高野のふもと花坂爺さん

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高野山開創1200年を迎える今年、高野山の堂塔や町の風景を紹介します。第十一回

2015-01-19 08:03:29 | 高野のふもと花坂爺さん

1月19日(月)

高野山開創1200年を迎える今年、高野山の堂塔や町の風景を紹介します。

第十一回、今回は徳川霊台を紹介します。

 

 

徳川霊台

西暦1643年三代将軍家光が建立した江戸時代の代表的な建物でございます。

建物の内部は漆、金箔、壁画で装飾され一重宝形造りの同じ建物が左右に並び、

右が東照宮家康霊屋。左が秀忠霊屋です。いずれも高野聖たちによって建てられ

たと記録されています。

 

家康霊屋(東照宮)

東照宮

東照宮

東照宮

東照宮

東照宮

秀忠霊屋

秀忠霊屋

秀忠霊屋

秀忠霊屋


高野山開創1200年を迎える今年、高野山の堂塔や町の風景を紹介します。第十回

2015-01-18 10:55:02 | 高野のふもと花坂爺さん

1月18日(日)

高野山開創1200年を迎える今年、高野山の堂塔や町の風景を紹介します。

十回目今回は、六時の鐘、総本山金剛峯寺を紹介します。

 

六時の鐘

六時の鐘

この鐘は、西暦1618年に福島正則が建立されたものです。

現在の建物は西暦1636年に再建されたもので、朝6時から

夜の10時まで偶数時間に時を告げています。

 

金剛峯寺前の風景

 

総本山金剛峯寺正門

この門は金剛峯寺に入る初めての門で正門と言います。

この門は金剛峯寺の建物の中では一番古い建物で西暦

1593年に建てられたものです。門前に掲げられている大

きな提灯は金剛峯寺の寺紋で左は豊臣家の家紋桐で

右は、高野の山の神、丹生都比売明神さまの巴です。

この二つの紋を合わせて金剛峯寺の寺紋としています。

 

 

金剛峯寺本殿

金剛峯寺は、もとは真然大徳のお住まいがあった所で

西暦1131年に覚鑁上人が鳥羽上皇の許しを得て大伝法院

を建立され、その後、豊臣秀吉が亡き母の菩提を伴うために

木食応其上人に命じてお寺を建立います、その名を清厳寺と

呼び応其上人の住まいとなりました。その後、再三の火災に

って焼失しましたが、現在の本殿は西暦1863年に再建さ

ました。西暦1869年に清厳寺と興山寺の2ヶ寺が統合され、

さらに全国の真言宗寺院を総括する官長職がおかれました。

現在は、奥ノ院祖廟を大師信仰の中心として形成された、全国

末寺約3600ヶ寺、信徒約1千万の総本山として、高野山真言宗

官長兼金剛峯寺座主のお住まいになっています。

 

経蔵

この経蔵は、西暦1679年大阪天満の伊川屋から

釈迦三像と合わせて寄進されたものでございます。

経蔵は、一切経などを収蔵するところで、火災が発

生しても安全なように主殿とは離れて建てられています。

 

金剛峯寺の玄関

この玄関からは一般の人は入ることはできません、

高野山重役専用の玄関として主に金剛峯寺座主が

出入りするところでございます。

 

鐘楼

この鐘楼は、金剛峯寺の前身である清厳寺の鐘楼で、

県指定重要文化財に指定されています。

 

 

 

 

蟠龍庭

 

蟠龍庭

西暦1984年に弘法大師御入定1150年後遠忌大法会の際に

作られました。右側奥に勅使門があり、その正面には奥殿があります。

石庭としては我が国最大の庭です。雲海の中で、雄雌一対の龍が

合って金胎不二の相を現し、本山奥殿を守護する龍を現しています。

龍を表す青い花崗岩は、四国の石140個を使い、雲海を表す白い砂は

京都の白川砂が使われています。

 

奥 殿

この建物は、本山の貴賓室で、西暦1934年の弘法大師御入定1100年御遠忌

の際に建てられたものです。この地は木食応其上人興山寺跡で、奥殿と別伝が

建立されるまでは、旧制の高野山大学林と中学林がございました。奥殿の内部

は非公開となっています。

 

