うろうろとする日々

読書:ルールはそもそもなんのためにあるのか(住吉雅美)

評判がいいらしいので読んでみたがあまり納得しなかった。

特に現実的な話になると違和感が多い。例えば、男性も座って小便をするようになった話だ。

大きな誤解があるが、女性の立小便はそんなに昔のことでもないようだ。1964年の東京五輪のころには、まだ、海外の女性には立って用を済ませる人もいたし、こういった混雑する場所では立ってしたほうが効率的だという考え方もあったらしい。

歴代の便器を見てみよう~TOTOミュージアム~ 写真特集:時事ドットコム

ここでは普及ししなかったと書いているがこれは本当なのかちょっといろいろと検証が必要だと思う。むしろ女性の立小便を好ましく思わない道徳的な強制が行われていたことのかもしれない。

そうなってくると、男性の立小便をしない理由は単に家などで汚さないという配慮に尽きるような気がする。

それにしても以前の東京オリンピックはこのようなレガシーを残したわけだが今回はどうなんでしょうねえ。

2021年の五輪はこの言葉を乱発した割には、1964年よりも残ってない気がする。その証拠に2021年のレガシー、あまりもういわなくなったなあ。

また、優先席についての論考も、まあ結論としては、私もすべての席が優先席であるべきだと思うんだが、それこそそこには優先の度合いがかなり洗練された社会じゃないと難しいと思われる。例えば体が不自由な人と妊娠中のひと(仕事帰りでまだそれほどきつくなさそう)のどちらが優先、とかですね。

実は私は功利主義的な人間なので、そういう危険な人たちが立っていて、倒れたりすると電車は止まらざるを得ない。そうなると、多数の人が迷惑をこうむることになる。だから、自分が早く駅に着くために、そういった立っていると危険なひとに席を譲ったほうが、結局は自分の効用をアップする、と考えるとみんな自然と席を譲るのではないかと思うのですが。

また、ぜひとも取り上げてほしかった問題に私が常日頃考えている、7人シート6人掛け問題がある。これは東横線に乗って初めてであったのだが、沿線のK大学関係の大学生、中高生はは見ていると足の間に(Kの付属は男子のみ)大きなカバンを置いて、足を広げて座る。そうなると、7人掛けの席には6人しか座れないことになる。座っている6人の効用は当然7人で詰めるよりアップ。座れる一人の効用はアップするかもしれないが、6人の効用を下げてひとり上げるのは民主主義的ではない。ということかな?何か変ですよね。

私は効用一本やりだとちょっとこういうときはまずいなあ、と思うのですが、正義を持ち出したところでおそらく世間で日本一優秀と思われるK関係の皆さんがそう思わないということはなにかまずいところがあるのだろう。東横線をよく使っているときにいったい彼らのようなひとは何と言われると納得するのかずっと考えたがいい答えは見つからなかった。実は私自身は”男の子は座ってると格好悪いだろう”と一緒に電車にのった先輩などから言われて、いまだにそのことばは残っている。が見ていると、小学生の男の子がスポーツクラブや塾などの帰り?に親と電車に乗っていると座らせる親も多いようだ。おそらく優秀なK大学の関係者にはこういったある意味幸福な親子関係で育った人が多い、またはそもそも電車など座らずいつも車移動のような人が多いことによるのかもしれない。そうなると、先に書いたような高度な洗練された優先マナーなど及びもつかないと。そうなると電車会社がやっているような”優先席”の設定もしかたがないのかな、と思ったりもする。残念なことですが。

電車では私が思っている問題はもう一つあって、デイパック問題というのもある。まあ7人掛け問題と大して変わらないのですが、電車でスマホを見る人に多いですが、混雑しているときに胸の前にデイパックをかけて場所を確保してスマホを見る人が結構います。混雑している電車ではおそらく手で持ってスマホはあきらめると、専有面積は少し減ってみんな多少周りのひととの押し合いなどが減るのではないかと思われます。しかし、そうはならない。大多数の人は前にデイパックをかけて、よりひろい面積を確保したほうが楽だからそうはならないということですが、本当にそれでいいの?という気もします。これについてはむしろ前に掛けるのがマナーだということはJRや私鉄のステッカーや、民間人でも、例えば私が聞いた中では土曜の朝にFM放送で語っている外国の方が番組の中でもいってましたのでひろくいわれていることなのでしょう。謎マナーですが、あきらめるしかないのか、、、

おそらく法哲学者である筆者にとってはルールというものを倫理からはかなり切り離そうとしているところに難しさがあるのかと。私が書いたようなことはある意味倫理に近いところになってしまい、おそらく法哲学者の領域とは重ならない世界なのでしょう。

逆に言うと法哲学ってそういう学問なんだーと知ることができたということでは有意義な本でした。

井上達夫氏の本などはあまり現実問題に触れないようにしているような気がしてましたが、その点勇気がある行為だったと思います。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「読書」カテゴリーもっと見る