高野のふもと花坂爺さん

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高野山開創1200年を迎える今年、高野山の堂塔や町の風景を紹介します。第九回

2015-01-16 11:03:54 | 高野のふもと花坂爺さん

1月16日(金)

高野山開創1200年を迎える今年、高野山の堂塔や町の風景を紹介します。

九回目は、三昧堂、智泉大徳廊、蛇腹道、町石(胎動界、金剛界の1町石)

を紹介します。

 

三昧堂 

三昧堂

このお堂は、金剛界大日如来を本尊とし、済高座主が、

西暦929年に創建されました。元々は壇の下にありまし

たが、西行法師がここに移されたといわれています。

座主は常に、このお堂において理趣三昧を唱えていたので、

三昧堂という名がつきました。

 

 

西行桜

西行桜

三昧堂を移築された記念に、お堂の前に西行法師が

植えられたと伝えられいる、西行桜でございます。

 

与謝野鉄幹と晶子の句碑

西行桜横にある与謝野鉄幹と晶子の句碑

板じきの冷たきに為て              いにしえの三昧堂を

朝きくは金剛峯寺の               くぐりきぬ法の御山の

山内の蝉                    星の明かりに

与謝野鉄幹                   与謝野晶子

 

智泉大徳廊 

智泉大徳廊

 

蛇腹道

蛇腹道

蛇腹道

蛇腹道

 

1町石(胎動界)

 

1町石(金剛界)

 

高野山町石道

高野山町石道は、聖地高野山への表参道として、弘法大師が高野山を開創以来、

信仰の道とされました。その道しるべとして建てられたのが町石で、高さ3mを超す

塔婆の形をしており、根本大塔を起点として九度山の慈尊院まで180基、弘

大師御廟まで36基建てられています。その8割以上が、鎌倉時代に建てられたもの

で、今もなを昔の面影を残しています。九度山の慈尊院から高野山へ続く約24kmの

町石道は、今も沢山の人々が参詣登山され、まさしく祈りの道、信仰の道そのもの

です。また、紀伊山地の霊場と参詣道として、西暦2004年7月7日にはユネスコの

世界文化遺産にも登録されています。


 


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