真然大徳廊

真殿大徳は、弘法大師御入定後の高野山を完成整備された方で、

お大師様の甥にあたります。大徳は、大師の真言密教興隆の根本

道場たる大伽藍建立される遺志を継いで、真言堂、大塔、西塔、など

を建立し、高野山の経営、共学、弟子の育成などの多方面にわたり

大師の御遺志を守りその礎を固められました、 真然大徳無くしては、

今日の高野山の発展はありえなかったといっても過言ではありません、


 

 


高野山開創1200年を迎える今年、高野山の堂塔や町の風景を紹介します。第九回

2015-01-16 11:03:54 | 高野のふもと花坂爺さん

1月16日(金)

高野山開創1200年を迎える今年、高野山の堂塔や町の風景を紹介します。

九回目は、三昧堂、智泉大徳廊、蛇腹道、町石(胎動界、金剛界の1町石)

を紹介します。

 

三昧堂 

三昧堂

このお堂は、金剛界大日如来を本尊とし、済高座主が、

西暦929年に創建されました。元々は壇の下にありまし

たが、西行法師がここに移されたといわれています。

座主は常に、このお堂において理趣三昧を唱えていたので、

三昧堂という名がつきました。

 

 

西行桜

西行桜

三昧堂を移築された記念に、お堂の前に西行法師が

植えられたと伝えられいる、西行桜でございます。

 

与謝野鉄幹と晶子の句碑

西行桜横にある与謝野鉄幹と晶子の句碑

板じきの冷たきに為て              いにしえの三昧堂を

朝きくは金剛峯寺の               くぐりきぬ法の御山の

山内の蝉                    星の明かりに

与謝野鉄幹                   与謝野晶子

 

智泉大徳廊 

智泉大徳廊

 

蛇腹道

蛇腹道

蛇腹道

蛇腹道

 

1町石(胎動界)

 

1町石(金剛界)

 

高野山町石道

高野山町石道は、聖地高野山への表参道として、弘法大師が高野山を開創以来、

信仰の道とされました。その道しるべとして建てられたのが町石で、高さ3mを超す

塔婆の形をしており、根本大塔を起点として九度山の慈尊院まで180基、弘

大師御廟まで36基建てられています。その8割以上が、鎌倉時代に建てられたもの

で、今もなを昔の面影を残しています。九度山の慈尊院から高野山へ続く約24kmの

町石道は、今も沢山の人々が参詣登山され、まさしく祈りの道、信仰の道そのもの

です。また、紀伊山地の霊場と参詣道として、西暦2004年7月7日にはユネスコの

世界文化遺産にも登録されています。


 


高野山開創1200年を迎える今年、高野山の堂塔や町の風景を紹介します。第八回

2015-01-15 09:39:54 | 高野のふもと花坂爺さん

1月15日(木)

 高野山開創1200年を迎える今年、高野山の堂塔や町の風景を紹介します。

第八回目は国宝不動堂、愛染堂、大会堂、蓮池を紹介します。

 

 国宝 不動堂

国宝 不動堂

このお堂は、西暦1197年に鳥羽上皇の皇女八条女院の発願により、

高野山一心院の開祖である行勝上人が一心院谷に創建されました。

その語1910年国宝建造物修理の際、現在の地に移されました。

現在の建物は、鎌倉時代の和様建築で、平安期住宅様式を仏堂

建築に応用したものでございます。本尊は、不動明王、脇侍は運慶

作の八大童子は、国宝または重要文化財に指定されています。

 

 愛染堂

愛染堂

このお堂は、西暦1334年後醍醐天皇によって、不断愛染護摩供並びに

長日談義を行うために建立されました、本尊は、後醍醐天皇等身大の

愛染明王で大変霊験あらたかだと言われています。現在の建物は

西暦1848年のものでございます。

大会堂

このお堂は、鳥羽上皇の皇女斎院内親王が父の冥福を祈るために建立されました。

もとは東別所にありましたが、西行法師が内親王に進め、長日不断談義のお堂として、

この地に移され蓮華乗院と称し、後に法会の集会の場となりました。現在の建物は

西暦1848年に再建、本尊は阿弥陀如来、脇仏は観音、勢至菩薩でございます。

 

蓮池善女龍王の祠

新設された太鼓橋

蓮池の全景

 

 蓮 池

18世紀後期には、旱魃が、たびたび起こり瑞相院慈光師が善女龍王像と仏舎利

を寄進し、西暦1771年春に蓮池の中島に小さな祠を建立してお祀りしました。

今回開創法会に合わせて池の改修工事が行われまた太鼓橋も新設され池を横断

することができるようになり、開創法会を待っています。