1月18日(日)
高野山開創1200年を迎える今年、高野山の堂塔や町の風景を紹介します。
十回目今回は、六時の鐘、総本山金剛峯寺を紹介します。
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六時の鐘
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六時の鐘
この鐘は、西暦1618年に福島正則が建立されたものです。
現在の建物は西暦1636年に再建されたもので、朝6時から
夜の10時まで偶数時間に時を告げています。
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金剛峯寺前の風景
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総本山金剛峯寺正門
この門は金剛峯寺に入る初めての門で正門と言います。
この門は金剛峯寺の建物の中では一番古い建物で西暦
1593年に建てられたものです。門前に掲げられている大
きな提灯は金剛峯寺の寺紋で左は豊臣家の家紋桐で
右は、高野の山の神、丹生都比売明神さまの巴です。
この二つの紋を合わせて金剛峯寺の寺紋としています。
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金剛峯寺本殿
金剛峯寺は、もとは真然大徳のお住まいがあった所で
西暦1131年に覚鑁上人が鳥羽上皇の許しを得て大伝法院
を建立され、その後、豊臣秀吉が亡き母の菩提を伴うために
木食応其上人に命じてお寺を建立います、その名を清厳寺と
呼び応其上人の住まいとなりました。その後、再三の火災に
よって焼失しましたが、現在の本殿は西暦1863年に再建され
ました。西暦1869年に清厳寺と興山寺の2ヶ寺が統合され、
さらに全国の真言宗寺院を総括する官長職がおかれました。
現在は、奥ノ院祖廟を大師信仰の中心として形成された、全国
末寺約3600ヶ寺、信徒約1千万の総本山として、高野山真言宗
官長兼金剛峯寺座主のお住まいになっています。
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経蔵
この経蔵は、西暦1679年大阪天満の伊川屋から
釈迦三像と合わせて寄進されたものでございます。
経蔵は、一切経などを収蔵するところで、火災が発
生しても安全なように主殿とは離れて建てられています。
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金剛峯寺の玄関
この玄関からは一般の人は入ることはできません、
高野山重役専用の玄関として主に金剛峯寺座主が
出入りするところでございます。
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鐘楼
この鐘楼は、金剛峯寺の前身である清厳寺の鐘楼で、
県指定重要文化財に指定されています。
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蟠龍庭
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蟠龍庭
西暦1984年に弘法大師御入定1150年後遠忌大法会の際に
作られました。右側奥に勅使門があり、その正面には奥殿があります。
石庭としては我が国最大の庭です。雲海の中で、雄雌一対の龍が向か
い合って金胎不二の相を現し、本山奥殿を守護する龍を現しています。
龍を表す青い花崗岩は、四国の石140個を使い、雲海を表す白い砂は
京都の白川砂が使われています。
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奥 殿
この建物は、本山の貴賓室で、西暦1934年の弘法大師御入定1100年御遠忌
の際に建てられたものです。この地は木食応其上人興山寺跡で、奥殿と別伝が
建立されるまでは、旧制の高野山大学林と中学林がございました。奥殿の内部
は非公開となっています。
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真然大徳廊
真殿大徳は、弘法大師御入定後の高野山を完成整備された方で、
お大師様の甥にあたります。大徳は、大師の真言密教興隆の根本
道場たる大伽藍建立される遺志を継いで、真言堂、大塔、西塔、など
を建立し、高野山の経営、共学、弟子の育成などの多方面にわたり
大師の御遺志を守りその礎を固められました、 真然大徳無くしては、
今日の高野山の発展はありえなかったといっても過言ではありません、