群馬県嬬恋村(つまごいむら)・・美しい響きを持った村名です。
この地で、日本武尊(やまとたけるのみこと)が、海神の怒りを静めるため海に身を投げた妻、弟橘姫(おとたちばなひめ)を偲んだとの伝説によるものです。
なお、嬬恋村は吾妻(あがつま)郡に属します。
この地名も日本武尊がこの地方を吾妻と呼んだとの伝説によるものです。
いずれも歴史ロマンの香りがする地名です。
もちろんこの地名は、はるかな昔からあったのではなく、1889年(明治22年)の町村制の公布により、名付けられたものです。
村内のほとんどの地域が標高1000m以上の高地にあり、冷涼な気候を利用した、キャベツを中心とする高原野菜の栽培が盛んです。
7月12日の写真です。
①北海道の富良野地方を思わせる雄大な風景が広がります。

②キャベツの収穫機もあるようですが、こちらでは収穫は手作業、運搬などは機械のようです。
手作業の収穫は重労働です。

③正面奥の山は、百名山のひとつ四阿山(あずまやさん)2354mです。
嬬恋村ではこの山は吾妻山(あがつまやま)と呼ばれています。

④背後は鹿沢(かざわ)高原のスキー場です。
観光業は農業と並ぶ嬬恋村の主要産業です。

⑤

⑥

⑦

⑧左は四阿山、右は本白根山、2171m。

⑨

⑩左は浅間山、2568m。

⑪

⑫

⑬

⑭

⑮この写真と⑯は二日後、草津から上田に向かう途中の嬬恋村の風景です。

⑯

⑰再び、四阿山。

⑱

⑲本白根山とキャベツ畑の広がり。
嬬恋村は日本有数のキャベツの出荷量を誇ります。
この地で、日本武尊(やまとたけるのみこと)が、海神の怒りを静めるため海に身を投げた妻、弟橘姫(おとたちばなひめ)を偲んだとの伝説によるものです。
なお、嬬恋村は吾妻(あがつま)郡に属します。
この地名も日本武尊がこの地方を吾妻と呼んだとの伝説によるものです。
いずれも歴史ロマンの香りがする地名です。
もちろんこの地名は、はるかな昔からあったのではなく、1889年(明治22年)の町村制の公布により、名付けられたものです。
村内のほとんどの地域が標高1000m以上の高地にあり、冷涼な気候を利用した、キャベツを中心とする高原野菜の栽培が盛んです。
7月12日の写真です。
①北海道の富良野地方を思わせる雄大な風景が広がります。

②キャベツの収穫機もあるようですが、こちらでは収穫は手作業、運搬などは機械のようです。
手作業の収穫は重労働です。

③正面奥の山は、百名山のひとつ四阿山(あずまやさん)2354mです。
嬬恋村ではこの山は吾妻山(あがつまやま)と呼ばれています。

④背後は鹿沢(かざわ)高原のスキー場です。
観光業は農業と並ぶ嬬恋村の主要産業です。

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⑧左は四阿山、右は本白根山、2171m。

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⑩左は浅間山、2568m。

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⑮この写真と⑯は二日後、草津から上田に向かう途中の嬬恋村の風景です。

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⑰再び、四阿山。

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⑲本白根山とキャベツ畑の広がり。
嬬恋村は日本有数のキャベツの出荷量を誇ります。

ここも戦後、海外からの引き揚げ者の方を始め、多くの方々が入植して、山林原野を切り開き、ここまでにされたのでしょう。
高地寒冷の地ゆえに、極めて厳しい作業や生活があったことだと思われます。
おっしゃるように、この風景は人の手が作り出した風景ですね。
私は山の名前を特定するのが好きで、現地で地図と100均のコンパスで大体のめどをつけ、家へ帰ってから写真をもとにして、断定します。
そのためのソフトなどがあるのかもしれませんが、私の方法で9割くらいは合っているハズと、自分では思っています(^^)。