マントの介護日記

レビー小体型認知症&パーキンソン病の
主人を介護して、たまに人工股関節になった
マントの日記も綴ります!

昔の思い出

2011年08月25日 | 介護日記
おはよう御座います  マントで~す 




婆ちゃんは昨日から月2回目のショートステイへ行きました

ショートステイやデイケアを嫌がらず すんなり行ってくれます

デイケアが休みの日でも

婆ちゃん 『今日はデケア迎えに来るの?』と言っています

マントが仕事しているあいだ婆ちゃんの世話をしている父ちゃん

月2回 自分の楽しみが出来て ホッとしている父ちゃんなのです




さて今日は何を書き込もうか? 悩んでいると・・ふと

マント時々 戦争の事やマントが小さい子供の頃の話を婆ちゃんに聞くのですよ


婆ちゃんとマントの故郷は愛媛県の西南端

みかんが有名だしジャコ天も有名 それと海が綺麗な所で生まれました


婆ちゃんは普通の家庭で育ち

尋常小学校を卒業して 岡山の紡績工場や呉の工場などで働いていたそうですよ

19歳頃に網元だった父と結婚しましたけど

本当は別に好きな人が居て嫌だったといっていました

舅さんはブツブツ言う人で亡き父に ソックリだと・・

お姑さんはほんまに良い人だと今でも言っていますね


戦争の時も前は海 後ろは段々の小高い丘に家が建っており

畑も作っていたから食べ物には困らなかったそうです

米軍の飛行機が通る航路になっていて空襲警報発令が出て防空壕へ非難しても

爆撃はなく安心していたけど でも何回か落とされたと言っていました




それから8月15日の終戦の日

ばあちゃん達は故郷の我が家でラジオから流れてくる

昭和天皇の言葉を聴いたそうです



そして あれから9年 マントが誕生するのです

その頃は産婦人科が無い時代 産婆さんの手で取上げられました

大きく生まれたと聞いていたけど

最近 婆ちゃんに聞いたところ『3000gかなぁ~』と言っていましたよ


婆ちゃんが畑仕事をしている間 籠の中にマントを入れて 

あぜ道に置いて様子を見ながら農作業をしていました

ところが昔は赤ちゃん検診がなく 1歳過ぎても歩かないマント・・

可笑しいと思い病院へ行くと先天性股関節脱臼をしていました

今みたいな軽いギブスじゃなく 重いギブスを嵌めて1年間 病院へ通院していました

昔の医学では完全に治らなく現在に至っており 

今では人工股関節に置き換え 1年毎に病院へ行って診察して貰っています


その後も3歳頃に肺炎と麻疹を合併して死にかけたマント

子供の頃は本当に世話を掛けていたのだと思いましたね


父の思い出は余りなく酒乱だったので嫌な事ばかりでした

婆ちゃん(母)の事に関しては家族の中で女性が二人だったもんで

色々と昔話をしたり相談をしたりして とても尊敬できる大切な人なんですよ



だから今でも・・

婆ちゃんになると父ちゃんから甘いと言われてしまうけど

何度も言うように苦労した婆ちゃんだから

これから先 いつお迎えが来るか分らないし

親子なんだもん甘くなってもいいと思うんだよね



そんなこんなで認知症になった婆ちゃんだけど

昔の思い出を時々聞いたりしているマントなんですよ








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