奥武蔵の風

23 核使用おことわり

 ロシアが仕掛けたウクライナ戦争がまだ終わりを見せません。それどころか、独裁者プーチンが思惑通りに進まない戦況を打開するため、核兵器の使用に踏み切るのではないかという懸念(けねん)すら出てきました。

 ウクライナにとっては、侵略された自国の領土を守る受け身の戦争であり、NATOから武器供与を受けているとはいえ、そのNATOとの約束でロシアの領土に対しては反撃することができないのですから、気の毒なことに、戦争が長引けば自国の人的・物的損害が増大することは明らかです。

 やりたい放題のプーチンですが、国内には止める人も、止められる人も、いないようです。独裁国家の恐ろしいところですね。「恐(おそ)ロシア」とはよく言ったものです。

 西側諸国は、ロシアとの直接対決(戦争)を回避して早くから「経済制裁」を打ち出しましたが、ロシア国民は、もともとソビエト連邦時代に配給制度の下、辛抱を強いられていたようで耐性が強く、西側が期待したほどには、プーチン政権への不満が表面化していません。

 頼みの綱は何と言っても国際連合ですが、「安全保障理事会」の常任理事国が戦争を引き起こして世界を撹乱(かくらん)しているのですから、安全保障どころではありません。トルコのエルドアン大統領が呼びかけたように「戦争に勝者はなく、話し合いに敗者はない」のですが、プーチンは話し合いなどに関心はないようです。

 冷戦下に作られたスタンリー・キューブリック監督、ピーター・セラーズ主演のアメリカ映画「博士の異常な愛情」(1964年)は、狂人の衝動(しょうどう)から最後は米ソが核戦争に突入し世界が破滅するというあらすじですが、状況が似てきたような予感がします。

 日本では、戦争を知る世代が少なくなってきました。私も戦後の生まれですが、特にこれからの日本を背負う若い方々には、ウクライナの現状を直視して、目の前で家族が殺され・略奪(りゃくだつ)され・家屋を破壊され・飢えに苦しみ・死の恐怖におびえ・故郷を追われ・人生を台無しにさせられること、これが戦争なのだということを、さらにロシアの現状も直視して、言論を封じられ・権力者に追従させられ・正義も納得もなく前線に送られ・意味のない破壊や人殺しをさせられること、これが戦争なのだということを学び取り、「平和」を維持する不断の努力がいかに大切かを、心に刻んでほしいと思います。

 

(写真上)© 国連で買い求めたエクアドルの民芸品「魚の家族」(陶器製)

(写真上)© 国連安全保障理事会 会議室の表示

(写真上)© 安全保障理事会 会議室。閉会時のガイド付きツアー。

(写真上)© 国連 総会会議場。閉会中。

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