1分でわかるクリスチャンのキーポイント/預言
「愛は決して絶えることはありません。預言の賜物(カリスマ)ならばすたれます。
異言ならばやみます。知識ならばすてれます」(コリント人への手紙第1、13章8節)
「完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます」(コリント人への手紙第1、13章10節)
この聖句を通して、ある方々は、異言、預言がやんだと主張されます。
しかし、愛は永遠だが、預言、異言、知識は限りがあり、
完全なものが現れたら、すたれ、やんでいく言っているのであり、
期限を限定しています。
完全なものが現れたらとは、キリストの再臨を意味しているので、その時までは、
異言、預言、知識は続くということです。
また、「私たちの知っているところは、一部分であり、預言するところも一部分だからです」
(コリント人への手紙第1、13章9節)と書いてあるように、私たちの知っているところは
一部分であり、預言するところも一部分なのです。
従って、預言は万能ではなく、一部分なのです。
もし、預言を放棄すると同じように、知識を放棄したらキリスト教はつぶれてしまいます。
預言は万能ではないが、知識と同様に重要な役割を担っているので、預言の働きを
軽視してはなりません。
なお、他の箇所から分かるように、旧約の預言と新約の預言の違い、
新約では「吟味しなさい」と書いているように、聞く側が吟味しなくてはなりません。
また、特別の賜物として預言が与えられる場合があり、
クリスチャンであれば誰でも預言することがると書いてあることも
しっかり読み取る必要があります。
さらに、預言は他の賜物と同様に教会に与えられたものであり、
個人に与えられたものではありません。
ですから、教会の管理、牧師らの指導のもとに用いないと問題がおこります。
コリント人への手紙第1、14章1節に「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、
特に預言することを熱心に求めなさい」と書いてあります。
聖書に明記してある原則に従って、教会の管理の基に用いるとき、
強力な武器となります。