を担う噺家になった。
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